表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

52/62

第五十二話 筋肉男爵と寡黙の騎士


 アドリアナが王立学園から次に向かったのは、ドラクロワ邸だった。馬車を降りて、慣れた石畳の道を歩いていく。そうして訓練場で目的の人物を見つけた。


「ご機嫌よう、デュヴァル卿。訓練の邪魔をしてごめんなさい」


 ドラクロワ家が抱える騎士の中でも一番の筋肉を誇るローラン。声をかけると彼は木剣を止め、振り向いた。


「……お嬢さ――失礼しました。男爵様」


「呼びやすい方で呼んでくれて構わないわ。それより変わらず元気そうで安心したわ」


「……はい。変わらず、訓練の日々です」


 寡黙な返答。けれどその短い言葉に、誠実さと重みがある。訓練場の端に腰を下ろし、冷たい水を入れた革の水筒を差し出すと、彼は小さく会釈をして受け取り、静かに一口飲んだ。


「今日は、あなたにお願いがあって来たの」


「お願い、ですか」


「ええ。男爵領を盛り立てていきたいのだけれど、人手が足りなくって。軍の経験を持つ信頼できる人物が必要で、デュヴァル卿の力を借りたいの」


 沈黙が落ちた。ローランは木剣を見つめたまま、動かない。


「……伯爵家を、離れろとおっしゃるのですか?」


「無理は言わない。けれど少しでもあなたにその気があるのなら、一緒に来てほしい」


「……俺の剣は、主家に捧げています。ドラクロワ伯爵の命令がある限り、ここを離れることはできません」


「……そう、よね」


 予想はしていた。けれど、胸の奥がほんの少しだけ沈む。彼が忠義を貫く人間であることを、アドリアナは知っていてお願いをしたのだ。


 けれど、ここで諦めるわけにはいかなかった。


「でもね、デュヴァル卿。あなたが本当に守りたいのは、ドラクロワ家なのかしら? それとも、あなた自身の信念なの?」


 ローランの瞳がゆっくりとアドリアナを捉える。彼は言葉を探すように、息を吐いた。


「……騎士としての誇り、です」


「ならその誇りを、他の場所で貫くこともできると思わない?」


 沈黙。しかし今度の沈黙は、拒絶ではなかった。


「あなたは命令がなくても動ける人だと思っているわ。人のために剣を抜ける人よ。だからこそ、私の領地を守る剣になってほしいの」


「………」


 ローランが立ち上がり、木剣を静かに握り直す。そして空に向かって一振り。


 ――音が違った。さきほどまでの訓練ではなく、まるで自分自身に問いかけるような一撃だ。


「……領地には、何人の兵が?」


「今は三十ほど。半分は農夫の志願兵ね」


「……厳しいですね」


「ええ。でも私にはあなたが必要なの」


 彼はしばらく黙っていた。そして少しだけ口元を緩めた。


「……以前、ともに訓練をしている際、あなたに言われました。『筋肉には知恵が必要だ』と」


「あら、そんなことを覚えていたの?」


「……はい。だから、あなたのもとで剣を振るうことに意味があるのかもしれません」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が熱くなった。ローランが承諾するまで、あと一歩。


「……伯爵には、俺から話を通します。ただ、時間をください。必ず、行きます」


「ありがとうございます、デュヴァル卿。待っていますわ」


 彼はアドリアナに深く頭を下げた。その姿はまるで、忠誠の儀式のようだった。


 彼のすっと伸びた背筋が美しい。それを見つめていたアドリアナは、静かに芽生えた希望の光が胸の奥に広がるのを感じた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ