第四十二話 筋肉令嬢と小さな逃亡者たち
その日の学園は、いつもと少し違う雰囲気に包まれていた。
講義は午前で終わり、午後は『小動物とのふれあい会』が開催されていた。貴族の子弟たちは馬や鷹といった大きな動物に慣れてはいても、愛玩動物と触れ合う機会はそう多くない。実習として設けられたこの行事は、生徒たちに人気である。
「わぁ、うさぎがふわふわ……」
「こちらは珍しい小鳥ですわね」
中庭に設けられた柵の中で、小動物たちが元気に走り回る。生徒たちは歓声を上げながら、餌をやったり撫でたりして楽しんでいた。
もちろん、アドリアナもその場にいた。筋肉に関する訓練がないとなれば物足りなさを感じなくもないが、可愛い動物たちを見ると自然と頬が緩んでしまう。
「筋肉とはまた違った癒しですわね」
――そのときだった。
柵の鍵がきちんと閉まっていなかったのか、数匹のうさぎが隙間から飛び出したのだ。続けて、好奇心旺盛なリスも後を追い、小鳥までも羽ばたいて外へ行く。
「きゃあっ! 逃げたわ!」
「誰か捕まえろ!」
たちまち場は大混乱となった。小動物たちは縦横無尽に駆け回り、生徒たちは右往左往するばかり。
「お任せくださいませ!」
そんな中アドリアナはすっと立ち上がり、スカートの裾を翻した。
「筋肉は人を救うために! そして今は小動物を救うために使いますわ!」
まずは逃げ出した一羽の小鳥を目で追う。枝に止まった瞬間、彼女は地面を蹴った。鍛え抜かれた脚力で柵を越え、木を駆け上がる。普通なら手こずる高さも、アドリアナにとっては準備運動のようなものだ。
「おお…あの速さ!」
「いや、あれはもう木登りというよりは壁走りでは…?」
呆気に取られる生徒たちをよそに、アドリアナは軽やかに枝へと飛び移り、小鳥を手のひらでそっと包み込んだ。
「ご安心なさい。筋肉のぬくもりに包まれれば怖くはありませんわ」
次なる相手は、芝生を疾走するうさぎたち。その速さは侮れない。
アドリアナは両腕を広げ、まるで壁のように進路を塞いだ。うさぎたちが左右に散ろうとした瞬間、素早い足さばきで対応し、一匹ずつ抱きかかえる。
「ふふっ、柔らかい。筋肉とは全く違う柔らかさですわね」
しかし問題はリスだった。木の上へ木の上へと逃げ、枝から枝へと軽やかに飛び移る。生徒たちがもう無理だと諦めかけたそのとき。
「この程度! ドラクロワ流体幹の捻りで!」
アドリアナは幹を掴むと、見事ばバク宙で枝上に着地。リスをひょいと掴み取る。
「おおおおお……」
「やはりドラクロワ嬢は規格外だ……」
生徒たちがどよめく中、動物たちは次々とアドリアナの手によって柵の中へ戻されていく。初めは怯えていたはずの小動物も、なぜか彼女の腕の中で落ち着きを見せていた。
「ご覧なさい。筋肉には、ただ力を誇示するだけでなく、守り包み込む力もあるのです」
やがて全ての逃亡者たちが無事に捕獲され、柵の中に戻された。教師陣もほっと胸を撫で下ろし、生徒たちは拍手喝采。
「さすがですわ、ドラクロワ嬢!」
「筋肉は…偉大だ…!」
「驚いたよ。人馴れしている子たちではあるが、君には妙に懐いているようだ」
柵のそばで、動物係の教師が不思議そうに告げた。
見ると、うさぎもリスも小鳥も、アドリアナの足元や肩に寄り添っている。生徒たちの間で、彼女に新たな二つ名が広まるのは時間の問題だった。
――『筋肉の聖母』。
「ふふ。少々こそばゆいですが、まあ、筋肉を正しく使った証拠と考えましょう」
そんな風に微笑むアドリアナの周りには、小さな逃亡者たちが安らかに寄り添っていた。
こうして学園の一日は、混乱と笑いに包まれながらも、無事のんびりと幕を閉じたのである。




