第四十一話 筋肉令嬢と影の商会
夜の王都は、昼の喧騒とはまるで別の顔を見せていた。軒を連ねる酒場から漏れる笑い声の裏で、路地裏には不穏な影がうごめいている。アドリアナは薄手のマントを羽織り、ひっそりとした通りを歩いていた。
武器は持たず、飾り気のない姿である。だが、その背筋はぴんと伸び、夜の闇にすらひるむことなく進んでいた。
(お父様に報告しただけでは足りませんわ。この薬がどこから流れているのか……突き止めなければ)
昼間に拾った小瓶。それは危険な香りを放っていた。理性を奪い、筋肉を歪める毒。その言葉が頭から離れない。彼女は己の筋肉だけでなく、人々の筋肉を守る責任を感じていた。
裏路地を進んでいくと、三人組の男たちが薄暗い灯りの下でこそこそとやり取りをしているのが見えた。粗末な革袋を手に、一人が囁く。
「……今夜の分だ。これでまた何人かは骨まで燃えるように暴れるだろう」
「へっ、ありゃ病みつきになる。だが気をつけろよ。噂が、誰かがヘマして薬を落としたって話だ」
アドリアナの耳がぴくりと動く。
(もう昼間の出来事が広まっているのね…)
気配を殺して近寄ったが、目の前の敵に集中しすぎてしまったらしい。小石を蹴ってしまい、石畳に僅かな響きを残した。
「誰だ!?」
男たちが一斉に振り返る。薄明りに浮かび上がったのは、鋭い眼光を持つアドリアナの姿だった。
「あなたたちが薬を流しているのですね。それも今日でおしまいですわ」
「チッ、嬢ちゃん……命が惜しけりゃ引っ込んでな!」
短剣を抜き、男が襲い掛かる。だがアドリアナは動じない。踏み込みと同時に、鍛えた腕で相手の手首を捩じり、短剣を叩き落とした。
「筋肉は人を守るためにこそ使うもの! あなた方のように、人を堕落させるための道具ではありません!」
もう一人が背後から棍棒を振り下ろす。アドリアナは身を翻し、裾をさばきながら肘で一撃。鈍い音とともに男が地面に転がった。
三人目が慌てて逃げ出そうとするが、アドリアナは手早く落ちた短剣を蹴飛ばし、道の先に突き刺さるようにして進路を塞いだ。
「逃げ場はありません。真実を話しなさい」
「ひぃ…!」
取り押さえられた男たちは震えながら口を割る。
「お、おれたちは下っ端だ! 本当だ! 全部『影の商会』って連中が仕切ってる!おれたちは命じられるままに運んでいるだけで…!」
「その商会はどこに?」
「…し、知らねぇ」
ドゴッ!アドリアナが石畳を殴り、粉々に吹き飛ばした。
「――で? その商会はどこに?」
「じ、城壁のはずれ……廃倉庫にぃ…!」
アドリアナは力を緩め、男たちを睨み据えた。
「よろしい。あなた方はここまでですわ。あとは正しき筋を通しましょう」
すぐさま、王城の騎士団へと伝令を走らせる。数分後、鎧の音とともに騎士たちが路地を埋め尽くした。アドリアナは捕らえた男たちを引き渡し、冷静に告げる。
「彼らの証言により、黒幕の居場所が明らかになりました。速やかに討ち入りをお願いいたします」
騎士団長が兜を外し、深々と頭を下げる。
「ドラクロワ令嬢のお働き、感服いたしました。必ずやこの闇を断ち切ってみせましょう」
翌朝の早朝。廃倉庫を包囲した騎士団は、一斉に突入した。扉が蹴り破られると、暗がりに潜んでいた十数人の男たちが刃を振りかざし、怒号が響き渡る。
「影の商会の名を汚すな! 迎え撃て!」
だが正規の騎士たちは怯まない。整然とした盾の列が押し進み、反撃の剣戟が火花を散らす。
首領が捕縛間際に叫び声を上げて反撃を試みるが、騎士団長は剣を突き付けて膝をつかせた。
そうして一味の本拠を突き止め、首領を捕縛したとの報せを届けてきた。街に蔓延しかけた毒の流れは断ち切られ、人々はようやく安堵を取り戻すことができたのだ。
アドリアナは自室の窓辺に立ち、朝日に染まっていく空を見上げる。捕縛の報せを受けた彼女の拳は、勝利に握りしめられていた。
「筋肉が正しく使われれば、国も人も強くなれるのです。これからも、必ず」
その言葉は静かに、しかし確かな響きを持って空気に溶けていった。
こうして筋肉令嬢の勇気と判断は、王都を覆いかけた闇を払う光となったのである。




