第三十一話 筋肉令嬢と紅茶のスクワット
とある小さなサロンに、麗しい令嬢たちが数名集まっていた。今日の名目はアフタヌーンティー。しかし、心なしか彼女たちの視線は、テーブルの向こうで優雅に座るアドリアナに釘付けになっている。
「ドラクロワ嬢。今日はお越しいただきありがとうございます」
「舞踏会でのご活躍、まだ噂になっておりますのよ」
そう、先日の舞踏会で生まれた『筋肉舞踏流派』の噂は、静かに社交界に浸透していたのだ。令嬢たちは密かにアドリアナに憧れ、心の中で『私も強く、美しくなりたい』と願っている。
アドリアナは微笑みながら、テーブルの上に並べられたケーキを手に取る。その仕草はどこまでも優雅で美しい。
「みなさまの思い、確かに受け取りましたわ。筋肉は美しさと優雅さへの第一歩。僭越ながら、私が筋肉講座を開かせていただきますわ」
令嬢たちの目は期待に輝いていた。
「まずは姿勢からですわ」
アドリアナは座ったまま背筋をぴんと伸ばす。令嬢たちは、息を呑むようにその姿を見つめる。
「紅茶を手に持つときも、腕の角度に気を付けると効果的です。ほら、こうして…」
彼女はカップを優雅に持ち上げ、そのまま上下動作を繰り返す。
「手首と二の腕の筋肉が鍛えられますのよ」
「ええ…たったそれだけで鍛えられるのですか?」
令嬢たちは驚きとともにメモを取り始める。その目は真剣で、アドリアナの講座にも力が入る。
「ケーキを切るナイフの所作も、前腕を鍛えるには絶好ですわ。無駄のない動きが重要ですのよ」
アドリアナは一切力まず、軽やかにケーキを切り分ける。その動作の美しさと効率の良さに、令嬢たちは感嘆の声を漏らした。
「これはすごいです…」
「紅茶とケーキで、腕が鍛えられるなんて!」
令嬢たちが筋肉への喜びを見つけるたびに、アドリアナも嬉しくなってくる。場の空気が徐々に熱を帯び、彼女は微笑んで言った。
「では次に、基本的なトレーニングに参ります。お茶会ですので、優雅に、そして無理なく行いましょう」
アドリアナが立ち上がり、ゆっくりとスクワットの体勢に入る。足を肩幅に開き、丁寧に腰を落とし、そしてまた上げる。
「これで下肢全体の筋力を整え、舞踏会でも体力が持ちますの」
令嬢たちはドレスの裾をつまみながら真似をした。
「……こう、かしら?」
「ゆっくりと腰を落として…こう?」
しかし、優雅な動作を意識するとどうしてもぎこちなくなり、つい隣の友人とぶつかりそうになったり、前につんのめってしまいそうになったりする。
その様子を見ていたアドリアナは、にこやかに笑いながらも『姿勢を崩さないように』と注意を促す。
「お茶会のはずが、いつの間にか筋肉教室に…!」
侍女たちは傍らで紅茶を運びながら、おろおろして見守るばかり。
その後もレッスンは続く。アドリアナは軽く腕立て伏せのデモンストレーションを行い、令嬢たちに背筋を伸ばす呼吸法を教える。
ある令嬢は、紅茶カップを握る手を意識して、握力トレーニングの真似を始める。別の令嬢は、ケーキ皿を片手にスクワット。
小さなサロンは、いつしか優雅な筋肉教室と化していた。笑いと驚きの入り混じる空間の中、令嬢たちはそれぞれに必死に動きながらも、楽しそうに輝いていた。
「わあ、背筋がピンと伸びる!」
「これで舞踏も優雅に踊れそうですわ!」
噂はそのまま広がり、王都では『筋肉茶会』なる新しい社交イベントが密かに話題になっていった。
アドリアナは笑顔で紅茶を差し出す。
「さあ、みなさん。次は呼吸法ですわ。深く吸って、吐く……筋肉にも心にも効きますのよ」
令嬢たちは笑いながらも真剣にアドリアナの指導に従う。こうして社交界に新たな流行が生まれ、筋肉に憧れる乙女たちの熱心な動きが、小さなサロンに波紋のように広がっていったのである。
その様子を噂で耳にした母エレオノールは、誇らしげに微笑んでいた。
「流石ドラクロワの令嬢にしてわたくしの娘です。本当の美は筋肉と調和してこそ。これで王国の令嬢たちはますます輝くことでしょう」
母エレオノールに憧れる夫人たちもまた、娘を真似て筋肉教室を開くのは時間の問題だった。




