第二十七話 木剣王子と日傘令嬢
王都で筋肉令嬢の噂が広まった頃。王城の片隅にある訓練場の一角で、第二王子のシャルルは木剣を振るっていた。
何度も振り下ろすが力加減が定まらず、地面に叩きつけた衝撃で手のひらに痛みが走る。木剣が小石に当たり、乾いた音を立てて跳ね返った。
「っ……くそ、また失敗だ」
汗で前髪を濡らしたシャルルは、思わず膝をつく。耳にした噂が頭を離れなかった。
『筋肉令嬢は馬より速く走ったらしい』
『巨岩を軽々と投げ飛ばしたんだぞ』
『いや、伝説のドラゴンを退けたそうだ!』
彼にとっては是が非でも婚約者にしたい人だが、そこには『筋肉』という大きな壁がある。シャルルは唇を噛んだ。
「俺はまだ、木剣すらまともに扱えないのに…。ドラクロワ嬢の横に立つ資格そのものが遠い気がする…」
アドリアナに婚約を断られてから真剣に取り組むようになった訓練だ。そう簡単に上達するはずもない。そのとき。
「シャルル様! こんなところにいらしたのね!」
甲高い声が訓練場に響き渡った。振り返れば、鮮やかなドレスの裾をひらめかせて駆け寄ってくる少女の姿。伯爵令嬢のエリザベッタである。
「今日もご精が出ますのね。たゆまぬ努力を続けるシャルル様も素敵ですわ!」
「……っ!」
訓練を真面目に受けるようになってほんの一年過ぎほどだ。それを『たゆまぬ努力』と言われ、揶揄われているような気がして、胸の奥がざわめいた。自分は少しもアドリアナの目に入っていないというのに。
カッとなったシャルルは、思わず言葉を選ばずに答えてしまった。
「俺は……ドラクロワ嬢に認めてほしいんだ!」
その一言に、エリザベッタの眉がぴくりと跳ね上がる。
「あ、あたくしの前で、あの筋肉女の名を堂々と……!」
真っ赤に顔を染めた彼女は、ぐっと腕を組んで睨みつける。だが次の瞬間、妙な方向に開き直った。
「いいでしょう! ドラクロワ嬢に負けるくらいなら、このあたしくが鍛えて差し上げますわ!」
「……え?」
シャルルが間抜けな声を上げるより早く、エリザベッタは訓練場の中央にずかずかと歩み出てきた。
「さあ、構えるのです! まずはあたくしを相手に剣を振るのです!」
「ちょ、ちょっと待て! モンティス嬢は剣なんて――」
言い終える前に、彼女は持ち込んだ日傘を木剣代わりに構えた。その姿勢はぎこちないが、気迫だけは一人前である。
「来るのです、シャルル様! ドラクロワ嬢に勝つために!」
結局、押し切られる形で稽古が始まった。シャルルは手加減しつつも必死に木剣を振るい、エリザベッタは『えい! やあ!』と声だけ勇ましく日傘を突き出す。
数合打ち合う内に、二人とも額に汗を滲ませていた。もちろん技量としてはお遊びに等しいが、シャルルには意外な発見があった。
(モンティス嬢……筋肉は全然だが、意外と根気強いところがあるんだな)
何度も転びかけながらも、彼女は諦めずに立ち上がる。ドレスの裾を砂で汚すことすら気にしていない。
「ま、まだまだですわ…! このくらいで音を上げては、ドラクロワ嬢に笑われてしまいますもの!」
「え? モンティス嬢もドラクロワ嬢を意識してるのか…?」
「当たり前でしょう! いつもいつも筋肉令嬢、筋肉令嬢と! シャルル様が彼女ばかりに目を向けるのは、面白くありませんの!」
ぷんすかと怒りながらも、日傘を振り下ろす動きには熱がこもっていた。
それを見て、シャルルは思わず笑みを浮かべる。
「……じゃあ、一緒に鍛えようか」
「え?」
「俺一人では途中で心が折れてしまうかもしれない。でも、モンティス嬢が一緒なら……お互いに強くなれる気がする」
一瞬きょとんとしたあと、彼女の頬がみるみる赤くなる。
「し、仕方ありませんわね! シャルル様がそこまでおっしゃるなら、特別に付き合いますわ!」
こうして二人の奇妙な共同トレーニングが始まった。木剣を振るい、持久力を競い、果てはどちらが長くスクワットができるかまで挑戦し合う。
最終的に、二人は並んで地面に倒れ込み、肩で息をしていた。夕日が差し込み、頬を伝う汗が光る。
「はぁ…はぁ…。モンティス嬢、意外と、すごいな…」
「当然、ですわ。あたくしは伯爵令嬢にして、未来のシャルル様の伴侶となる淑女…! 鍛錬ごときで、負けていられませんわ!」
「そ、そうか…」
返事をしながら、シャルルはどこか嬉しそうに微笑んだ。エリザベッタも息を整えながら、ちらりと彼を盗み見る。嫉妬心から始まったはずの行動が、気づけば二人の距離を少しだけ縮めていた。
その様子を物陰から眺めていた下級騎士たちは、顔を見合わせて囁き合う。
「なんかあの二人、妙に良いコンビじゃないか?」
「筋肉令嬢の陰で、こっちは『なかよしペア』って噂になるかもな」
そしてまた、新しい噂の種がまかれるのだった。




