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第二十六話 筋肉令嬢と尾ひれのついた話


 アドリアナが農村での活動を終えて王都に戻ってから数日。父アルマンは、国王へ詳細な報告書を送っていた。内容は至極真っ当で、農作業の改善案や身体の使い方の工夫などが中心である。ところが、なぜかその報告の一部が、街の人々の耳に入ってしまった。


 しかも、人づてに伝わるうちに、話はどんどん膨れ上がっていく。


「聞いたか? あの筋肉令嬢、野獣の群れを一人で倒したらしいぞ!」


「いやいや、俺は聞いたぞ。村に駐留していた兵士をまとめ上げて、軍を指揮したんだと!」


「はぁ? おまえら何も分かってないな。真実は、あの伝説のドラゴンを退けたんだ!」


 ドラゴンはさすがに聞き流すしかないが、人々は真剣な顔で噂を語り合っていた。アドリアナ本人が耳にしたとき、思わず考え込んでしまう。


「ドラゴン……もし現れたとしたら、私はどうやって戦えばいいのでしょうか」


 彼女の的外れな思考をよそに、噂は留まることを知らない。街角の市場でも、酒場でも、井戸端でも、みんな楽しげに筋肉令嬢の武勇伝を語っているのだった。


 さらに事態をややこしくしたのは、屋敷の使用人や家臣たちである。


「アドリアナお嬢様は勇敢でいらっしゃいますからなぁ!」


「そうそう、お嬢様は指先一本で酒樽を運べるお方ですから!」


「お嬢様は筋肉だけでなく賢さもある! もう完璧なお方です!」


 使用人たちの言葉は、誇張というより愛情の裏返しだった。けれども、その場に居合わせた商人や訪問客が持ち帰り、さらに脚色を加える。噂は尾ひれどころか羽や角まで生えて、立派な怪物に成長してしまった。


 その様子を見聞きしたアドリアナは、さらに間違った方向へと舵を切る。


「みなさまが私に求めているのはそのような強さなのですね! ならば期待に応えねば!」


 ますますトレーニングに力が入る筋肉令嬢。だが噂というのは、一度広がり始めると止められないものである。


 ある日の午後。アドリアナは侍女を連れて、街へ買い物に出かけた。新しい稽古用の布や、農村で試した道具の改良案を考えるための資材を求めてのことだ。


 ところが通りを歩けば、すぐにひそひそ声が聞こえてくる。


「見ろ、あれが筋肉令嬢だ…!」


「本物か? 馬より速く走ったんだろ?」


「いや、俺は聞いたぜ。巨岩を軽々と投げ飛ばしたらしい」


 アドリアナは耳を傾け、考え込むように顎に手を当てた。


(馬より速くはなかなか厳しいですわね。……いっそ、馬のように四足で走る訓練を取り入れてみるべきでしょうか? それに巨岩を投げるにもまだまだ筋肉が足りませんわ。まずはお父様を投げられるようにならないといけませんわね)


 やや間違った方向に注目を浴びていることは気にならないらしい。付き添いの侍女は『お嬢様は人気者でいらっしゃいますね』とのん気に微笑むばかりである。


 その日の夕刻、屋敷へ戻ったアドリアナは、父アルマンの書斎を訪れた。扉を開けると、父は椅子に深く腰を下ろし、報告書の控えを手にしていた。


「お父様。私の噂の件、ご存じですか?」


「ああ、耳に入っているとも。ドラゴンを退けたなどとまで言われているようだな」


 父アルマンは報告書を机に置き、肩を竦めた。


「アディならその内ドラゴンも倒せてしまいそうではあるが、父として娘にそのような危険を冒させたくないというのが本音だな」


「まあ、お父様。相手は伝説の生き物ですのよ? もし遭遇したら、自分で戦ってみたいですわ」


「アディならそう言うと思ったよ。ではやはり、私が安心してアディを見送れるよう、この父を超えていってもらわねばならんな」


「お父様を超える……それはいつか成し遂げなければと思っていましたわ…!」


 どこまでの脳筋な親子である。


 数日後。再び街を歩いていたアドリアナは、通りの角で立ち止まった。背後から子どもたちの声が響いたのだ。


「見て! きんにくれーじょーだ!」


「ほんとだ! 大きな岩をなげたってひとだ!」


 アドリアナは振り返り、力こぶを作って見せる。


「この筋肉があれば大抵のことはできますわ! あなたたちも、まずは健康であるために、筋肉を身に着けることをお勧めしますわ!」


「わあ! 本物だ! きんにくだー!」


 アドリアナの筋肉を見て、一人の幼い子どもが駆け寄ってきて、ぱっと抱き着いてきた。


 小さな身体の温もりに、アドリアナは一瞬固まった。けれど子どもも無邪気な笑顔に触れ、自然と表情がほころんでしまう。


「ふふっ。大きくなったらドラクロワ家の門を叩くといいですわ。そこは、たくさんの筋肉で溢れかえっていますのよ」


「たのしそう! ぼくもきんにくになるー!」


 子どもの頭をそっと撫でるアドリアナ。その姿を見た街の人々は、また新しい噂を語り始めるのだった。


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