表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

13/62

第十三話 筋肉令嬢と理論派の弟子


 王立学園ではそろそろ中間試験が始まる。アドリアナはその勉強のため、学園の図書室を訪れていた。静まり返った空間には、羽ペンのカリカリという音と、紙をめくる音しか響いていない。


「やはり外国語の習得は難しいですわね。他国の言語が分かれば、もっと筋肉について知れると思ったのだけれど」


 本棚から参考書を探していたそのとき、アドリアナの目に、やけに禍々しい装丁の本が飛び込んできた。


(『筋肉黙示録 ~滅びを超えるバルク~』、ですって…!?)


 思わず胸が高鳴り、震える指先で手を伸ばす。だがその瞬間、横から別の手が重なった。


「きゃっ」


 アドリアナは思わず声を上げ、本を取り損ねる。隣を見れば、同じように驚いている男子学生と目が合った。タイの色を見るに二年生の先輩のようだ。


「失礼いたしました。どうぞ先にお読みになってください」


「い、いえ。お、お先にどうぞ。僕は…あとでも…いいので…」


 筋肉の本を手に取ろうとした割りに、男子学生の線は細い。むしろガリガリだと言っても良い。


(青白い肌、骨の浮いた指、トレーニングの邪魔になる眼鏡。筋肉布教において伸びしろの塊みたいな方ですわ…!)


「いえ、私はここに試験勉強に来たのです。これを読んでしまっては、勉強になりませんわ」


「そ、そうですか…。では、お言葉に甘えて…」


 男子学生の手が本を取る。アドリアナの目は、それを名残惜しそうに追いかけていた。


「あ、あの…あなた、ドラクロワ家の方、ですよね?」


「はい。アドリアナ・ドラクロワと申します。ドラクロワ伯爵家の長女ですわ」


「や、やっぱり…!」


 アドリアナがドラクロワ家と知り、男子学生の目が輝く。先ほどまでの暗い表情はない。


「ぼ、僕! 代々の筋肉伯爵に憧れてまして! こうしてドラクロワ家の方にお会いできるなんて嬉しいなあ!」


「あら、そうなんですね。父が聞いたら喜びますわ」


「やはりドラクロワ嬢も素晴らしい筋肉をお持ちですね! 服の上からでも鍛えられているのが分か――あっ、すみません! じょ、女性の身体を見るなんて、なんて失礼なことを…!」


「いえ、筋肉を褒めてもらえるのは光栄ですわ。服の上からでもお気づきになるなんて、先輩も随分と筋肉がお好きなんですのね」


「そうなんです! 僕、筋肉のことを知ったり考えたりすること大好きなんです!」


 男子学生は本を胸に抱きしめるように持ちながら、熱を帯びた声で続けた。


「僕は筋肉の仕組みや成長の理論を調べるのが好きで――例えば大胸筋(だいきょうきん)だって、上部、中部、下部で役割が違うじゃないですか!」


「まあ!」


 アドリアナは感嘆の声を上げ、ずいっと男子学生の方に身を乗り出した。


「それは実に興味深いお話ですわ! 理論をそこまで体系的にご存じとは、さすが先輩ですのね!」


 ぱあっと褒められて、男子学生の顔が真っ赤になる。


「い、いえ! 僕なんかただ本を読んでいるだけで、実際に鍛えているわけじゃ…」


「ではぜひ試してみましょう!」


 アドリアナは声を張り上げた。静まり返っていた図書室に大きな声が響き、周囲の学生たちが一斉にこちらを見る。


「静かに!」


 司書が即座に睨んでくる。アドリアナは慌てて小声に切り替えたが、その目の輝きは変わらなかった。


「私としたことが、つい大きな声を出してしまいましたわ。でも、せっかく理論をご存じなのですから、実践して筋肉に刻み込まなければもったないないですわ」


「じ、実践って…僕みたいなガリガリじゃ無理ですよ!」


「伸びしろがあるからこそ素晴らしいのですわ!」


 アドリアナはそっと男子生徒の腕を取り、袖をまくってみせる。青白い皮膚に細い筋が浮かび上がる。


「見てください、この繊細な腕! ここに力強い筋肉が育ったら、どれほど美しいか! 私、今から楽しみで胸が高鳴りますわ!」


「ちょ、ちょっと待ってください! ここが図書室ですし、人が見て――」


 男子学生は慌てるが、近くの生徒たちは既に耳をそばだてていた。


「筋肉令嬢がまた筋肉の話をしているぞ」


「しかも今度は上級生を勧誘してる…」


 ひそひそ声が飛び交う。


 しかしアドリアナは周囲の視線をものともせず、真剣な表情で言った。


「先輩、知識だけでは筋肉は育ちませんわ。どうか私と一緒に、鍛錬してみませんか?」


 男子学生は目をぱちくりとさせ、やがて小さく笑った。


「……そんな風に真剣に誘ってもらえるなんて、初めてです。分かりました。試しに、少しだけ」


「まあ! 嬉しい!」


 アドリアナの瞳が一層輝く。


「あっ、遅くなりましたが、僕はマティアス・リュサールです」


「リュサール先輩! 早速、明日の放課後! 学園の鍛錬場に集合しましょう!」


 こうしてアドリアナは新たな『筋肉の弟子』を得ることとなった。


 彼女の筋肉布教の道は、また一歩、広がっていくのであった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ