第十三話 筋肉令嬢と理論派の弟子
王立学園ではそろそろ中間試験が始まる。アドリアナはその勉強のため、学園の図書室を訪れていた。静まり返った空間には、羽ペンのカリカリという音と、紙をめくる音しか響いていない。
「やはり外国語の習得は難しいですわね。他国の言語が分かれば、もっと筋肉について知れると思ったのだけれど」
本棚から参考書を探していたそのとき、アドリアナの目に、やけに禍々しい装丁の本が飛び込んできた。
(『筋肉黙示録 ~滅びを超えるバルク~』、ですって…!?)
思わず胸が高鳴り、震える指先で手を伸ばす。だがその瞬間、横から別の手が重なった。
「きゃっ」
アドリアナは思わず声を上げ、本を取り損ねる。隣を見れば、同じように驚いている男子学生と目が合った。タイの色を見るに二年生の先輩のようだ。
「失礼いたしました。どうぞ先にお読みになってください」
「い、いえ。お、お先にどうぞ。僕は…あとでも…いいので…」
筋肉の本を手に取ろうとした割りに、男子学生の線は細い。むしろガリガリだと言っても良い。
(青白い肌、骨の浮いた指、トレーニングの邪魔になる眼鏡。筋肉布教において伸びしろの塊みたいな方ですわ…!)
「いえ、私はここに試験勉強に来たのです。これを読んでしまっては、勉強になりませんわ」
「そ、そうですか…。では、お言葉に甘えて…」
男子学生の手が本を取る。アドリアナの目は、それを名残惜しそうに追いかけていた。
「あ、あの…あなた、ドラクロワ家の方、ですよね?」
「はい。アドリアナ・ドラクロワと申します。ドラクロワ伯爵家の長女ですわ」
「や、やっぱり…!」
アドリアナがドラクロワ家と知り、男子学生の目が輝く。先ほどまでの暗い表情はない。
「ぼ、僕! 代々の筋肉伯爵に憧れてまして! こうしてドラクロワ家の方にお会いできるなんて嬉しいなあ!」
「あら、そうなんですね。父が聞いたら喜びますわ」
「やはりドラクロワ嬢も素晴らしい筋肉をお持ちですね! 服の上からでも鍛えられているのが分か――あっ、すみません! じょ、女性の身体を見るなんて、なんて失礼なことを…!」
「いえ、筋肉を褒めてもらえるのは光栄ですわ。服の上からでもお気づきになるなんて、先輩も随分と筋肉がお好きなんですのね」
「そうなんです! 僕、筋肉のことを知ったり考えたりすること大好きなんです!」
男子学生は本を胸に抱きしめるように持ちながら、熱を帯びた声で続けた。
「僕は筋肉の仕組みや成長の理論を調べるのが好きで――例えば大胸筋だって、上部、中部、下部で役割が違うじゃないですか!」
「まあ!」
アドリアナは感嘆の声を上げ、ずいっと男子学生の方に身を乗り出した。
「それは実に興味深いお話ですわ! 理論をそこまで体系的にご存じとは、さすが先輩ですのね!」
ぱあっと褒められて、男子学生の顔が真っ赤になる。
「い、いえ! 僕なんかただ本を読んでいるだけで、実際に鍛えているわけじゃ…」
「ではぜひ試してみましょう!」
アドリアナは声を張り上げた。静まり返っていた図書室に大きな声が響き、周囲の学生たちが一斉にこちらを見る。
「静かに!」
司書が即座に睨んでくる。アドリアナは慌てて小声に切り替えたが、その目の輝きは変わらなかった。
「私としたことが、つい大きな声を出してしまいましたわ。でも、せっかく理論をご存じなのですから、実践して筋肉に刻み込まなければもったないないですわ」
「じ、実践って…僕みたいなガリガリじゃ無理ですよ!」
「伸びしろがあるからこそ素晴らしいのですわ!」
アドリアナはそっと男子生徒の腕を取り、袖をまくってみせる。青白い皮膚に細い筋が浮かび上がる。
「見てください、この繊細な腕! ここに力強い筋肉が育ったら、どれほど美しいか! 私、今から楽しみで胸が高鳴りますわ!」
「ちょ、ちょっと待ってください! ここが図書室ですし、人が見て――」
男子学生は慌てるが、近くの生徒たちは既に耳をそばだてていた。
「筋肉令嬢がまた筋肉の話をしているぞ」
「しかも今度は上級生を勧誘してる…」
ひそひそ声が飛び交う。
しかしアドリアナは周囲の視線をものともせず、真剣な表情で言った。
「先輩、知識だけでは筋肉は育ちませんわ。どうか私と一緒に、鍛錬してみませんか?」
男子学生は目をぱちくりとさせ、やがて小さく笑った。
「……そんな風に真剣に誘ってもらえるなんて、初めてです。分かりました。試しに、少しだけ」
「まあ! 嬉しい!」
アドリアナの瞳が一層輝く。
「あっ、遅くなりましたが、僕はマティアス・リュサールです」
「リュサール先輩! 早速、明日の放課後! 学園の鍛錬場に集合しましょう!」
こうしてアドリアナは新たな『筋肉の弟子』を得ることとなった。
彼女の筋肉布教の道は、また一歩、広がっていくのであった。




