第十一話 筋肉令嬢と胸の高鳴り
父アルマンは言葉通り、ドラクロワ邸に戻った翌日から、アドリアナを騎士の訓練に参加させた。
「本日より諸君らの訓練に娘を参加させる。女だからと言って手加減する必要はない。ドミニクやルシアンと同じように、同士だと思って接してやってほしい」
「アドリアナと申します。みなさまの厳しい訓練に参加させていただけること、光栄に思いますわ。ドラクロワ家の人間として、生涯筋肉を磨き続ける所存でございますので、どうぞご指導のほどよろしくお願いしますわ」
ドラクロワ家の騎士たちに向かってお辞儀をする。一見落ち着いて見えるアドリアナであったが、内心では目の前に広がる筋肉たちに興奮していた。
(ああ、あの方…! なんて立派な大胸筋ですの…! あちらの方の大木の幹のような太い手首…! ぜひ組手をご一緒したいですわ…!)
さすが筋肉名門の騎士たちである。誰も彼もが筋肉に余念がない。そんな中、アドリアナの目に一際身体つきが大きい騎士が留まった。
「まずは二人一組になってストレッチを始めよう! 良い筋肉は良い柔軟性からだ! ――ローラン! アディとストレッチを頼む!」
ローランと呼ばれた騎士は、アドリアナの目に留まった身体の大きい騎士だった。騎士らしく素早い足さばきで歩み寄ってきた彼とアドリアナは向かい合う。思わず見上げてしまうほど大きい。
「アドリアナです。よろしくお願いします」
「ローラン・デュヴァルと申します。よろしくお願いいたします」
表情は乏しいが、声音は温かい。アドリアナは彼に胸がときめくのを感じた。
(なんて迫力のある筋肉なのかしら! 鋼をも弾くような胸板、大木を薙ぎ倒すかのような腕、踏みしめれば地面を砕いてしまいそうな脚!!)
つまるところ、ローランの筋肉はアドリアナの好みど真ん中だった。
「デュヴァル卿、彫刻のように素晴らしい筋肉ですわね!努力を怠らず、誰よりも鍛えていらっしゃるのが分かりますわ!」
「……ありがとうございます」
アドリアナの直球の誉め言葉に、ローランの頬がうっすらと赤く染まる。褒められることに慣れていないのだろう、その大きな身体がかえって所在なげに見えた。
そうしてストレッチをするときも、ランニングをするときも。組手をするときも、素振りをするときも。アドリアナの目は、ローランの筋肉に釘付けだった。
(ああっ、あの広背筋! あれを羽のように背中に付けて飛んでみたいですわ!)
アドリアナはもう、ローランの筋肉に首ったけだ。
「デュヴァル卿。もしこの後も一人でトレーニングを続けられるのであれば、私もご一緒してもよろしいでしょうか?」
「……え?」
「ぜひデュヴァル卿のトレーニングを拝見したいですわ。私、まだまだ自分の筋肉に満足しておりませんの!」
「……楽しくはないですが、どうぞ」
「ありがとうございます!デュヴァル卿の筋肉、私の理想なのですわ!」
アドリアナの満面の笑みに、ローランは照れたように頬を掻く。見た目の豪快さとは反対に、反応が可愛らしいローランに、アドリアナの心はくすぐられていた。
***
夕刻、訓練が一段落すると、ローランは肩で息をしながらも姿勢を崩さなかった。汗で濡れた髪が額にかかり頬を伝う。その姿を見たアドリアナは、胸が高鳴るのを抑えられなかった。
(まあ…! この規律正しさこそ、まさに筋肉を鍛え上げる者の神髄ですわ! 一つ一つの動きに隙がない…。その姿勢ごと、私の理想だわ!)
うっとりと見つめていると、ふとローランと目が合った。
「ご令嬢は、本気で強くなろうとしているのですね」
ローランがぽつりと呟く。
「ええ、生涯筋肉を磨き続けると決めておりますの。デュヴァル卿のように、誰にも恥じぬ身体を築くために」
アドリアナの瞳は真剣だった。その熱に押され、ローランは一瞬言葉を失う。だがやがて、小さくその口元を緩めた。
「……明日もともに鍛錬できるのを楽しみにしております」
「はい! ぜひお願いしますわ!」
その瞬間、アドリアナは自分の胸に温かな感情が広がるのを感じた。その感情の名前はまだ分からない。けれど彼の筋肉への敬愛の他に、淡く芽生えた感情が確かにそこにあった。
こうしてアドリアナの更なる筋肉への道は、思いがけない感情を帯びて幕を開けたのだった。




