第十話 筋肉令嬢と野盗退治
馬車を降りると、頬を撫でる風が気持ち良い。王都にはない自然の空気を胸いっぱいに吸い込みながら、アドリアナは大きく深呼吸をした。
「アディ、初めての郊外はどうだい?」
「とっても空気がおいしいですわ!連れてきてくれてありがとうございます、お父様」
アドリアナに続いて、父アルマンが馬車を降りる。そしてのびのびと笑っている娘の姿を見て、彼は微笑んだ。
「アディが野盗退治に名乗り出たときはどうしようかと思ったが、アディも立派なドラクロワ家の人間だ。実戦は経験しておいて損はない」
「ええ。私、頑張りますわ!」
事の始まりは一昨日の夕食のことだった。領内のとある村から、野盗の出没が報告されたとの話題が出た。
『あの村のあたりは食料地帯だからな。野盗被害が続くと、食糧問題に発展しかねん』
『じゃあ俺が野盗退治に行ってきましょうか?』
険しい顔の父アルマンに、長兄ドミニクが名乗り出る。それに対し父は首を横に振り、視察も兼ねて自分が行くと答えた。
『でしたらお父様。私も連れていってくださいませんか?』
『アディを!? 野盗が出る危険な場所だ! だめだ、だめだ!』
『でもお父様。筋肉名門の娘たるもの、実践の経験は必要ですわ』
『そ、それは…』
『それにその辺の野盗にやられてしまうほど、お父様は私が弱いとお思いですの?』
ドレスのフレアスリーブをめくり上げ、アドリアナは力こぶを作って見せる。その上腕には、なだらかに盛り上がった丘があった。
『く…っ、実に美しい上腕二頭筋だ…! ――分かった。一緒に行こう、アディ』
ということで、馬車で移動すること丸一日。アドリアナと父アルマンは野盗退治に来たということであった。
「アディ、まずは村長のところに行こう。野盗の詳しい話を聞かねばならん」
村の一番奥にある家を訪れる。出迎えてくれたのは四十代くらいの男性だった。村長だというその男性は、野盗の被害について困り顔をしながら話した。
「――ふむ。納税分や王都に納品する作物が狙われているのだな?」
「はい…。そのせいで、追加で出荷することになり…村の食糧事情が悪化しております」
「すぐに対処する。苦労をかけたな」
「とんでもございません…! ありがとうございます…!」
翌朝、アドリアナと父アルマンは目立たない服装に着替えて、野盗が出没するという林で待機していた。
『いいかい、アディ。野盗は背後から首元を狙うんだ。我々の筋肉を持って相手を気絶させるんだ』
『分かりました、お父様。――私の上腕と前腕の筋肉が鳴りますわ!』
初めての実践に、緊張で息が少し早くなるのを感じながら、アドリアナは前を向いた。
(それをいうなら『腕が鳴る』なんだがなぁ。可愛いなぁ、アディは)
そうこうしている内に、作物を運んだ荷馬車が村側から現れる。そしてちょうどアドリアナたちの前を通過したとき、林の反対側から数人のごろつきが現れた。
「へっへっへ。また懲りずにやってきたぜ」
「またオレたちが有り難くいただいてやらぁ!」
「で、出たぁ!!」
荷馬車の馭者には、一目散に逃げるように言い付けてある。無防備になった荷馬車を見てごろつきたちは、これ幸いと言わんばかりに作物を漁りだした。
「アディ、行くぞ」
「はい、お父様」
二人は同時に地面を蹴って駆け出す。鍛え上げられたハムストリングがしなり、抜群の瞬発力を生み出す。そしてあっという間にごろつきの背後を取り、二人はごろつきの首元を腕で挟んだ。
「ぐえっ!?」
一瞬にして空気の供給が止まる。みるみる青くなって白目を剥いていくごろつきの顔を見ながら、アドリアナは驚いていた。
(な、なんですのこの弱々な殿方は…!? まだ半分も力を入れていませんのよ!?)
見た目は大柄なのに、いざ掴むとぷよぷよなごろつきの身体。アドリアナがそんなことを思っている内に、父アルマンは二人目の退治を終えていた。
(さすがお父様ですわ! 筋肉の使い方まで鮮やかだわ!)
負けてはいられないと、アドリアナも二人目のごろつきに手を伸ばす。そうしてごろつきは大した抵抗もできぬまま、筋肉親子に退治されてしまったのだった。
(あんな簡単に気を失ってしまうなんて…まるで以前の私を見ているようですわ! ――ああ、鍛えてあげたい!)
知らず知らずのうちに滲んでいた汗を拭いながら、アドリアナは息をつく。こうして彼女の筋肉布教への思いは、ますます高まる。
そしてごろつきは問題なく衛兵に引き渡され、村には平和が戻った。村人たちから感謝の見送りを受けながら、ドラクロワ親子は帰途につく。
「アディ! 初めての実践とは思えないほど、実に素晴らしい筋肉さばきだったぞ!」
「ありがとうございます、お父様。これも日々の鍛錬の賜物ですわ!」
「この調子なら、ドラクロワの騎士たちと一緒に訓練するのも良いかもしれんな」
「まあ! お許しくださるの!? ずっと一緒にトレーニングがしてみたいと思っていましたの!」
新たな筋肉の境地に達することができるかもしれない。もっと自分の筋肉を試してみたいという思いを胸に、アドリアナは初仕事を終えたのであった。




