賢さんの女房
今日は金曜日! 私、しろかえでの“女のドラマシリーズ”です!
大将から『義姉さん』なんて言われたら立場が無い!
ヤクザ者の“姐さん”じゃあるまいし
と言い包めて『加奈ちゃん』と呼んでもらったこのバイトも……もうすぐ終わりを告げそうだ。
大将が新しい伴侶を娶ったら……天国に居る冴子の気掛かりも解消されるだろう。
そうしたら私は元の職業に戻って働くだけ……
今の時代、看護師は“引く手あまた”だし、幸いな事に私自身の体も……規則正しい生活と大将の素晴らしい腕から供される絶品の賄いのお陰で随分元気になれた。
大将から卒業すると言う事は……
亡き妹の冴子を通じて結んだ縁をも解くと言う事……
ずっと年上の義弟だった賢二さんと完全な他人となる事。
でも、たまには……
お店に呑みに行こうかな。
そしたら私も……
ちょっと馴染みの客の体で
大将の事を
『賢さん』って呼べるかな……
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「お待たせして申し訳ございません。今日のお通しと『菊宵』の特別純米を人肌一合です」
「忙しい所、すまないねぇ~」とにこやかに返してくれる常連の英さんにお猪口を渡し一献差し上げながら「私の“人肌”なので時間掛かっちゃいました」と冗談を言うと
英さんはお猪口を手に嚙み締める様に頭を振った。
「若女将が亡くなって……後を追う様に大女将も亡くなって、さすがに灯が消えちまった様になったけど……今じゃすっかり元通りだ! オレは元より大将の腕のファンだけど、ここに集う奴らの中には、温かい大女将と可愛らしい若女将が目的の輩も少なくは無かったからなあ」
「まあ、大将はあの通り寡黙だからねえ」とウィンクして見せると
「おうよ! だけど加奈ちゃんは“温かさ”と“可愛らしさ”の両方を振り撒いてるからよ! オレは見ていてホッとできるわけよ!」
「お店を……そんな風に気遣ってくれてありがとうございます。あと、バイトの私にまで過分なお褒めを下さって……」
「過分でも何でもねえよ! オレだって加奈ちゃんに惚れてるよ!ホントはオレが嫁に貰いたいくらいによ!悔しいがオレは女房持ちだから……代わりに加奈ちゃんに縁談を持って来たんだ!」
「アハハハ!私は昔っからいわゆる“結婚願望”ってのがまるで無くて……『独りで生きていける様に』って看護師になったんです。だからこのバイトもそろそろ辞めて元の仕事に戻るつもりなんです」
「それは……若女将が紡いだ縁を手放すって事かい?」
「ええ、そうです! これ以上居ると……妹や義理の母を侵してしまいそうで……思い上がりですね!これって……」
「それを思い上がりって考えちまうんなら、どうだい!『お見合いのフリ』だけでもしてみねえか?加奈ちゃんが“身を引く”言い訳にもなるんじゃねえかい?」
「そうねえ~大将にもお見合いの話が来てるらしいから……いい潮時かも」
「決まりだな!加奈ちゃんは端から断るつもりなんだから相手は誰でも良いだろ?田んぼの中の案山子でもさ!」
その英さんの言葉に私は吹き出した。
「ええ、英さんだって構いませんよ」
「だったらオレは加奈ちゃんを愛人にしちゃうぞ!」
「それも悪くないですね」
との冗談でこの話は終わった。
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お客様が引け、暖簾を取り込んだ店内。
私が椅子をテーブルの上に乗せ、丹念に床掃除を始めると、大将が仕込みの手を止めてカウンター越しから私に言葉を投げて来た。
「加奈ちゃん!もう遅いんだし、そんな事までしなくていいよ」
「大将だって仕込みしてんじゃん!」
「オレは、店に泊まる事もできるからさ」
「じゃあ、私だってできるよ。ここの二階は私が掃除してるんだから何の問題も無い。そもそも私は看護師で夜勤も慣れてるし、前の職場では二人で一緒に休憩室で仮眠してたよ」
「オレはナースじゃねよ」
「でも、同じ職場でしょ?!」
「じゃあ聞くが……“ナースマン”とも同じ部屋かよ?」
「まあ……それは無かったけどね。でも大将は冴のダンナだったんだからさ!間違いは起こりえないでしょ?!」
「そりゃ……冴の写真が置いてあるところで……何かするわけねえだろ?」
「じゃあ……冴の写真が無かったら?」
「どういう事だよ」
「どういう事って!大将、今度、お見合いするんでしょう?」
「ああ、常連さん達の義理でな」
「きっかけは義理でも……縁なんて分からないものよ。そのままお付き合いすれば……いつかは“何かする事”になるかもしれない」
「……考えられねえな」
「そんな事、言わないの! 年下の義姉として言わせてもらうけど……あなたが他の誰かと一緒になったら……冴は……妬くかもしれないけど、絶対怒ったりはしない!……冴が入院した時は……節子さんのお体もかなり悪くなっていたから……独りになってしまうかもしれないあなたの事を……冴は最後の最後まで本当に心配していたの!!」
「悪かったな、加奈ちゃんにも心配の掛け通しで」
「ホント!そうだわね。でもこれでやっと一安心! 私も今度、英さんの紹介でお見合いする事にしたの!」
「えっ?!」
「何よ!そんなに驚かないでよ!」
「冴から『昔っから姉さんは結婚しない派だ』って聞いてたから……」
「まあ、そうだったんだけど……私も身内が誰も居なくなると、寂しくなってさ」
「オレが居るだろ?!」
「もう……その縁も卒業だよ」
私のこの言葉に、大将は珍しくため息をついた。
「ちょっと、飲まないか?」
こうして二人、今仕込みをしている牛すじ大根の味見を兼ねて、多七の生酛純米酒を燗にして差しつ差されつが始まった。
「もしオレ達が丸っきり赤の他人だったらどうなっていたと思う?」
「どういう事?」
「例えばオレが事故かなにかでケガして、加奈ちゃんの居る病院に入院して……」
「止めてよ!縁起でも無い!」
「じゃあこうしよう! ここに吞み助の加奈ちゃんが一人で入って来たら?」
「吞み助は余計だけど……きっと意気投合しちゃっただろうね。で、翌日から常連さん!」
「それは間違いないな」
「大した自信ね」
「ああ、腕には自信がある。ただそこから先がな……」
「そこから先?」
「口説く自信がねえや」
「なんだ、そんな事か……」
「そんな事とは何だよ!」
「知ってた?私は実は肉食系でさ、言い寄る自信はあるよ」
「そいつは頼もしい! 確かに牛すじがお好きだからな!」
「失礼ね!大根だって好きよ!」
ここで二人、笑い合った。
「まあ、どれもこれも……もしもの話だ! お互い、お見合い頑張ろうぜ!」
けれどその深夜……私は初めて“賢さん”の寝息が聞こえる距離に居て……枕を涙で濡らした。
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英さんのクルマで湯の町温泉ホテルへ連れて来られた私は、クルマの中からロビーに佇んでいる“その人”の背中を見た。
スーツの上からでも分かるガッシリとしたその体躯、ワイシャツにほんのり掛かっている愛おしい襟足……
「余計な事を……」なんて憎まれ口をきいて俯いたけど、涙がポタリ!と膝に落ちた。
「どうする?」
「決まってんじゃん!」
私はクルマを飛び出して賢さんに向かって真っ直ぐに駆けて行って……驚く彼の胸元へ飛び込んだ。
それから数日経って……お店を貸し切りにした『新女将のお披露目会』で挨拶に立った英さんの
「私達、常連はこの一年余り本当にヤキモキさせられましたが……お二人の“ムズキュン”は実に美味しい酒の肴でした」
との第一声で、私は柄にも無く耳まで真っ赤になってしまい……
その時の写真を
「酒を飲んでも滅多に赤くならない女将のレアガチャ」として額に入れてお店に寄贈されてしまった。
その額には「寄贈 常連一同」と彫られているので外すわけにもいかないのだが……
その額と今の私の顔を見比べて
「加奈ちゃんはますます可愛いなあ」って言うのが賢ちゃんの日課になってる。
まあ、いいんだけどね♡
おしまい(^_-)-☆
甘めのお話にいたしました(#^.^#)
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