付き合いはじめた彼氏が私のその部分ばかり好きすぎる
待ち合わせ場所に着くと、もう彼は来ていた。
「克彦さん!」
私が手を振ると、心から嬉しそうな笑顔を見せてくれる。
彼とは10日前、マッチングアプリで知り合った。
3日後に初めて実際に会い、将来のことを前提に付き合ってほしいと言われ、私は快諾した。
とても優しくて、誠実そうなひとだと感じた。爽やかな笑顔が夢見心地にさせてくれる。
彼のことをもっと知りたい、私のことをもっと知ってもらいたい──。そう思いながら出かけた二度目のデートだった。
カフェの席で向かい合って、互いのことを話した。私が「猫が好きだ」と言うと、ちょうど猫を飼っているよと彼が話す。
「わっ! どんな子? 写真ある?」
「あるよ。見る?」
見せて見せてと私がねだると、自分のスマホを取り出し、見せてくれた。
ロシアンブルーのかわいい顔の子だった。
私は顔を綻ばせながら、しかしなんだか気になった。かわいい子なんだけど、なんだか生気を感じない。瞳に感情がない。ぬいぐるみみたいだ。
他の写真を見れば印象が変わるかと思って、つい、画面を右にスワイプしてしまった。
見知らぬ女性の写真が現れた。
どこかの海辺をバックに、風で飛びそうな白い帽子を手でおさえ、かわいらしい笑顔を浮かべて、まっすぐ写真を撮る彼を見つめている。
「……これ、誰?」
思わず問い詰めるように私が聞くと、彼は画面を見て「あぁ」と笑った。
「元カノだよ。……勝手に他の写真も見るなんて、ひどいなぁ」
「ご、ごめんなさい……。つい、猫さんの他の写真もあるかと思って……。でも──」
勝手に見たことは謝った。
でも……、納得はできない。
「私なら、元カレの写真なんか1枚も保存しとかないけどなぁ? もしかして、元カノさんにまだ未練があるとかですか?」
「そんなんじゃないよ」
あくまで彼は優しく笑う。
「じゃ、なんで? まだ好きじゃないなら、さっさと消しちゃえばいいのに」
「まぁ、まだ好きではあるかな」
「はぁ?!」
「唇が、ね」
うっとりしたような笑いを浮かべて、彼が言った。
「ほら見て? 唇の形がさ、とても綺麗でしょ?」
そんなことを言われても写真の中のそのひとの唇の形なんて、遠くてわからない。それ以上にどうでもいいと思った。
「ふ……、ふーん……。このひとが好きだったっていうより、このひとの唇が好きだったわけ?」
そのキスの味が忘れられないのかな……。そんなことを思いながら私が聞くと、彼は照れたように笑いながら、うなずいた。
「そうだよ。唇だけが好きだったんだ」
凄いこと言うな……。
こんなひとだったんだ……。
やめとこうかな、と思いながら、彼にスマホを返す。「唇フェチなの?」と、皮肉を込めながら。すると──
「そんなんじゃないよ」
スマホを持つ私の手を、優しく握ってきた。
「玲奈さんは……手が綺麗だよね」
彼の両手が包み込むように私の手を握り、味わうように撫でる。その温かさに、その力強いのに優しい動きに、私はうっとりとさせられてしまった。
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それから1週間後──
二回目のデートには、彼が一眼レフのカメラを持ってきた。
冬牡丹の咲き誇る公園で、私の写真を撮ってくれるというので、私もとっておきのお洒落をしてきた。
「じゃあ、これを持って」
彼にチュロスを渡された。
美味しそうなので私が食べようとすると、制止される。
「違う、違う! それを持ってる君の手が撮りたいんだ」
彼は何かというと私の手を褒める。
嬉しいけど、気になってしまう。
「ねぇ」
彼が好きなのは私なのか、それとも私の手なのか──と思い、聞いた。
「克彦さんて……女性の手フェチなの?」
「そんなんじゃないよ」と、彼が優しく笑う。
わかってる。
彼が好きなのは女性の手なんかじゃなくて、私の手なんだよね。
確かに私は手が自慢だ。ほっそりと形がよくて、肌がすべすべ。特にケアしてるわけでもないのにいつでもしっとりしてる。
でもそんな一部分じゃなくて、私のすべてを見てほしいとも思ってしまう。
冬の花を背景に、彼は私の写真を撮りまくった。
「どんな写真撮れた? 見せて」
私が言うと──
「後でプリントしたら見せるよ」
そう言って、1枚も見せてはくれなかった。
まるで隠すように─
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今日は彼との四回目のデート。「楽しい場所へ連れていってあげる」と言われ、わくわくしながら出かけた。
「ねぇ、どこ行くの?」
「秘密」
だんだん不安になってくる。
彼の運転する車は、夜の町を抜け、街灯もない道を走りはじめた。
民家の明かりもなくなり、何も景色は見えなくなった。
「……帰る」
なんだか悪い予感がして、私は言い出した。
「ごめんなさい。ちょっと用事を思い出しちゃった」
「帰さないよ」
あかるい声で、彼が言う。
「期待しててよ。ちゃんとした楽しいところだからさ」
古い倉庫らしき建物の前で彼が車を停めた。
「帰る!」
とても嫌な予感に襲われ、私は声をあげた。
「普通じゃない! こんなの……。何? 何をするの?」
「写真を撮るだけだよ。ここが僕のスタジオなんだ」
「どんな写真!? やだ! 離して!」
「離さないよ」
彼が私の手を強く握りながら、あくまで優しく、言った。
「玲奈の手は僕のものだ」
倉庫の中に入ると、人が立っていた。
よく見ると人ではなかった。人間の剥製だ。
つぎはぎだらけで、目も鼻も唇も、別々の人間から剥ぎ取ったもののようだ。
傍らにはロシアンブルーの猫が動きをかためられてお座りをしていた。
人間の剥製にはまだ手首から先が、なかった。
窓から射し込む月明かりの他に、私たちを見ているものは何もなかった。
「とりゃあ!」
私の上段回し蹴りが炸裂した。テコンドーをやっててよかった。