それはまるで喜劇のようで
卒業パーティーというのは人生に一度の舞台だ。
友と言葉を交わす者もいれば、将来の為に意見を交わす者もいる。その中で最も目立つのは、隣に婚約者ではない桃色の髪の少女を連れ、堂々と壇上に立つこの国の第一王子だ。
周囲の注目をわざわざ集めて、次期国王になるべく育てられた彼はその顔を喜色に染めて、言い放った。
「俺は『真実の愛』を手に入れた……良い王になる事を誓おう。故に、我が愛に対しての所業は許すわけにはいかない!婚約破棄だ!マーガレット!貴様のような悪女には二度とこの国の土を踏ませんぞ!」
「……それが殿下の答えなのですね」
マーガレット、と呼ばれた少女は正式な第一王子の婚約者である公爵令嬢だ。
可憐で聡明な彼女は、是非にとの王家からの嘆願によって幼い頃に第一王子の婚約者となり、年頃の反発心を持つ第一王子をそれでも、と支えてきた。
どんなに疎まれても、凛とした彼女は皆の憧れの令嬢とも言われていた。
そんな彼女は今、長年の献身を無碍にされ、その美しい顔を俯かせていた。
「今更殊勝になっても遅いぞ、これは決定事項だ」
得意げに言う第一王子に異を唱えようとしても、あの公爵令嬢ですら切り捨てられるこの状況で周囲は動けない。
誰もが拳を握り、歯を噛み締めて堪えているその場に、一人の救世主が現れた。
「兄上にそのような決定権はありませんよ。既に父上から廃嫡された貴方には……衛兵、痴れ者を拘束しろ」
アンドリュー第二王子。優秀でありながらも、即妃の子であるという点で王位継承権を持たない彼は、マーガレットの肩を支えてその隣に立った。
――携えるのは王印の押された書状。
「なんだと!一体どういうことだ!っ離せ!何をしている!俺は王子だぞ!」
「婚約者を蔑ろにして現を抜かすに飽き足らず、王が決めた婚約を勝手に破棄するこの所業を、父上が許すとでも?この卒業パーティーは貴方に与えられた最後のチャンスだったのです」
王族やその婚約者に護衛や資質を確かめる監視がいない訳はない。国王は、全てを知った上で最後のチャンスを与えた。
それは温情であり、試練。
心を改めて婚約者に謝罪と誠意を持った言葉を掛ければ及第点、『真実の愛』とやらを貫くにしても、正式な手続きと覚悟があれば多少の蓄えを渡して王国のどこかの領地を与える。
そんな親の愛による実に甘い試練。
――第一王子は、最悪の選択をし続けた。
「そんな、バカな……」
「殿下……疎まれていても、私は、確かにお慕いしておりましたわ……こんなことになって本当に残念です」
愚かな浮気者に対しても、その目に涙すら浮かべるマーガレットに周りは感激し、彼女に寄り添って支えていこうと心に決める。
あの第一王子ですら、諦観を浮かべて自身の身に起こった事を受け入れると決めた。
「……仕方が、ないな……リナ、王子でなくなった俺に付いてきてっ……?!リナ!どこだリナ!」
「彼女は糾弾が上手くいかないと悟った瞬間に逃げましたよ。その程度だったんですね、兄上の言う『真実の愛』とやらは」
しかし、『真実の愛』はそうではなかった。
権力も、愛も失った彼は憔悴して衛兵に連れられて会場を後にする。
「……こうなる前に止めることが出来ていれば……私も次期王妃として失格ですね……」
「いいえ……貴女程に優秀で、慈悲深い次期王妃に相応しい女性はいませんよ。兄上がいけないのです。貴女に愛されている栄誉を自覚していなかったのだから……」
「アンドリュー王子……」
「僕ではいけませんか?」
「えっ……?」
「貴女の心の隣に僕の居場所が欲しい。……どうか僕の手を取ってください」
膝をつき、アンドリュー王子が求婚する姿は、両者の美しさも相まってまるで一枚の絵画のように見えた。
「…………はい」
恥ずかしがりながら求婚を受け入れたマーガレットに感極まったアンドリュー王子は彼女を力強く抱き締めた。
周囲はその光景に次代の訪れを感じ、拍手を送るのであった。
――まるで茶番ね、馬鹿みたい。
パーティーに参加していた皇国の令嬢はその光景を眺めて、自身も拍手を行いながらそう思った。
――『真実の愛』とやらで全てを失った第一王子も、漁夫の利とばかりに令嬢と王位を手に入れた第二王子も、自身の失態をチャンス等という言葉で隠した国王も、慕っていたと語った口ですぐに次の愛を受け入れる慈悲深いご令嬢も、喜劇としてなら多少は笑えそうね。
それにしても、と彼女は思う。
逃げた女は追わないの?
自分のように他国の人間がいるのに誰も口止めに交渉を持ち掛ける者はいないの?
そもそも、何故護衛や監視がいながら第一王子に近づける女がいたのかしらね?
「お時間です、お嬢様」
「あら、もうそんな時間?まだ遊びたかったのに」
つまらないわね、と彼女は告げて未だ拍手鳴り止まない茶番劇の会場を後にする。
「やあ、おかえりルーシー、留学は楽しめたかい?」
「まぁお父様、えぇ……そうだわ!領地で開催しましょう!とっても面白い喜劇があるのよ?」
「おや、それはいいね。だけどねルーシー、君はジオ君に会うのが最優先だよ?」
「ジオが会いに来ればいいのよ。簡単でしょう?『真実の愛』よ」
「そう言うと思って会いに来ましたよ。先触れくらいは出してくれると嬉しかったんですけどね」
「あら?私の婚約者は未来の妻の行動も読めないのかしら?」
ひどいわ。なんて笑う彼女を見ると、ようやく帰ってきてくれたのだと実感する。
彼女の思いつきはいつも突然で、刺激的と言うには心臓に悪い。今回の件も、先代に比べて能力の劣る現王と次期王の資質を見るのだと議会に提案して、ただの皇国の令嬢としてすぐに王国に留学をしたのだ。
――結果として、資質なしと判断されたあの王国は近々皇国の領地に加わることになるだろう。
「彼らも可哀想ですね。蝶よ花よと愛でられて鳥籠の中で過ごしていたのに、いつの間にか擬態した猛獣が近くに居たんですから」
「まぁ、なんてひどい!最愛の婚約者を猛獣呼ばわりだなんて!お父様に言いつけますわ!」
「ははは、猛獣扱いで良かったじゃないか。私はもっと、こう、毒か何かでもいいと思ってるよ」
「なっ……もう、ジオ!どうにかしなさい!お父様がひどいわ!」
表情をころころと変えて、僕やお義父様……皇帝陛下に対して怒る姿はまるで普通の少女だ。
「……今回は、随分楽しそうですね」
「?……えぇ、滅多に見れないでしょう?あんな喜劇なんて。思ったより退屈しなかったわ……ジオ、もしかして妬いてしまったの?」
「不甲斐なさを感じているだけですよ。君を退屈にさせてしまった事にね」
もしも、彼女がこちらで楽しい事を見つけていたらこんな事にはなっていなかっただろう。
確かに、能力のない王が上に立つよりはマシかもしれないが、急な変化に王国の民がついてこれるかはまだ分からない。
逞しい民なら何事もないだろうけど、何か起きないとも限らない。
そうなれば婚約者である僕の責任だ。
「いいえ、違うわ。貴方妬いているのよ……貴方以上に貴方を知っている私がそう言うのよ?間違いないわ」
楽しそうに嘲笑う彼女に、僕の醜い嫉妬心を見抜かれて動揺する。
「ほら、正直に言いなさい。怒らないわよ?」
「……敵わないな。そうです、嫉妬してます。いくら喜劇でも、そんなに君を笑わせたのが他の男だというだけでね。正直な所、君をもう一歩も外に出したくないです」
思わずといった感じで目を丸くした彼女は、流石に自分の婚約者がこんなに鬱屈とした感情を抱いているとは思わなかったのだろう。
――退屈を嫌う彼女には到底耐えられない生活だろう……そもそも、婚約者とはいえ遥か格下の男爵家の次男の僕が思う事も許されない事だ。
よもや陛下のいる前で言ってしまった。僕の首が飛ぶだけならまだいいんだけどな。
「…………いいわよ?」
そんな思いがけない言葉に耳を疑ったのは仕方ない事だろう。
「いや、え……?」
「だから、いいわよって言ったの。まさかそんなに貴方に好かれているとは思っていなかったわ」
「……思ってなかったんですね」
「馬鹿ね、私の都合で振り回しているのに好かれるだなんて思うわけないじゃない?貴方の事だから多少の情くらいはあると思ってたけど……」
「退屈、嫌いですよね。外、出れなかったら退屈ですよ?」
「それはそうだけど、でも貴方がいるんでしょう?……ならいいじゃない」
「……思ったより僕の事気に入ってますね」
元々は彼女の指名によって決まった婚約だ。今も続いている辺り飽きられていないのだろうとは思っていたけど。
「……何よ、知らなかったのね。ひどいわ」
ふい、と顔を背ける彼女の耳元は赤くて、僕は最初の顔合わせの時を思い出した。
『今日から貴方は私のものよ。いいわね』
『は、はい!』
『まずは、そうね私の事どう思う?』
『え、えっと、まるで……花のように可憐で、えっととてもうつくしくて』
『正直に言いなさい、怒らないわよ』
『え?……か、かわいい、です。ホントに』
『そ。陳腐ね……許します』
「……別に、閉じ込めたりなんてしませんよ。嫉妬はします。けど、貴女が笑っているのが一番なんです……僕の事はよくご存知でしょう?」
「えぇ……まぁ、そうね…………別に良かったのに」
そんな感じで、僕にも分かるくらい生温い雰囲気を醸し出していると、うぉっほん、とわざとらしい咳払いが聞こえた。
――そうだった。陛下の前でする話じゃなかったなこれ。
折角両思いが分かった所なので、殴られる事でなんとか首は死守したいと思っていると、陛下は安心したかのように笑顔になった。
「ははは、良かった良かった!最初が最初だから妙に拗れてるとは思ったが、なんとか収まる所に収まったね。その調子でこのお転婆を頼むよ」
どうやら、僕達二人の気持ちは全部バレていたらしい。
――この子にしてこの親あり、といった所か……
流石は陛下だ、と感心していると扉がノックされる。
「あら、来たわね。待ってたわよ!」
「ご機嫌麗しゅう皆様方」
「堅苦しい挨拶はいらないわ!貴女の話が聞きたくて呼んだのよ!」
そんな彼女の言葉をしれっと無視して、桃色の髪の少女は陛下から促されてから顔を上げる。
「此度の件についての報告に参りました」
「ああ、よろしく頼むよ。中々の喜劇だと聞いている」
言葉を無視されて少しむくれた彼女は、僕の手を取って席につく。
ちらりと少女の方を見るが表情は読めない。
けど……
――相変わらずやり手だなこの人……沸点ギリギリの見極めが完璧だ。
だからこそ、あの王子を不憫に思う気持ちもあるのだ。
聞いた話だと婚約者とも上手くいっていない王子らしいし、この人が本気で嵌めてくるなら余程じゃないと無理だろうな、なんて自身の過去を振り返りながら思う。
「さあ、聞かせてね?私の知らないあの茶番劇の事。とっても楽しみよ」
だけど、結局は立場のある者なら責任を持って行動すべきだったのだ。
いくつものチャンスは与えられていたのだから。
数カ月後、とある皇国は更に自身の領土を広げたが、無血開城のそれは平民にとっては大して騒動にはならず、むしろ食料品などの価格が安くなった事で生活に余裕が出来たらしい。