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出会い

 起きた時、心臓が高鳴っていた。

 時計は一時間だけ進んで、部屋に月明かりが差している。咳払いを一つしたついでに体を起こし、片足だけソファから降ろす。記憶は確かで、今いる場所も、松方や母の事もきっちり覚えているけれど、はたと気付く。

 僕はなぜ目を覚ました? 汗をかいたせいか尿意もないし、体も頭も疲れ切って、これっぽっちの睡眠で足りるはずがない。確か物音を聞いて、あれは例えば扉を開け閉めする時の、キイ、という蝶番のきしむような。

 体がこわばる。僕はなぜ、目線を動かすのをやめた? 視界の端に、人影を見付けたからだ。暗いリビングと廊下の合間に、小さなシルエットがある。


「だれ」


 僕じゃなく、それが声を発した。細い声と体格は子供のもので、少なくともサエセンじゃない。


「おっさんじゃないでしょう」


 台詞の意味はわからないし、僕の不法侵入という状況もまずいけれど、それ以前に大きな問題として、なぜそこにいる? どうやって入って来た? 僕はさっき、確かに施錠してチェーンロックまで掛けた。例え合い鍵を持っていても入れないはずだ。

 こっちの疑問などお構いなしに人影は、なぜか左腕を前方に突き出したまま、妙にぎこちない歩き方でゆっくり近付いて来る。小さい体に、だぶだぶのトレーナーをひざ辺りまで着て、足もとは裸足だ。ボサボサの長い髪で顔の半分も隠れているが、とにかく小学生くらいの女の子に違いない。僕の脱いだズボンを踏んづけて、テーブルを手で触りながら、ソファに座る僕の前に立った。


「だれよ」


 そういえば僕は裸だったんだと思い出した時、少女が今まで後ろに回していた右腕を振り上げ、その手に握られていた包丁が網戸越しの月光を照り返すと、僕の脳天を目がけて振り下ろされた。


「うお!」


 とっさに体をひねって飛び退いたが、それは僕の左腕の肉を約十センチ、しっかりと切り裂いた。よろめきながらも足を伸ばして反撃すると簡単に当たって、少女の軽い体が後ろに転がり、そのはずみで凶器を手放すのを見た。

 慌てて詰め寄り、小さな加害者に覆いかぶさって向かい合う。少女はその時々で、ひ、は、と声を上げていたが、僕は無傷の右手でその口をふさぐ。叫ばれていい状況じゃない。

 肩口の下から出血して、徐々に湧き上がって来る熱と痛みに歯を食いしばりながら、両手で顔をガードしている少女を見下ろす。近づいてみると何だか小汚いというか、ぼさぼさのロング髪や、肌や服にも細かいごみが引っ付いている。


「ひっ、ひいっ」

「おい」


 何から訊けばいい。何一つ状況が掴めない中で、一番の疑問はどれだ。君は誰だ、サエセンの娘なのか、彼はどこへ行ったのか、どうやって家に入ったのか、何で襲ってきたのか。他には何だ。


「目、見えないのか?」


 包丁を拾い直さなかったし、つむった両目を一度も開けていない。すると彼女は震えながら頷いた。さて、どうする。

 知らない子供に包丁で切りつけられて、出血量はなかなかのものだ。例えば通り魔に襲われたとしたら急いで救急車と警察を呼ぶのだろうが。

 僕は彼女から体を離し、包丁は向こうへ蹴飛ばして、ガラス戸にもたれて座り直した。傷口を押さえても血が止まらず、次々と床に垂れる。同じように体を起こした少女の目は閉じられたままだ。


「ごめん。怖がらせるつもりじゃ、なかったんだ」


 彼女からすれば、迷惑な話じゃないか。他人が家に上がり込んでいるという恐怖を与えてしまった。泥棒か、もっと凶悪かもしれない相手に盲目の子供が立ち向かって、少々反撃されたからといって責める権利もないだろう。

 何かで聞いた止血方法を思い出して、右手で脇を圧迫してみるが、上手く効果が出ず、ならばとシャツを肩に巻き、袖を噛んでぎゅっと縛る。白いシャツがみるみる赤く染まっていく光景が不安だ。


「何を、して……」

「ちょっとね、血が出ちゃってね」

「わ、私が、刺したから」

「大丈夫、君のせいじゃない。でも病院に行くと、この傷だと、警察沙汰になるかもしれなくてさ。そしたら君にも面倒がかかるだろうし、ここで何とかしたいんだけど、どうかな。救急箱なんて置いてないかな」


 少女は首をかしげる。教師の家だし、何かしら用意があると思うのだけれど、目が見えないならわからないのかもしれない。


「じゃあね、ちょっと自分で探すね。いいかな」


 立ち上がって薄暗いリビングを見渡すが、ティッシュさえ見付からなくて、キッチンとの仕切りに置いてあったトイレットペーパーで傷を押さえる。この状態で救急箱を探すのはきついが、止血しないまま意識を失う事は避けたい。

 ふらふらと書斎のような部屋に入って、酒瓶の並んだ棚で葉巻のセットを見付けた時に、嫌なアイデアが湧いた。ため息を吐いてそこから銀のライターを取り、ついでにウォッカの瓶を掴んでリビングまで戻って、脱ぎ散らかした服のそばにあったバッグから、ピンク色のポーチを取り出した。

 サエセンめ。学校では人気教師、休日は3LDKの部屋で酒と葉巻をたしなみ、唐突に娘を置いて失踪だ。愉快な生き方じゃないか。こっちは今から、自分の傷の縫合だ。

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