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透明人間に語る

 眼鏡の女の子は、川沿いの寂れたバッティングセンターには不似合いな客だった。他には会社帰りのサラリーマンと、野球部員らしい高校生二人組がいるだけ。

 学校じゃ上手くやれない彼女だ。大人しい性格なのに、いつも派手なグループの一番後ろをついて歩き、誘われるままに授業をさぼって遊びに付き合う。きっと流されて少しだけを染めた彼女が、今は黒い帽子を目深に被って、下手くそなフォームでバットを振り続けている。


「満たされてる子は、ああいうキャップの被り方はしないよな」


店外の暗がりから、ネット越しに彼女を観察していた松方は笑う。


「駅前のバッセンなら五球多く打てるっていうのに、こんな店に来てる理由も同じだ。向こうは学校の連中に会う確率が高いからな」


時には社会人のそれより複雑な女子高生の人間関係に揉まれて、かなり溜まっているのだろうと言う。また当たり損ないを打った彼女に、野球部員達が隣の打席から声を掛け、わきが開いているよとからかった。


「一理ある。帰宅部の女子にダウンスイング求める奴もアホだけど、あれじゃ金がもったいない」


 くり返したファールとそんな野次のせいで、彼女の背中がいら立っている。最後の一球は見逃してバットを置いた。二セットで四十球、会心の当たりはないまま帽子を被り直してボックスを出ると、野球部員の呼び声に振り返る事なく、自転車に乗って去って行った。


「変わった子なんだよ」


 と、松方悠馬が言う。駐輪場には前かごにエナメルバッグを突っ込んだ、野球部員達の自転車が止めてある。


「でも面白い。つるんでるのは一年の時からのドロップアウト組。まあ、お前も知ってるか。橋田ってあの中だと子分みたいな感じだろ、流されて加わってるみたいな」


 橋田杏里というのが彼女の名前だった。二年B組で帰宅部、優等生でないという以外に目立つ特徴はない。


「最近は違うんだよ。仲間とクラスがばらけて、一念発起したんだろうな。ちょっとずつあいつらと距離を置き始めて、授業をちゃんと聞くようになって、塾にまで通い始めた」


 ストレスは溜まるらしいけどな、と皮肉に笑いながら、無施錠だった野球部員の自転車を川まで押して歩く。


「学校なんかつまらない奴ばっかりでさ、ああいう観察しがいのある子を見つけるとほっとする」


 そう言いながら大きく振り回して放った自転車は、川辺の斜面を激しく転がって、排水設備にぶつかって止まった。無残にフレームが変形し、バッグは川まで落ちて流れていく。


「俺さあ、最近ちょっとおかしいんだ。サエセンの事があっただろ」


 失踪したと噂されている教師の話だ。気さくな性格で人気のある古典教師だったが、授業中に突然話を止めて、十秒黙ったあとで教室を出ていき、そのまま二週間も姿を見せない。たまたま教卓の正面の席だった松方は、教室から去る直前の彼のつぶやきを聞いた。


「もういいや、ってな。まあ、あの人のはただの職場放棄だけど。俺はさ、いつまで続けるのかって思ってたんだよ。子供の時からずっと優等生でやって来て、勉強して愛想笑いしてさ、もしかしてこれ、一生続けなきゃいけないのか、とかな。でもあの日から、『もういいや』が頭を回るんだ。勉強も集中出来ないし、夜なんか色々考えちゃって、そういう時はもうペン置いて散歩する事にしてるんだけど」


 成績優秀で人付き合いも上手なこの男の行き詰まりを、まして他校生の自転車を破壊するような暴力衝動を、学校の連中は誰も信じないだろう。


「昨日はあの子が見えたよ」


松方悠馬は透明人間に語る。散歩ついでに橋田杏里の家まで行き、二階の部屋の明かりを見上げていた事を。


「ちょうど外の空気でも吸いたくなったのかな。窓枠に手をついて、夜空なんか見上げて。なあ、ああいうのって嬉しいもんだな。運命的っていうかさ、二階にあの子がいて、俺は暗闇から見上げてって、まるでロミオとジュリエットみたいじゃないか」


バッティングの金属音が響く夜の川辺には、六月の生温い空気が停滞している。その運命が悲劇として書かれたものである事に、彼はまだ気付かない。

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