六.裏切り者がいる
見てしまった。
と言うより、見せつけられた。そう言った方が正しいのだろう。流れ者を中心に、ついにイナホの里の人どもは、氏神をその手にかけた。狂ったような熱が人どもを支配して、否応なくホヅミのような子どもまでが流れ者の思想に染まっていく。
「ハヅキ…」
熱狂を受け入れられずにいたホヅミは、意を決して里を出た。
彼らは続けて氏神を殺して回るなどと、熱に浮かされた目で語っている。そんなのはおかしい、と言った、まだ正気だった大人は殺されてしまった。ホヅミもそれを見ていた。
吐き気がする。
仲間を殺すのも、氏神を殺すのも。そこには、何の意味も無いのではないか。
農作物を収穫するのも、獣を狩るのも、確かに命を奪うことだけれど。命は巡るのだと、氏神は教えてくれた。だからこそ無駄なく使い、食べ、感謝を捧げるのだと。
それならば、あれは何だというのだろう。氏神を殺し、仲間を殺し、ただ打ち捨てるだけのあの行為は。
「気持ち悪い。」
ホヅミは泣きながら走った。早く、一刻も早く、ハヅキに知らせないと。きっと、ハヅキも同じように感じてくれるはず。亜人たちはまだ、氏神と良好な関係を保っているのだから。
「裏切り者がいるな。」
流れ者は呟いた。こっそりと里を抜け出したホヅミに気付いた里人が、そっと報告したのだ。
裏切り者、の言葉に近くにいた里人どもが騒めく。
「ヒノキの里がある方角へ向かったようだ。」
静かな物言いは、今の熱狂している里人を刺激したのか中でも好戦的な者どもが徒党を組み始めた。流れ者は人心を誘導するのが上手かった。誰もそれに気付かないほどには。そうして血の気の多い者どもに問いかける。
「裏切り者を生かしておくべきだろうか?」
と。場の雰囲気は、異物を認めないような排他的な感情で支配されている。老若男女問わず、流れ者に従う信者のようになっていた。流れ者も分かっている。あの問いの答えを。分かっていて言葉にしたのだ。そっと背中を押すように。
「我らが後を追いましょう。そうして鬼どもと合流する前に。」
一人の男が力強く言い切った。言外に、必ず仕留める、という意味を込めて。その言葉に、流れ者は満足そうに頷く。
「相手は子供のようだが、油断はするな。鬼どもの間者が潜んでいるかもしれないからな。」
流れ者のその言葉を、有難そうに聞き、掛け声をかけあって一部の男どもは武器になりそうな物を手に取りホヅミの後を追うために里を出た。
イナホの里とヒノキの里は遠くは無いが、ホヅミのような子どもには楽な道のりではなかった。人の目につかないように獣道を選んだこともある。ホヅミは必死に駆けた。これ以上誰かが犠牲にならないようにしたい、そう考えながら。ハヅキに会いたい、そうも願いながら。
子供の足と大人の足の差は、ホヅミに絶望を与えるには十分だった。その上、追う側は複数人で広範囲に広がりながら捜索しているのだ。見付かってしまうのも、分かり切ったことだった。
あと少し、もう少し、ヒノキの里はもうすぐ目の前に。
もう少し走れば、ハヅキのいるヒノキの里なのに。
「この裏切り者が!」
男の野太い怒声が響いた。