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鬼人の恋  作者: 渡邉 幻月
人ノ部 其之壱 神々の黄昏を先導する神の子
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四. 死とケガレ

 親神がお隠れになった時も寂しいという感情はあった。悲しいとも思った。けれど、どうしようもないことだと分かっていても、翁と媼が旅立ってしまったのは親神と別れた時以上に悲しくて、身を切られる思いだった。

 暫くして行商に出ていた翁と媼の息子であるヲノが帰って来た。ひどく落ち込んで家の隅で蹲っているヒルコを見付けて、駆け寄って声をかける。

「ソウズカってとこに行っちゃった。」

「ああ、そうか。それで父さんも母さんも居なかったんだな。」

家の中を見渡して納得したように彼は言う。

「そうか、俺は間に合わなかったんだな。」

納得はしていても、悲しいものは悲しい。肩を落として、ヲノはそう呟いた。

「連れ戻せないのかな。」

ヒルコはヲノを見上げる。ヒルコはまだ、納得も諦めることもできないでいる。

「…人が死ぬのは避けられないんだって。」

ヲノは困ったように視線を逸らす。出来ることなら、ちゃんと別れの言葉を交わしたかった。だからと言って、どうしようもない。氏神であるワタツミ様でさえ、怪我や病気を治すことは出来ても、死の運命は変えられないのだという。あまりにもひどい怪我の場合は、絶命する前にソウズカへ運ぶことが決まっているし、治せない病の場合もそうだ。そんなにたくさんではないけれど、何人かは既にソウズカに送っているのだ。今さら、今さら自分の両親だけ返して欲しいだなんてどうして言えるだろうか。どうして、一番最初に寿命が来たと告げられた人がいた時に、ソウズカ送りに反対しなかったのだろう、とヲノは後悔した。家族は嘆いていた、でも他人事だった。今さらだ。


「今さらなんだよ、ヒルコ。」

ヲノはそう言うと、かつて寿命が来た人がソウズカへ旅立つのをただ見送ったことがあるのだと告白した。

「自分だけが、なんて言えないだろう?」

涙が止め処なく流れているヲノを見て、ヒルコはそれ以上何も言えなくなった。悲しいのも寂しいのも、辛いのも自分だけではないのだ。


 数日後、ヲノが行商に出たのを機に、ヒルコも旅立つことにした。目指すのはソウズカだ。今さら翁と媼だけ死の運命から逃れることは出来ないというのなら、誰も居ない人里離れた場所に逃げればいいのではないか。ソウズカから逃げ出して、後からヲノも呼んで四人で暮らせばいい。二人がソウズカを目指して旅立ってからもう数日経ってしまっているが、走って追いかければ追い付けるだろうとヒルコは考えている。目と腕は潰されたが、脚は無事だった。ヒルコ自身忘れそうになっていたが、神であるので人よりも速く走れるし休む必要も無い。

 身支度を整えて、遥か南のソウズカを目指してヒルコも里を後にした。


 どこまでも続く草原を駆け抜け、川を越え、森を抜ける。昼夜を問わず走り抜いて、辿り着いたのはソウズカの河原だ。ここまで翁と媼の姿を見かけなかった。わざわざ道なき道を行くはずも無いだろうから走っただけでは追い付けなかったのだろうと、ヒルコは肩を落とした。だが、まだだ。とヒルコはソウズカの先へ視線を向ける。


 葬頭河(ソウズカ)は、昼だというのに冥い色をしている。河原は他では見たことが無いほど荒涼としている。ソウズカの先には少し離れて鬱蒼と茂る森が見えた。あの森の中に、翁たちはいるのだろうか。ヒルコは迷わずソウズカを渡り森の中へ足を踏み入れた。

 日が傾くにはまだ早いというのに、木漏れ日さえないせいか夜のように暗かった。片目でも、人よりは夜目が利く。ヒルコは構わず森の中へ中へと進んでいった。


 暫く進むと、少し開けた場所に出た。そこには少し大きめの山小屋のようなものが建っていた。

「おや、お若いの。新入りかい?」

不意に声を掛けられ、ヒルコは驚いて声のした方を向く。そこには翁と同じくらいの年齢の老人が居た。見たことが無いので、きっと他の里の者なのだろうとヒルコは考える。

「…新入り?」

「氏神様に余命を宣告されてきたんじゃろ?」

「いえ、そう言うわけでは…」

「む? それはイカン、早く戻りなされ。お若いの、命を無駄にしてはイカンぞい。」

ヒルコの答えに、老人は慌てて元来た方向へ押し出そうとする。

「あ、あの、なんで、」

「む? もしかしてここがどこだか分かっとらんのか?」

老人はヒルコの様子に怪訝そうに首を傾げる。ここは寿命がある者は決して近寄らない、ソウズカの先にある死者のための森だ。

「そうですね…」

ヒルコの答えに深い溜息を吐くと、老人はこの森について説明を始めた。この森について何も知らないから入り込んでしまって、立ち去ろうとしないのだろうと判断したからだ。


「この森はな、もうすぐ死ぬもののための森なんじゃよ。あそこの小屋で寝起きして、死んだらな、生き残ってるモンが南にある谷へ捨てに行くんじゃよ。まだまだ死ぬ予定のないモンには辛い場所じゃ。早う帰ると良い。」

「捨てるって…」

「知らん方が良いと思うがのう。」

「みんな?」

「そうじゃな。人も亜人も変わらんじゃろうな。亜人は寿命が長いからそんなにここには来ないけれどもな。」

「翁と媼は…」

ヒルコの真っ青になった顔を見て、誰かを追いかけて来たと悟った老人は、

「悪いことは言わん。帰った方が良い。お若いの、あんたが探しに来た相手も、きっと見られたくないはずじゃ。わしも、あの谷のことは見られたくないぞい。」

「翁と媼には合わない方が良い?」

「そうじゃな。」

「…谷を見たいって言ったら困る?」

「見るまでは居座りそうじゃのう…」

老人は深い溜息を吐くと、見たらすぐに帰るという約束を守るなら、と条件を付けて谷へ案内すると答えた。


 南の果て、世界の果てにある死の谷。死と言うケガレに侵された、と言うのは神々の言であるがこの世界を支配する神々の言葉であるが故に否定もできない。ケガレている死体は全てこの死の谷へ捨てられる。

 では、捨てられた死体はどうなるのか。それは、谷の底に住まう“邪鬼”と言う存在に骨も残さず喰い尽くされるという。神々もその存在を認めていないという、穢れた存在だと、老人はヒルコに説明した。

 目の前には、暗く深い谷があった。肉を食み、骨を嚙み砕く音が時折谷底から聞こえてくる。全身から血が引いていくような、目の前が真っ暗になるような、その絶望も通り越した感情にヒルコは膝から崩れ落ちた。

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