レベル7 うたた寝
「御仁、お待ちくだされ」
白ヒゲのスライムが、俺にそう呼びかけた。
メス・スライムの姉妹も少しかしこまったふうになる。
「最長老。あの……」
「よい。話は聞いておったわい」
白ヒゲは杖をつきつつ、ものものしく答えた。
「して、そちらの御仁。なにやらウチの村の者がずいぶん世話になったようですじゃの。かたじけのうございます。……ほれ、マチコ、チカコ。お前らもちゃんとお礼を言わんか」
「あ、ありがとうございました」
「ふんっ……ありがと」
少しは当人のマチコはともかく、妹のチカコは唇を『ε』っと尖らせて不満そうだ。
「さて、こちらとしてはお礼をせねばなりますまい」
「え? いいえ、それほどのことはしていませんので」
と恐縮する俺。
「いや。世話になったスライムにはなにかお礼をしなければならぬというのがこのスライ村の掟。このとおりなにもないところですが、どうか我が村に泊まっていってくだされ」
「まあ。そこまで言うなら……」
と答えつつ、俺は姉妹の方をチラっと見やる。
「……?」
「??……なによ」
つーか、これはよく考えてみれば願ってもないことかもしれん。
だって、オスとメスが一晩同じ屋根の下で寝ていれば、最初はイヤがっていても、けっきょくはプニプニする流れになるものだろ。
オスとメスなんてそんなもんさ。(童貞談)
あわよくば、姉妹二匹いっぺんにということも……
むふふ♪
◇
「どうですじゃ?我が庵は」
「はぁ……」
俺のエッチなたくらみは、しかし、泊めてくれる家が姉妹のそれではなく、白ヒゲんちだった……という、当然といえば当然の事由によってあえなく破綻した。
「落ち着きのある、イイお家じゃないっすかね」
「そう言ってくださるとありがたいですじゃ。さっ、お飲みなされ」
とくとくとく……
と言って最長老は俺のちょうしに酒を注ぐ。
「……」
んぎゅ、んぎゅっ!……ぷはぁ!!
「おお、なかなかイケるクチですな」
お酒は生まれて初めて飲んだけれど、意外とウマい。
心なしか頭の尖りも調子よくなってきた気がする。
ぷるん♪ぷるん♪
「ううむ。これでは足りなくなりそうですのう。おーい!」
「はーい」
……ガラ!
最長老が呼ぶと、一匹のメスが酒をもって入ってきた。
「熱くなってますよ」
メスは三十がらみの、お尻の大きい、しかし仕草がとても上品なスライムだった。
ガラ……
「あの女性は? まさか最長老の……」
「勘弁してくだされ。あれは息子の嫁ですじゃ。もっとも、その息子はもう経験値になってしまいましたがのぅ……」
……とくとくとく
また、俺のちょうしへ酒を注ぐ最長老。
「それにしても御仁……」
「スラです」
「これは失礼、スラ殿。スラ殿がこのスライ村で生まれ育ったという話は本当ですかな?」
「もう400年前に出ていったきりでしたがね」
「ぶっ!」
なんか知らんけど、最長老は急に酒を吹き出した。
「400年!?そんなにも長く初級冒険者の経験値にならなかったスライムなど、聞いたことがありませぬぞ?」
「いや、山奥で修行してて冒険者にエンカウントしなかっただけっスよ。それにあなたこそ、村の最長老なんでしょ?」
「ワシなどスラ殿にくらべたら……ほんの76歳ですじゃ」
76歳か……
俺がそれくらいの年には、まだ体当たりで崖も打ち崩せず、悔し涙を流していたころだったなあ。
「その76年とて、ワシは逃げて逃げて逃げ続けただけなのですじゃ。仲間たちはみんな、勇敢で気のイイやつほど先に経験値と化していった。そして、息子も……。あとに残るのはワシのような臆病なスライムだけというわけじゃから、皮肉なものですよのぅ」
「……」
それを言ったら俺も同じだ。
この最長老が76歳で『最長老』なんだったら、やっぱり俺の知ってたヤツらはみんなとっくの昔に経験値になったのだろう。
きっと母さんやスラ子も……
そのあいだも俺は山でのうのうと修行を続けていたんだから。
「でも、俺はジイさんイイやつだと思うぜ」
「スラ殿……」
こうして俺と白ヒゲは酒を酌み交わしたのであった。
◇
それから。
白ヒゲはみごとに酔い、眠ってしまった。
「しょうがねーな。修行でもすっか」
俺はそうつぶやいて、最長老の家をしばし外出することにする。
あたりはすっかり暗かった。
村は寝静まり、月はおぼろである。
立つ家なんかは全然違って、地形すらも同じではないけれど、道には端々《はしばし》に名残があった。
俺は、村のわきを流れる川の河原へゆくことにする。
子供のころは、よくみんなで遊んだ場所だ。
「さて、と」
俺は河原へ着くと、質量操作の修行から始めた。
質量操作は、その名のとおり、俺の体重を変える修行である。
いや、『体重を変える』と言っても別にデブになるとかじゃない。
デブになってもイイっていうなら、大量の水を飲みこめばいいワケで、そんなの簡単すぎだろ。
じゃなくって、俺のこのスマートなボディはそのまま、体重だけ変化させるのが肝なのだ。
キュイイイーン……
「む、むむむ……」
しかし、この修行もだいたい250年ぐらいのときにヤバイことに気づいたのだった。
というのも、あまり質量を高めすぎると、俺の『引力』で周辺の物質を引きつけてしまい、あたりがメチャクチャになってしまうからだ。
だから、俺は今度、逆に質量を極限まで低下させる修行に入った。
これは、限りなく質量を低下させるところまでは簡単なのだけれど、
『0』
にするところが難しい修行であった。
俺という存在はあるのに、質量を0にするというのは、なかなか難しいのである。
ポイントは『リラックス』だ。
ふにゃあああ……
今日は酒のおかげか、そこらへんすごく調子がよくって、すぐに質量『0』を達成することができた。
「よし。今日はこんなところでいいだろう」
俺はクールダウンで少しシャドー・スライミングしたのちに、そろそろこの河原を去ろうと思って振り返る。
が、そのときだ。
草葉の陰に、一匹の若いオスのスライムが立っているのが見えて、俺はふと足を止めた。
スライ村にも、こんな夜に修行をしようという若者がいるのか。
感心、感心。
瞬間はそんなふうに思ったのだが……
そのスライムの顔をよおく見ると、俺は自分の頬から血の気が引いてゆくのを感じた。
「ご……ゴン吉!」
そう。
そこに立っていたのは……経験値になったはずのゴン吉だったのだ。
「!?……スラ蔵、スラ吉、みんな!!」
さらに気づくと、いつのまにかゴン吉の横には、このふるさとで走り回ったかつての仲間たちがそろって立っているのである。
みんな若く、俺の方を見て、うっすらとした笑みを浮かべていた。
「なんだ? なにが言いたいんだ?……なんでもイイから、なにか言ってくれよ! な? ゴン吉! スラ蔵!」
俺は声もわれんばかりに叫ぶ。
しかし、彼らはなにも言わず、ただ草の隙間から俺の方をジッと見ているだけだった。