出会いと反抗期
勅使河原 陸は緑豊かな農村地域で農家の次男として生まれた。
そして、それと同時に陸の中にマシロとクロナも誕生した。
しかし陸がマシロとクロナの存在に気付くのは、これから約十五年後の事である。
そのきっかけは、陸の反抗期であった。
***
「陸ー、ご飯出来たわよ。降りてらっしゃいー」
階段下から聞こえる母親の声に応えることなく、陸はゆっくりと自分のベットから起き上がった。
最近はなんだか、家族と会話するのがとてもダルい。
これと言ったきっかけがあった訳でも、家族の対応が変わった訳でもないのに、常にイライラして心の中がなんだか騒がしい。
食事中も家族との会話はほとんど無かった。
食卓には俺と母親と姉の三人がいたが、母親が「ご飯美味しい?」「最近学校でどうなの?」と話しかけて来ても「うん」や「あぁ」と短く返すのみで、ちゃんと会話をする事はなかった。
この短い言葉ですら酷くダルい。
食事を終え部屋に戻り、またベットに寝転がる。
「うぜぇ…」
誰に言うでもなく、ポツリと言葉が零れてしまう。その言葉に引っ張られるように、気持ちもどんどん苛立っていく。
最近はこんな事の繰り返しだ。
コン、コン、コン──
その時、ドアをノックする音が聞こえてきた。
返事もせず無視をする。
コン、コン、コン──
すると再度、ドアをノックされた。
先程よりも強い音で。
それにも無視していると、ガチャっと勝手にドアを開けられた。
うちは玄関とトイレ以外にはドアに鍵が付いていないので、入ろうと思えば簡単に部屋に入られてしまうのだ。
「おい、何勝手に入って来てんだよ!」
部屋に入って来たのは三つ上の姉、渚だった。
「もう、起きてるなら返事くらいしなさいよ!」
「チッ…」
「あー、また舌打ちして!」
「うっせぇな…」
「口が悪い!」
そう言うと渚は、俺の頬をギュッと引っ張った。
その手をすぐに振り払う。
「何すんだよ!用がないなら出て行けよ」
すると渚は腰に手を当てながら「用ならあるわ」と、少し怒った口調で言ってきた。
俺は反対に寝返りを打ち、渚に背を向けた。
それでも渚は構う事なく、俺の背に向けて話し始めた。
「陸、最近ちょっと態度悪いよ。そうゆう年頃だってのも分かるし、あんまり口うるさく言いたくないけどさ、せめてお母さんの話くらいはちゃんと聞きなさいよ」
「……」
あぁ、まただ。
「お母さん、陸の事心配してるんだよ。食事の時も全然喋んないし、ほとんど部屋に籠ってばっかで全然出て来ないし」
〖────ですよ……〗
「……」
酷くイライラする。
「学校の事とか、進路の事とか話しをしたいのにって言ってたよ」
【………しちゃえ────】
「……」
心の中が騒がしい。
「陸、いま受験生なんだよ。どの高校行くかとか、ちゃんと考えてるの?」
〖──お姉さんの話も、ちゃんと聞いて……〗
【………なんだから、好きにすれば────】
「……」
あぁ、うるさい。
「勉強とか分からない所あれば、私が教えるからさ」
〖こんなに陸さんの事、考えてくれているんですよ。お母さんだって心配しています。とても素敵な家族じゃないですか〗
【はぁ、そんなのウザいだけでしょ。自分の人生なんだから、自分の好きな様に生きればいいのよ。誰かに指図なんてされたくないわ】
心の奥から聞こえてくる。なんなんだ、この声は。
「ねぇ、陸。聞いてるの────」
〖「誰か」じゃなくて、家族ですよ。確かに陸さんの人生ですけど、家族なんだから心配して当然です〗
【それでも、色々口出されるのは煩わしいわ】
〖クロナさん、そんな事言ったらダメですよ。悲しいです〗
【なんでマシロが悲しむのよ】
クロナ?マシロ?
〖だって僕達は陸さんの中にいるのだから、陸さんが感じる喜びも悲しみも一緒に受け止めているんです。家族にしてしまった悪いと思う態度や言葉は、陸さん自身にも返ってきて苦しんでいるんです〗
【そんなの自業自得。ってゆーか、気にしなきゃいいのよ。自分の事だけ考えて、相手の事は気にしないのが一番。そうすれば陸が苦しむ事なんてないし、私達も気楽に過ごせるわ。それに天使であるマシロは気になる事かもだけど、私は悪魔だからそもそも気になんてならないのよ】
俺の中の、天使と悪魔…。
〖そんな事ないですよ。クロナさんだって、陸さんの事ちゃんと気にしているはずです〗
【はぁー、そんな事ないわよ!】
〖そんな事ありますよ〗
【どうしてよ!】
するとマシロと呼ばれている天使が、優しく微笑んだ。その慈しみに満ちた笑顔は、本当に天使そのものだった。
〖だってそうでもなければ、こんなにムキになって話したりしませんよ。本当に気にしていないのであれば、僕の話も無視すればいいのに。そうしないのは、陸さんの事や陸さんの家族の事が気になっているからでしょう〗
その言葉にクロナと呼ばれている悪魔が、苦い顔をした。噛み締めた唇からチラッと見えた八重歯は、まさに悪魔のように鋭く尖っていた。
しかしクロナの反応は、そんな八重歯すらチャームポイントに見えてしまうほど可愛らしいものだった。
【ななななにそれ!そ、そんな事ないし。別に気になんてならないし!今度から、マシロの言葉も無視するし!家族とかどーでもいいし!】
慌てて取り繕うクロナの言葉は、内容とは裏腹にマシロの言った事を肯定しているように聞こえた。
〖そう言いながらも、またクロナさんは僕と話してくれるんですよね〗
【はぁー、話さないし!もう口聞いてあげないから!】
そう言うとクロナは頬を膨らませ、プイッとそっぽを向いた。
その姿はまるで駄々をこねる子供のようで少し可愛いかった。
するとマシロはそんなクロナの頭に、そっと手を乗せて優しく撫でた。
〖そんな事言わないで下さい。口聞いて貰えないのは寂しいです。僕はクロナさんともっとお話したいですよ〗
【…えっ】
〖僕はクロナさんとお話するの大好きなんです。元気で真っ直ぐで明るいクロナさんと、これからも沢山お話したいですよ〗
【そ、そうなの?】
〖はい、そうです。だって僕達は陸さんの中で一緒に生まれた、まるで家族みたいなものじゃないですか〗
【私とマシロが、家族?】
〖僕はそう思っています。クロナさんは嫌ですか?〗
【べ、別にそんな事ないわ!マシロと家族でも良いわ!】
クロナは緩んだ口元を必死に引き締めながらそう言った。
〖良かったです。だから、クロナさん。陸さんも、大切な家族とちゃんとお話が出来るように僕達が応援してあげましょう〗
クロナはまだ少し悩んでいたが、どうやらマシロの真っ直ぐに見つめる瞳に勘弁したようだった。
【分かったわよ!今回だけよ。今回だけ特別に、応援してあげるわ!】
〖はい!ありがとうございます〗
この瞬間、俺の心にあったイライラした気持ちが一気に抜けていくのを感じた。
「────陸。──陸!大丈夫!?」
ハッとして振り向くと、渚が心配そうな顔で俺の名前を呼んでいた。
「どうしたの、陸。ボーッとしてたみたいだけど、大丈夫?」
「えっ?俺どれくらい、ボーッとしてた?」
「えっと二、三秒位じゃない?」
「あぁ、そっか…」
「それより、私の話聞いてたの!?」
俺は寝転がった体を起こし、渚に向き直った。
「ごめん。心配してくれて、ありがとう。ちゃんと母さんとも話をするよ」
急に姿勢を正し態度を直した俺に渚はかなり驚いた表情をしていたが、すぐに「うん。困った事があれば言うのよ」と声を掛けてくれた。
その日からと言うもの、ずっと感じていたイライラした気持ちはどこかに行ってしまった。
その代わりに、優しく穏やかな気持ちになる事が多くなっていた。
どうやら俺の中には、天使と悪魔がいるらしい。
優しく穏やかな天使、マシロ。
気性が激しく口の悪い悪魔、クロナ。
性格も真逆で如何なる点においても对を成す二人だが、どうやら仲が悪いわけではないらしい。
例え対立しても最後には丸く治まってしまうのだ。
そしてどうゆう訳か、マシロに軍配が上がる事がほとんどだった。
俺の中の天使と悪魔。
どうやら悪魔は、天使の事が好きなのかもしれない。