たき火おばさんの番
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
子供は風の子、元気な子とは、みんなもよく聞く言葉だと思う。
子供は風の中でも、遊び回れるほどの元気のシンボル。ゆえに家の中で縮こまっていることなく、外で遊ぶべきだ……という注意ごとの意味合いで使われることもあるだろう。
すると、子供側でも考える人がいる。自分たちだけ追い出して、どうして大人はぬくぬくしているのだろうかと。
実はかのことわざには、もともとの形がある。
「子供は風の子。大人は火の子」というのがそれだ。
子供が風の中で元気に動ける一方で、大人は火の近くから離れることができない。
要は、子供は強靭で大人は軟弱ということを、如実に現した言葉であるともいえよう。歳をくえば身体は衰え、心はこわばって、いずれにしてもあったかい場所にいたくなるもんだ。
けれど、実際の意味はそれだけにとどまらない。
火は一歩間違えば、すべてを焼く災いとなる。その近くにいるべきは大人であり、また火をあおる風は、子供ともども遠い場所へ置いておく。そんな戒めと役割を暗示する意味もあったかもね。
この火の番について、最近奇妙な話を聞いてね。君たちも耳へ入れておかないかい?
先生が実家に帰った時、父が話してくれたことだ。
父が小学生だった当時、北海道に住んでいたらしいけれど、そこでは「たき火おばさん」という女性がしばしば近場に姿を現していたという。
河原で、畑の真ん中で、彼女は火を焚きながらうずくまっているんだ。
岩など燃えにくいものに囲まれがちな前者はまだしも、後者などは何に燃え移るか分からない。
何度か警察沙汰にもなったと父はウワサで聞いたけれど、実際に目撃したことはない。
おばさんはいつも黒い帽子に、黒のアンサンブルと、まるで葬式から帰ってきたかのような格好だ。両親に近寄らない方がいいと注意され、父は遠巻きに彼女を見ることしかしない。
よほど木の集め方、組み方がよいのか、おばさんのたきぎは煙をほとんど出さない。彼女が座り込んだ場のすぐ近くで、だいだい色の火が立ち上り続けていた。
おばさんのたき火は、冬になると火の回りに落ち葉を集め始める。
この時期ばかりは、父たちもおばさんのたき火に感謝した。彼女の火は何メートルも離れたところでも、そのぬくもりを感じられるほど、強いものだったからだ。
特に冷え込む朝早くや、夕方ごろに出会えたのなら僥倖。友達と一緒に、他の人の邪魔にならないところで足を止め、漂うぬるい空気に、束の間浸かることもしばしばあったという。
けれど、何度か体験してみて気づく。
どうもこの暖かさ、自分たちのような子供以外に味わえていないようだと。
そばを通る大人たちは、上着の端を握りしめたり、ポケットの中に手を突っ込んだりして、けわしい顔で肩をいからせながら、先を急いでいく。
内心、どれほどのことを考えていたのか分からないけれど、少なくとも寒風吹きすさぶ中で出会う、ぬくもりの間で取れるような姿勢とは思えなかった。先を急いでいたとしても、不審感から自分なら足を緩めるなり、周囲を見やることくらいはするだろう。
それが全然ないんだ。
父の友達もそのことに気づいたようで、少しずつたき火おばさんから距離を取り始めた。
たぶん、彼らは「おりこう」だったのだろうと、父は話していたよ。危うきを察すれば近寄らず。自分を安全な方向へ導いていけるタイプだと。
しかし当時の父を含めた数名は、刹那的で即物的。その場で心地よい思いができればオッケーで、そのためにおばさんのたき火を利用することに、抵抗はなかったらしいのさ。
けれど、その状況を変えていく事態が起こる。
暖房の流行だ。父たちが学生生活を送っている間に、オイルショック後の石油の価格が安定したことで、暖房を置く家の数が急激に増えたそうなんだ。
おばさんのたき火が人気を博していたのは、全身をまんべんなく暖めてくれる利点があったからだ。
当時の父の家は「こたつ」がメインの暖房器具。つまり足元近くしかカバーすることができず、入りきらない腰から上は厚着をするなどして対策をしていた。その手間をはぶいてくれるおばさんのたき火は、実に重宝するものだったんだ。
しかし、父親の家に導入されたのは、当時は最新式だったというセントラルヒーティング。
熱源で温めた温水を、パイプを通じて各部屋のパネルヒーターへ。それによって屋内全域を暖めるという試みだ。
つまりは家じゅう、どこにいても「おばさんのたき火」を味わえる環境となったんだ。
外の寒さも相まって、たとえおばさんを見つけても、近づく理由がなくなる。屋内から屋内へ。許す限りの速さをもって逃げ込むことが定石となり、とうとう父もおばさんと縁遠くなって久しくなったころ。
数年後。
久しぶりの暖かい春の日に、父は土手を歩いているとき、珍しくたき火おばさんを見付けた。
あいかわらず、喪に服したような黒ずくめの格好でうずくまっているけれど、その目の前にするたき火は、これまでにない弱弱しさ。いくら十数メートルは離れているとはいえ、これまでとはかけ離れた小ささで、目を凝らさなくては見えないほどだったとか。
そして、あの温さももう感じない。
これまではたとえ周囲がもとから暖められていようと、身体があらかじめ火照っていようと、おばさんのたき火はひと浴びすれば、すぐにそれと分かる空気を伴っていたんだ。
父がいまだ動かないおばさんの姿に、つい足を止めてしまうのと、たき火の火が完全に消えてしまうのは、ほぼ同時だった。
とたん、おばさんの身体はそのままの姿勢で崩れ落ちてしまう。
比喩じゃない。形を失い、高さを失い、身に着けるアンサンブルがぱさりと岩の上へ落ちたとき、彼女の肉体はすっかり消え去っていたんだ。
驚いた父は、土手を駆け下り、おばさんの元へ向かって二度びっくりすることになる。
おばさんの残したアンサンブル。それは服ではなく、黒く薄く残った、炭と灰たちが集まったものだったからだ。人が羽織れば、そのもろい身体は重力に引かれ、たちまちこぼれ落ちて、形も残さず崩れてしまっているだろう。
父ははじめて、おばさんがたき火していた現場をまじまじと見る。
そこには薪をはじめとする、燃料やその痕跡がない。多少、どけられた岩たちに囲まれて存在するのは、火が出ることなど思いもよらない、ぬかるんだ泥たちの肌がのぞくだけ。
子供は風の子。大人は火の子。
おばさんが絶えず、離れずにいた火は、おばさんそのものだったのかもしれない、と父は思ったそうだ。おばさんがこの世にいられる、命の炎そのもの。
そして自分たち子どもは、その火をあおることのできる、風としての存在を果たしていたのかもしれない。それがこうしてみんなして遠ざかるようになった結果、たき火おばさんはここにあり続けることができなくなってしまったのだと。