鏡にも我慢の限界がある
「ねえ、『ニャニャ』って呼んで?」
「なっ……、なんだよ、いきなり?」
「ねえ〜……! 『ニャニャ』って、呼んでよぉ〜」
「きっ、君の名前は『菜々』だろ! 大体、猫じゃなくて、人間だ!」
菜々はおお〜きく溜息をついた。こいつ、ノリが悪すぎる。そりゃ、みんなからは『菜々』って呼ばれてますよ。そりゃ当たり前。ふつーに、だってそれが名前だからね。
でもね。あたし達は、ふつーの関係じゃなくない? 恋人同士って、ふつーの関係じゃなくない? だからね、特別な呼び方で呼んでほしいの。あたしもあなたのこと『ピッピ』って、呼ぶから。
「ねえ、ピッピ」
「違うよ。俺の名前はけんじだよ。どうしたらピッピになるの」
「いいから! ピッピ」
「……はい」
「ピッピ、ピッピ〜」
「何でしょう?」
「何って……呼んでみただけ!」
けんじは手鏡を取り出した。駅前の、通りのど真ん中で。どこにそんなものがあったのかはまったくわからなかった。
「鏡、見てみろよ」と、けんじは言った。
「どういう意味?」と、菜々は不機嫌になった。
「これを見れば、お前が『菜々』なのか『ニャニャ』なのか、はっきりすると思う」
「どういう意味!?」菜々は苦しそうに声を張り上げた。
「いいから!」
「ニャーー!!」
鏡に映った己の姿を見せられ、菜々は悶絶しそうな声で叫ぶ。
「かわいいニャー!!!♡」
「……なんてナルシストだ」
「ねーねー、知らないの? あたし、ろこみでも四つ星でかわいいって評判なんだよ」
「『ろこみ』って何だよ」
「えー? そんな言葉も知らないのー? 常識だよ。『褒めログ』とかのろこみだよ? 今時『ロコミ』も知らないなんて、ピッピ、信じらんなーい」
「あ。口コミか」
冗談だよ、冗談。っていうかボケだよそれぐらいわかれ。菜々は再び思ったのだった。この男、ノリが悪すぎる。そう思って、手鏡をけんじのほうへ向けた。
「なっ、何だよ?」
「見てみ」
菜々は言った、冷めた顔で。
「ここにどんっっっだけ!ノリの悪い男の顔が映ってるか、見てみ」
けんじはそこに映る自分の顔をまじまじと見ると、感想を言った。
「いや、今日も、化粧のノリがいいなって、思うけど?」
「化粧してるんかーいっ!」ビシッ!
ボケられて、菜々は初めて気づいた。そうか、私達は、私がボケで、けんじがツッコミ。けんじの下手なボケに私がツッコむことだって出来る。実は相性いいんじゃな〜い♡
それを終始見せられていた鏡が、遂に限界を超えて割れた。