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元サラリーマン、ロシア空母を検討する(1)

 私の名は市ヶ谷岩雄、かつてはただのしがないアラフォーサラリーマンをしていたが、今は違う。

 今はその生涯に幕を閉じ、転生後の新たな人生を歩むための一歩を踏み出している。


 その一歩とはつまり、転生後の異世界に連れて行く現代空母を選ぶ事だ。


 とはいえ考慮の末にアメリカ海軍のワスプ級強襲揚陸艦がベストではないか? との結論にいたったが、まだ結論を早急に出す時ではない。


 アメリカ以外の国の空母も検討すべきであろう。


 そんなわけで今回はロシア空母を検討してみようと思う。

 うむ、ロシア空母……これはミリタリ界隈にとっていつだって争いの火種だ。


 何せ、世の中には2種類のミリオタが存在するからである。

 まずは欧米をはじめとした西側諸国の兵器や軍隊を好むミリオタ。

 そしてもう一方はソ連/ロシアをはじめとした東側諸国の兵器や軍隊を好むミリオタだ。


 この両者はなぜか常に対立する。

 全部が全部、そうではないが……どういうわけか対立する。


 これには、いわゆる東側諸国の情報が日本にはあまり入って来ないという事情も絡んでいるのだろう。

 そんなわけで、多くの西側諸国の兵器や軍隊を好むミリオタにとっての東側諸国、特にロシア海軍に対するイメージが東西冷戦時のソ連末期からアップデートされていないのだ。


 ゆえに西側諸国の兵器や軍隊を好むミリオタは常々、ロシア海軍を老朽化したソ連兵器や艦艇をいまだ装備していると揶揄する。

 そして、当然ながら日本をはじめとした欧米諸国の大多数のミリオタたちが知らないだけでロシア海軍は当たり前だが近代化を果たしている。


 そんな近代化を果たしているロシア海軍を知っている東側諸国の兵器や軍隊を好むミリオタ達にとって、東西冷戦時のソ連末期からアップデートされていない情報でロシア海軍を小馬鹿にして語る西側諸国の兵器や軍隊を好むミリオタ達は忌むべき存在なのだ。

 だからSNSなどで彼らは常に対立する……争いが絶えることはないのだ。


 さて、ここまで言うと「ではお前はどうなのだ?」と疑問が湧くだろう。

 うむ、その質問にはこう答えよう。


 私は東西の陣営関係なくすべての全通飛行甲板を有する空母型艦艇を愛している! と。

 これ以外に答えが必要か?



 さて、それはさて置きロシア空母であるが……現在のロシアは空母を1隻しか所有していない。

 それどころか歴代の建造された空母をすべてあげても両指で数えられる程度しかないのだ。


 そんなロシア空母であるが、空母の取得を検討し、研究していた歴史はかなり古い。


 世界で最初に誕生した空母はイギリスのフューリアスであり、就役は1917年だ。

 とはいえ、このフューリアスは元は巡洋戦艦であり、2度の大改装を通じてようやく全通飛行甲板の姿となった。


 最初から空母として設計し建造された空母はイギリスのハーミーズ(起工1918年、竣工1924年)と日本の鳳翔(起工1920年、竣工1922年)であるが、これらの登場から遅れる事数年、ソ連でも空母を取得する計画が検討される。


 ソ連最初の空母計画は1925年、当時建造途中でクロンシュタットの反乱に巻き込まれ、船体が損傷した事から放置されていた巡洋戦艦イズマイルを空母に改造しようというものだった。


 これはソ連革命評議会が採択した赤色海軍強化五カ年計画で採択され、翌年から改造工事が始まるはずであったが、赤軍内の予算配分の攻防で陸軍に敗れた海軍は十分な予算を確保できず計画は頓挫、イズマイルは標的艦となった後スクラップとなった。


 バルト海での運用が想定されていたソ連最初の空母であるイズマイルであるが、同時期に建造途中の事故が原因で放置されていた戦艦ポルタヴァの空母改造計画も立ち上がっていた。


 事故により建造が止まっていた戦艦ポルタヴァからは艤装や艦砲が撤去され艦名もミハイル・フルンゼに変更された。

 このミハイル・フルンゼを空母に改造し、黒海艦隊に編入しようという案がたちあがるも、結局これは頓挫し、ミハイル・フルンゼ自体はそのまま未完成のまま第二次世界大戦でクロンシュタットにおけるドイツ空軍に対する囮の標的という役割を果たし、戦後解体された。


 そんな立て続けに頓挫する空母保有計画であるが、1927年に新たな案が登場する。

 それが練習艦コムソモーレツを練習空母に改造する案である。


 とはいえ、練習艦コムソモーレツは元は1903年の商船をベースとした古い艦艇であり、馬力も弱く低速と練習空母としても性能は期待できなかった。

 結局、空母に改装する前段階の船体の近代化改修をおこなう資金が工面できず、計画は中止となる。


 そしてこの空母計画頓挫以降、ソ連赤軍は陸軍を優先し、海軍に対しては小さな海軍をコンセプトとして大型艦の建造計画は見直されていく事になる。


 しかし、世の流れが世界大戦へと傾いていくとソ連にも変化が訪れる。

 1930年代後半から40年代初頭にかけての第3次五カ年計画では海軍増強が盛り込まれ、空母も6隻建造し、4隻を太平洋艦隊と2隻を北方艦隊へ配備する計画が立案された。


 とはいえ、これは後に太平洋艦隊1隻、北方艦隊1隻の空母2隻に修正される。

 これにはスターリンが空母より戦艦や巡洋艦を重視した事が影響しているのだとか。


 そんな中でもソ連は空母計画を進め、アメリカにプロジェクト10581という空母と戦艦を融合させた航空戦艦の開発を依頼している。

 とはいえ、これは諸々の理由で断念されたのだが……


 アメリカでの航空戦艦プロジェクトが断念する一方で、1939年にはドイツが建造中だった空母グラーフ・ツェッペリンの建造現場を視察し、このグラーフ・ツェッペリンを購入したいと申し出ている。


 当時はまだドイツとソ連は開戦しておらず独ソ不可侵条約もあって表面上は仲が悪いわけではなかった。

 それでもこの売却案はドイツ側に当然拒否されるのだが、ならば同型艦を建造しソ連に売ってくれないか? とも打診しているが、これも拒否されている。


 そんな中、北方造船所にプロジェクト71という空母の設計が命じられた。

 このプロジェクト71は1942年には空母クラースナヤ・ズナーミャという名で起工されるはずであったが、しかしドイツとの開戦によりこれは中止となっている。


 戦後、ソ連は完成しなかったものの接収を避けるため自沈したドイツの空母グラーフ・ツェッペリンを浮揚させて取得。ドイツ国内の造船所で修理を行う。

 当初はそのままグラーフ・ツェッペリンを空母として完成させ、国産空母建造のテストベットにしようと考えていたが、戦後の賠償艦割り当てカテゴリーの問題でグラーフ・ツェッペリンを戦力化した空母に完成させることができなくなってしまった。


 そのため、グラーフ・ツェッペリンは洋上基地PB-101と艦名を改め標的艦として様々な実験を行った後沈められた。


 ちなみに、終戦間近。ソ連が日ソ不可侵条約を破り、日本に侵攻する以前には日本国内で戦艦長門、空母鳳翔をはじめとした艦艇をソ連に譲渡し、燃料をもらおうという計画があったという。

 ソ連が超弩級戦艦や空母を欲しがっていたという情報から、不足する航空燃料を得る手段にと海軍上層部は考えていたようだが、仮にも内密とはいえ日本侵攻案を詰めていた時期にそんな提案通るわけがないのだが、果たして空母鳳翔を提示されてソ連は食いついただろうか?


 と、それはさて置き、洋上基地PB-101を沈めた丁度同じ頃、1946年から1955年の期間の10ヶ年艦隊整備計画が検討される。

 この中で空母の建造が検討され、それとは別にプロジェクト72という空母建造計画も持ち上がるが、どちらも立案者の失脚などで計画は立ち消えとなった。

 とはいえ、その10ヶ年艦隊整備計画の中で二転三転した巡洋艦建造を巡り、その船体を利用しての空母改造プロジェクト69AVが立ち上がるがしかし、結局はこれも中止となった。


 計画が立ち上がるも結局は中止となるソ連の空母計画であるが、スターリンの死後風向きは変わる。

 そして立ち上がったのがプロジェクト85。

 85型軽防空空母計画だ。


 この85型軽防空空母は蒸気カタパルトやアングルドデッキを備える当時最先端の設計であり、太平洋艦隊と北方艦隊にそれぞれ5隻ずつの10隻を建造する計画であった。

 しかし、立案者の失脚やソ連の戦術の変化により計画は中止となる。

 そう時は冷戦、戦略のメインはSSBNだ。


 つまりは原子力潜水艦弾道ミサイルの脅威が深刻であり、海に潜む敵潜水艦をいち早く見つける事が重要視されるようになったのだ。

 こうして対潜ヘリコプターを多く搭載する哨戒ヘリコプター母艦がソ連海軍では求められるようになる。


 そうして1967年に就役したのがモスクワ級ヘリコプター巡洋艦だ。


 モスクワ級はモスクワ、レニングラード、キエフの3隻が計画されるが、就役したのはモスクワとレニングラードのみである。

 3番艦として計画されていたキエフであるが、性能をアップグレードした発展型となる予定であったが、ある機体の登場によって状況は一変、キエフの建造は中止される。


 そして、ソ連の空母史にとって待望の瞬間がついに訪れる事になる。


 モスクワ級ヘリコプター巡洋艦3番艦キエフを建造中止に追いやった機体、それは試作機Yak-36。

 ソ連が開発した試作垂直離着陸機だ。

 この機体の性能に当時の海軍総司令官はいたく感銘し、この機体の性能を100%発揮できる艦艇の建造を指示する。


 Yak-36はモスクワ級の飛行甲板で離着陸の運用試験を行っているが、その性能を十分に発揮するにはやはり、より大型の空母しかなかった。

 とはいえ、Yak-36には様々な課題があったのも事実だ。

 ゆえに制式採用にも関わらず量産と配備は見送られている。


 ソ連の正式な垂直離着陸戦闘機はこのYak-36の改良型であるYak-38であり、このYak-38を搭載した艦艇こそソ連初の空母であった。


 それこそが1143型航空巡洋艦。キエフ級空母だ。

 政治的な理由でソ連/ロシアでは空母を航空巡洋艦と呼称しているが、この艦艇には建造中止となったモスクワ級3番艦のキエフの名が引き継がれた。


 1975年に竣工したキエフ級は4隻の同型艦が存在する。

 そして、その勇姿は姿を変え、現在でも見る事ができるのだが、まずはキエフの内容を見ていこう。

特にオチもない短い連載作品になるかと思いますが、気が向いたら☆評価なりブクマなり感想ください

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