泣かずにいられるかい!
ええと……話を、まとめよう。
今日突然、変な幼女と美女がやって来た。幼女は俺をパパと言うが、もちろんそんな覚えはない。これだけなら、単にたちの悪い詐欺だと切り捨てることもできるだろう。
だが、この二人はこの世界ではなく、異世界に住んでいる……と言い始めた。そして、この幼女は、その世界のお姫様との間にできた俺の実の子供だという。これはたちの悪いどころじゃない、この上なくたちの悪い話だ。
そもそも異世界という話から訳がわからないのに……ダメだ、まとめてみてもまったく訳がわからん。
「……」
とはいえ、ただこの美女の話を嘘だと切り捨てるのも、少しためらわれる。なんせこの美女は、誰にも話したことのない『一年ほどの記憶がない』という俺の事情を当てたのだ。
記憶喪失など、当てずっぽうで当てられるものではない。それも、記憶がない期間など……まず当てるのは不可能だ。
今から三年前……23歳の頃だったと思う。それから、一年分記憶がなくなっているのだ。この美女が異世界がどうのってのはともかくとして、俺の失われた記憶に関与しているのは確かだろう。
「あ、その顔は信じていませんね」
と、美女は言う。少し眉を寄せるその姿も、美しく様になっている。信じていませんねと言われるが、まあそれは当然だと思う。むしろすぐに信じるやつはどうかしていると思う。
異世界だのなんだの、なんとも素晴らしいワードではあるものの、それとこれとは話が別だ。
「そりゃそうでしょう、新手の詐欺かなにかですか」
「違いますよ。……では、よく見ていてください」
軽いため息を漏らす美女だが、ため息を漏らしたいのはこっちだ。
美女は、長い髪を、耳元をかきあげるようにして……長い髪によって隠れていた耳を、露にする。
女性が髪をかきあげる仕草はなかなか見入るものがあるが……それよりも、だ。露になった耳が尖っていたことの方が、俺は驚いた。
「……?」
「私は、エルフという種族です。この髪と瞳の色、そして耳が長く尖っているのが特徴です」
……それは、よくアニメとかで見るエルフという種族に瓜二つの容姿で……思わず俺は、息を飲んだ。
コスプレってわけでもなさそうだし、確かに現代社会であんな耳している人間なんていないもんな。
「えぇと……うん、待って。うーん……」
「では、私が知りうる、ユウヤ様の情報を答えるので、聞いていてください」
こほん、と咳払いをした美女は、俺の好きな食べ物、嫌いな食べ物、学生時代の部活動など……俺が話していなければ絶対にわからないことを、言い述べていった。
どうやら、この美女が俺と面識があるのは事実なようで……
「あんたと会った期間と、記憶喪失の期間が重なる、と」
「そういうことです」
なんとなく、つじつまはあっている。異世界だなんて大前提を除けば。美女と幼女が、異世界出身などと証拠でも見せられない限り確実には信じられない。
そして幼女は、いつの間にか膝の上で寝てしまった。
「証拠ですか……方法があるにはあります。あまり使いたくはないですが」
と困ったように眉を下げる美女だが、状況が状況だからとうなずき、手のひらを広げる。彼女が目をつぶり何事かに集中していると、驚くことに手のひらにメラメラと燃える火の玉が表れたではないか。
「え……これ、なんのマジック……?」
「これは魔法と呼ばれる……私たちの世界ではごく当たり前に扱えるものです。わけあって、今は魔法をあまり使いたくはないのです。どうかこれで信じてくれませんか」
どうやらそれは種も仕掛けもない、マジックどころではない……魔法と呼ばれる、これまた聞き馴染みはありながらも信じがたいものだった。
とはいえ、こうして直接見せられてしまうと……
「つまりですね。ユウヤ様は一度、異世界へと召喚されているんです。そこで我々と短くない時間を過ごし、こうしてまた元の世界に戻ってきた。そういうことです」
「そういうことですっても……俺、異世界とやらに行った記憶がないんだけど」
「それは……私たちにもわかりません。ですが、帰還の際、なんらかの不具合があって、異世界での記憶が全部なくなってしまったみたいです」
「なっ……」
なんだそりゃ……俺が記憶なくしたのって、そんなことが原因だったのか!? いや、この話が全部真実なら、だけど。
しかしこの美女と話しているうちに、嘘を言っている感じはしなくなってきたし……だとすると……
「じゃあ……俺が今こんな生活してるのは、あんたらのせいじゃんか!」
「え」
「俺は普通に就職して生活してたんだ! それがある日、無断欠勤が続いて会社クビになってて……一年分の記憶もないし、欠勤の理由を伝えようにも理由がわからずじまい。このご時世だから再就職も楽じゃないし、無断欠勤の理由さえわからないのにそこ突っ込まれたら答えられないし……やっとコンビニのバイトにこぎつけたんだよ!」
と、これまで溜まっていたものが吐き出された。俺は、自分でもわからなかった、空白の一年のせいで生活がめちゃくちゃになっていた。
今日まで、その怒りをぶつけるところがなかったが……
「それがあんたらのせいってのか! うがー!」
「ちょ、ちょっと落ち着いて……!」
「これが落ち着いていられるか!」
もうこうなったら本能のままに暴れてやる。そう思っていたところ……なにかに、頬を両側から叩かれた。
「む……」
「パパ、おこっちゃめ!」
いつの間にか起きていた幼女が、俺の両頬を挟むように手を叩きつけていた。痛みはないが、頭に上っていた血が冷えて……
「……って、じゃあこの子供は……」
青ざめてさえいき、幼女を抱える。キャッキャと笑っているが、そんなことはどうでもいい。
「はい、ユウヤ様の実子です」
「……異世界で、子作りしたの?」
「そうです」
認めるのか、認めないのか……空白の一年、その怒りを認めるなら、同時に子供の存在も認めることになる。俺の、子供なのだと。
「えっと……ちなみに、相手って……姫様、って話だったけど」
「えぇ、美しく心優しく、虫も殺せないようなお方でした」
「美しくって、どれくらい?」
「私なんか足下にも及びません」
「ちくしょー!」
瞬間、俺は床に拳を叩きつけた。なんでかって? 怒り……それもあったが、今はただただ、悲しかったのだ。
俺はこれまでの人生、女性との経験はない。だから、空白の一年の間に経験があったとしても、俺の記憶には刻まれていないのだ。
しかもその相手は、この世のものとは思えないほどに美しいこのエルフ美女……この人本当にこの世の人じゃなかったんだ。が、足下にも及ばないほどの美しい女性だという。そんな相手との、初体験の記憶がないなんて……
「パパー、ないてるの?」
「これが泣かずにいられるかい!」
頭を撫でられるのが、余計につらい。つまり俺は、童貞じゃなくなったのに童貞のままの記憶しかないってことだ。泣くしかないじゃない!
「……記憶がなくなっても、変わりませんね」
そんな美女の呟きが聞こえたが、そんなものは気にすることなく、俺は記憶をなくした自分自身を恨んでいた。