まずはお手洗いから
「……カラー、エデンズ」
自分はぽそりと、そう呟く。
虹色の楽園だなんてそんな眩い世界なのか、この世界は。
憧は帽子を持った彼に自分の知る物語に登場するものがあるかどうか問いかけた。
「あの、今のは魔法なんですか? それとも手品とか」
「こんなの魔法の初歩中の初歩のヤツだよぉ、ちょっと今やったのは俺のアレンジはあるけど」
「魔法!? じゃあ、魔女の空飛ぶ箒とか、アラジンと魔法のランプに出てくる魔法の絨毯とかもありますか?」
「なんでそんな限定的……って、うわっそんな迫ってこないでってばぁ」
「ありますか!?」
期待で胸がいっぱいになってきて、思わず声を荒げた。
男性はビクッとしたが、後ろに後ずさらずに少しの間を置いてから返答する。
「……一応あるけど、そんなにはしゃぐような話ぃ?」
「もっと魔法見せてもらっていいですか? 小さい時から、憧れてて……っ」
「聞いてねぇし。ねえ魔女様ー! この子絶対余所者だってー!! 何とかしてよぉー!!」
晶が詰め寄られ困り果てた男性は慌てて短い銀髪の女性に助けを求めた。
女性は紅茶飲みながら、目を伏せて告げた。
「お前が説明しな、シェーレ」
「えー? めんどくさ――」
「シェーレ」
「………………しかたないかぁ」
シェーレと呼ばれた男性は諦めたように息を吐き、私と視線がかち合う。
よく見れば、自分よりも彼は身長が高く二メートル近くあることに気づいた。
少し、じっと見つめるには首が痛くなりそうだ。
「じゃあ、まずは自己紹介。俺はシェイレブ・シーブルック。呼びづらかったら、魔女様みたいにシェーレでもいいよ、好きに呼んでねぇ。よろしく稚魚ちゃん」
「え、っと、はい」
「んで、あっちの美人な魔女様はベルン・リズティーナ様。俺のお師匠様だよぉ」
「……あ、あの、私もそちらの方を魔女様と呼んだ方がいいんでしょうか」
「そうだよぉ、魔女様のことは魔女様って呼ばなきゃだーめ。いい子いい子」
ふわっと優しく頭を撫でられる。
さっき、目が覚める前の時と同じ温度がする。
やっぱり、彼が私の頭を撫でてくれていたんじゃ……?
「それとぉ……ちょっと稚魚ちゃん耳貸して」
「なんでしょう?」
シェイレブさんは私の左耳にこそりと耳打ちする。
「魔女様ってぇ、怒ったらめちゃくちゃ怖いからあんまり怒らせないように気をつけな? お仕置きがめっちゃこえーの、あの人」
「余計なことを教えるんじゃないよ馬鹿弟子が」
空中に突然出現した白い拳がシェイレブさんの頭を叩くと、「あだぁ!!」といって、うぅと彼は呻く。
白い拳は風に霧散するようにすぐに消えた、今のも魔法の一種なのだろうか。
間違いなくシェイレブさんは小声で言っていたはずなのに、地獄耳でも持っているのかベルンさんは流し目でシェイレブさんを睨む。紅茶のカップをもう片方の手にはアクアマリンを思わせる青白い宝石がついた小さい杖のようなものが見える。
シェイレブさんは特に気にすることもなくベルンさんに文句を言いながらも尋ねた。
「えぇー? ダメ―? ちょっとくらいいいじゃーん。この子他の客よりは頭よさそうなんだし」
「勝手に話を進めるなと言っているんだよ、馬鹿垂れが」
「……ちぇ、バレてたか」
え? いったいどういう意味だろう。
拗ねた顔をするシーグリーン色の髪をした彼は頭の後ろに手を回す。
流し目で、ギロっと魔女様は彼を睨みつけた。
「返事は」
「ごめんなさい。それと魔女様ー、この子の部屋前のヤツのところの部屋でいー?」
「勝手におし」
「はーい、魔女様も後からちゃんとご飯食べに来てよー?」
「わかってるよ、さっさと行きな」
「んじゃ行こっか、稚魚ちゃん」
「は、はい」
シェイレブさんはそう言い、彼が先導する形で自分も後をついていく。
薔薇のアーチを潜って、私が眠っていたベットがあった場所から中央の方へ行くとガラスの壁が自分たちの前に現れる。
というよりも初めからこの場所に入り口というものが存在していないような作りと言えばいいのだろうか。周囲を見渡しても、さっきシェイレブさんを追っていく途中周囲を見たりしながら来たが、どこにも入り口と思わせる扉がなかったのだ。
……シェイレブさん、どうするんだろう。
シェイレブさんはどこからかベルンさんと同じ宝石が付いている小枝のような細い杖を取り出す。
「稚魚ちゃんは、あんまりそこの壁に近づきすぎないでねぇ」
「あ、あの……出口もないのに、杖なんて、どうするんですか?」
「いいからいいから。んじゃ、行くよぉ―――—スペリオールゲート!」
唱えたシェイレブの呪文で、ガラスだった壁は溶け出しながら歪み出し、一つの扉のない出口を作り出す。向こう側には年季の入った趣ある屋敷が目に入り、おそらく魔女様と彼らの家なのだろうと察しがついた。けれど、それよりも気になるのは。
「今のって、呪文? ですよね。さっきのは無詠唱だったのに」
「ん? あー、今のはぁ――」
ぐぅうううううう……。
「あ、え…………っと」
シェイレブさんが答える前に、自分の腹の虫が鳴ってしまう。
自分は慌ててお腹に両手を当てると、シェイレブさんは面白そうに笑った。
「この世界のことと屋敷のことは飯食べた後からにすんね、稚魚ちゃんのお腹が持ちそうにないもん」
「…………す、すみません」
「俺もお腹空いてるし、はやく食べにいこっか。俺もお腹空きすぎて干からびそうだし」
「っふふ、はい」
「それじゃあ、ほいっと……リターンウォール」
少し羞恥を感じつつも、シェイレブさんの言葉に安堵する。シェイレブさんはまた魔法を使ったのか、さっきの出口がガラスの壁に戻すと、シェイレブさんと一緒に屋敷に入る。
中は本当に童話に出てくる魔女が住んでる屋敷のような印象を抱いた。
樹海と呼んでもいいくらいの森の中の木々たちの匂いと、また少し違っていて、おばあちゃん家の家の匂いと少し似ているように思う。
安心する鼻腔に広がる匂いに、思わず昔みたいに寝転がって天井を眺めたくなる。
……なんて、さすがにそんなことをする高校生じゃないか。
ギシ、と軋む木造の床の音も、本当にファンタジーの世界に自分が溶け込んでいる気さえした。
「まず台所行こうか、今日の料理当番はシェードだから」
「シェードさんって?」
「俺の弟だよぉ」
「そうなんですか、どんな人なんですか?」
「んー、飽きないヤツかなぁ、たまにすっごい料理とか作るよー? いろんな意味で」
「すっごい、料理……ダークマター的な奴ですか?」
にやりと不敵な笑みを浮かべるシェイレブさんに思わず立ち止まってしまう。
「それは稚魚ちゃんの楽しみ奪っちゃうからやめとく、自分で知る方が楽しいじゃん?」
「そ、それってどういう意味でしょう……?」
「秘密、教えてあげなーい」
鼻歌を歌いながら進んでいくシェイレブさんに、自分は頭の中で必死に考える。
うーん、でも、これからお世話になる人の料理を嫌だなんて言えるわけないし……助けてもらった恩もあるし、うん、どんな物を出されても今日だけは絶対全部食べよう。
でも魔女の家っていうなら、自分が一番に期待しているものがある。
自分の思っている理想としては、やはり黒々とした大釜だ。
魔法の世界ならおそらく錬金術師とかも持っている可能性はあるが、魔女の大釜、これは童話好きにとってはやはりそっちが気になるというもの。
ああ、今から楽しみだなぁ。
「ここが台所ねぇ。もうお腹ペコペコでしょー? 稚魚ちゃん」
「あ、はい。それじゃあ、中に、」
「……っよ!!」
「え?」
目的の場所についたからなのか、シェイレブさんは思いっきり扉を蹴って大きな音を立てながらも開けた。重苦しい軋み音が響くと、シェイレブさんはズカズカと室内に入て行く。
扉の下に穴は開いていないようだが、慌ててシェイレブさんを見つめる。
「おーい、シェード。実験料理は今日は禁止だからなー」
「なんです、シェーブ。何度も言ってるでしょう、ドアを足で蹴って開けるのはマナー違反ですよ」
「でも開けといてくれてたじゃん?」
「まったく、貴方という人は……」
「あははぁ」
にこやかに二人は会話をする。
――――ああ、タイミング逃した。
その一言で片付けていいものではないはずだが、仲が良さそうな会話に割って入るのもなんか……ね? リビングと思われる場所の右横にキッチンがあるのが確認でき、シェイレブさんと思われる人物がシェラードさんに呆れ顔で鍋で何かを煮ているようだった。
兄妹と言っていたわりには瞳の色がシェイレブさんのオリーブ色と違い、彼は夕焼けの麦穂畑のような金の瞳だ。しかも前髪の分け方がシェイレブさんとは逆で右のもみあげを耳に流しているのが特徴的である。
後ろ側ならわからない可能性もあるかもだけど、瞳の色も髪形も多少違うからわかりやすい。
油断すればまったく彼とそっくりで同一人物を見ているかのような気分になる。
「おや、そちらの方は?」
「あの、余所者の文本憧です。えっと、シェードさんであってますか?」
「ああ、貴方がモニカが言っていた方ですね、話は彼女から伺っております。僕はシェラード・シーブルックと申します、呼びづらかったらシェーラとお呼びください」
「……? モニカって、誰でしょう?」
「魔女様の使い魔の一人ですよ、彼女から貴方の話を聞いたので今日は暖かいものをと思いまして、こちらを作っておりました」
シェラードさんは底が深いフライパンに入っている物をマグカップに移す。
コトリと、置かれたカップの中身を近づいてから確認する。
自分には馴染みのあるいい匂いが香って来る。
「……ホットミルク?」
「先に胃の中に優しいものをと思って作ったんですが……苦手でしたか?」
「いえ、ありがとうございます。よく小さい時から飲んでましたから大丈夫です」
「そうですか、よかった。砂糖はお好みがあると思ったので入れておりませんが、よろしかったでしょうか」
「ありがとうございます」
「はい、ではこちらをどうぞ」
シェラードさんはシュガーポットとフレンチトーストに食器を置いてくれた。
数は四つだったから、おそらくベルンさんのとここにいる三人の分で全部なのだろう。そして最後にコーヒーを二つ置くとシェイレブさんは「ありがとぉ」とシェイレブさんにお礼を言う。
「わぁ、おいしそう」
「んじゃ、まず食べる前に手ぇ洗お? 稚魚ちゃん」
「そうですね」
そうしてシェイレブさんと自分は手を洗って、私は異世界に来てはじめての食事を取るのであった。