自分が死んだ日に聞こえた、誰かの叫び
頭から水を被ってずぶ濡れになった制服に、乾かすのが面倒だなと思った。
「あはは! ダッサー文本ぉ!! 超ウケるんですけどー!!」
「「「クスクスクス」」」
リーダー格のギャルな格好の逢沢さんが自分に指を差して高笑いする。
他の連れの女子たちも小声で笑う、私が哀れと言うように。
クラスメイトでカースト上位に入るグループからバケツに入った水を彼にかけられたのだ。
止めようとする生徒はいない。
だって、そうすれば他の人たちも自分と同じようになるのは目に見えてる。
学校に通うようになれば、こういう集団になってくれば自然と発生することがあるのは知っていたがまるで自分も蟲毒の壷の中にいる気分になる。
今日も飽きないな、この人たちは。
「………………満足ですか」
自分は冷めた目でリーダー格の女子を見つめる。
この程度のことでめげるほど文本晶の心は脆くない。
「はぁ!? ウザいんだよこの男女ぁ!!」
前髪を掴まれ、声を上げずに堪える。
逢沢さんは気持ち悪い笑みで顔を覗いてきた。
「自分イイコちゃんですーって面してる奴って、大体キっモーい奴なんだよねー……アンタがそういう奴だって、会った時は思わなかったのにマジざぁんねーん」
「それは貴方の偏見じゃないですか」
「はぁ!? ざけんなよブス!!」
腹が立っているからか、顔にツバが飛んでくる。
私が少し黙ると、逢沢さんはにやりと笑う。
「まーあ? 陰キャ君のことかばっちゃうような奴なんて、もっとキモいけどぉ」
私は彼女の目を睨みつけながら告げる。
「貴方みたいな人、自分は好きになりたくないです」
「は!? テメェ――――」
「授業始めるぞー……おい逢沢、何してる?」
意外な言葉だったのか、彼女は眼を見開いて何か言おうとしたが先生の登場で遮られた。
逢沢さんは自分の前髪から手を放して、慌てて媚びに入る。
「せ、センコー、文本のコンタクトちゃんとつけられたか見てたのぉ」
「そうか……文本ぉずぶ濡れだな。どうした?」
「顔を洗おうとしたら全身にかかってしまって」
「タオルはあるか?」
「持ってきているので大丈夫です」
「……よーし! じゃあみんな席に着け―」
いいタイミングで古文の先生が教室に入ってきたのに、先生がこっちを見ていない一瞬を狙ってこちらを睨みつけてから席へ座る逢沢さんは多重人格でなかろうかと疑いたくなる。
まあ、今日はこれくらいのことなら大丈夫だ。
先生もグルとは思いたくないが……まぁ、その時は、その時か。
私は鞄に入れておいたタオルで少し体を拭いてから授業を受けた。
◇ ◇ ◇
「石田くん、一緒に帰りませんか」
放課後になって、学校の校門のところにいた石田くんに話しかける。
暗そうな見た目のせいか逢沢さんから陰キャと呼ばれている人だが、実際は心優しい人だ。
「……また、ですか」
不審げに見てくる石田くんに心の中で落胆してしまいそうになるのを堪える。
「今日は石田くんの家の近くにある本屋に行きたくて」
「また本の新刊を買いに?」
「はい、ダメでしょうか」
「…………別に、いいですけど」
自分は石田が前に進むのを見て、一緒に続く。
石田くんがいじめられていたところを助けたことをきっかけに彼と関わることが増えた。
彼は申し訳ないというより、「なんで助けた?」と何度も聞かれた時もあった。
けれど、この選択を選んだ自分には満足しているつもりだ。会話をしない無音の時間も嫌いじゃないがさすがにいたたまれなくなった自分は石田くんにとある話題をチョイスする。
「石田くんは最近何のラノベ読んでます?」
「……異世界転生物、ネット小説も面白い。最近流行ってるんだよ」
「そうなんですか……」
石田くんは私の歩幅に合わせ始める。
互いに興味があるのが本の話題があったことが幸運だったなと強く思う。
「異世界で転生ってことは、自分が地球とは全く違う世界に生まれ変わる、的な話ですか?」
「そう、結構面白い……会社員だったりニートだったりが多くて、学生は少ないって気がする」
「感情移入しづらいのでは……?」
「世の中の不条理経験してる奴の気持ちは、わかってるつもりなんだ……文本さんだって、経験してるじゃん。現在進行形で」
「現在進行形、ですか……どうなんでしょう」
「……そう」
そこから彼は無言になり、街路樹の通りを二人で歩くいくと急に彼は立ち止まる。
「いい加減、俺を構うのはやめたほうがいいですよ」
後ろ姿の彼に私は疑問で返した。
「どうしてですか」
「現にアンタが俺をかばっていじめられてるだろ」
「私は、したいと思ったことをしただけです」
「そんなの余計なお世話だろ!!」
彼は大声を上げる。
嗚咽を漏らしながら、私の方に振り向きそのまま言葉を続けた。
「俺一人でも、大丈夫だったんだ!! 一人で、平気だったんだ!! 俺をこれ以上苦しめて、楽しいか……!? 本当は、アイツらと一緒なんだろ!?」
「石田く、」
「うるせぇ!! 俺はアンタなんて大っ嫌いだ!!」
石田くんはすぐ近くの駅まで駆け出していく。
彼が走り出したのを見て、追いかける。
無言で券売機を切符を買っている石田くんにすぐに弁明する。
「石田くん、誤解です。自分はそんなこと貴方に考えたことなんて一度もないです!!」
「…………なら、なんで男子の制服着て男のフリしてたんだよ」
自分は言葉に迷う。
男子の制服を着ていることを、彼は触れてこなかったし性別に関する話題は誰の前でも避けてきた。
その報いがやってきた、ということなのだろう。
「家の……都合で、」
しどろもどろの言葉に彼の眉間のしわが深くなる。
「そうやって、またごまかすんだな」
「石田くん……!!」
石田くんは改札口で切符を入れて電車のほうまで向かう。
私も券売機で切符を買って慌てて走る。
「石田くん! 石田くん!!」
声を何度かけても、石田くんは無視する。
電車のアナウンスで「離れてください」という言葉を無視して、彼はギリギリまで前に立つ。
嫌な予感がした、とっても、とっても怖い予感が、頭に警報を出している。
「石田くん、聞いて、聞いてください!」
「…………もう、うんざりだよ」
彼はそう零すと電車が近づく線路に身を投げ出そうとする。
即座に自分は石田くんの手を引っ張り、彼と入れ替わる。
彼は駅のホームに座り込み、私に向かって叫んだ。
「文本さん!!」
落下していく身体は抵抗することはできない。
けれど、安堵の声を自分は漏らしていた。
「よかったぁ、石田く――――――――」
憧は自分の姓を呼ぶ石田に安堵すると、電車が憧が痛みで叫ぶ時間など与えないまま電車のランプは彼女を照らす。一生の最期だとも受け取れる一瞬の時間の中で、青い空に響く蝉時雨が誰かが世界を呪った絶叫に聞こえた気がした。