あしあと
僕の住む北の街は、今年も例年通りに厳しい冬を迎えている。
昨日の朝などは、窓ガラスを隔てた向こう側一帯が一面の冷凍庫状態、大気中の水分までも光り輝かせていた。こんな時に濡れた髪のまま外へ出ると、髪は面白いくらいに数秒でカチカチにセットされてましまう。
出来栄えは、おにぎりの海苔そのものだけど。
そんな街に生まれ育ったにも関わらず、僕は冬が大の苦手。なのに僕の住む古い集合住宅は、最上階の5階に住んでいてもよく冷える。朝起きるのは非常に辛い。
暖房のタイマー機能を使って部屋を暖めてから起きるという手もあるけど、出張の多い僕には外泊中のタイマー作動が懸念されてしまい使用する勇気が出ない。
結局、冬の間は毎朝ハードな我慢大会を強いられることになっている。
今朝も部屋の暖房は、深夜から6時間以上も消えたまま。
通常であれば、ここで例のごとく気合と決意が必要なのだけど、今日は休日。平日との朝とは少々違う。
一時体に力を注ぎ、暖房のスイッチをONにさえすればダッシュで布団のぬくもりに戻ることも許されてしまう。
万一その温もりに身を任せそのまま眠ってたとしても、この後に出勤をしなくて良いのだから問題はない。
それに今日のように重要な日は、特別な適応能力が湧きあがる。まるで体の中で別の何かが燃え出し、我が身体を温めてくれるかのように。
もしかすると、僕にはそんな呪術が施されているのではないか?そんな気がしてしまう。我が家系ならばそれも無いとは言えないかもしれない。
そして、今日は後押しするようにカーテンの隙間から差し込む光も心地よい休日の朝を感じさせてくれている。
この程度の寒さなら地方大会レベルの我慢大会。軽く勝ち進むことも容易い。良い一日になりそうだ。
今日と明日は来月の式に向けた重要な準備の日。それで両日とも彼女、朱里と会うことになっている。
今日は二人だけでの話し合いだけど、明日は披露宴の打ち合わせに式場まで行き、細部を詰めることになる。
大変な事もあったけど、楽しくもあった準備期間、それもほぼ終わりだ。後は本番を待つのみとなる。当日のことを思うと、こんな僕でもいよいよ間近に迫ったイベントに高まるものを感じてしまう。
因みに今日の朱里との待ち合わせは午後から。午前はゆっくりとしていられる一度布団の中に戻ることも可能である。
今朝はそんな週末のゆるりとした、気持ちの良い朝なのである。
僕はベッドから出ると真っ先にベランダのカーテンに手を掛ける。部屋は一気に明るくなる。
天気は良好。心から温かいものを感じる。で、次は暖房のスイッチへと。
いつも程には寒さは感じてないとは言っても、やっぱり冬の朝はかなり寒い。一度温もり冷めない布団の中に戻ろうかなあ何て考えながら、踵を・・・あれ?!
ガラス窓の向こう側に何か違和感を感じる。
反射的に僕の足が引き留められてしまう。
何故かそれが軽く流せない自分がいる。思考よりも僕の心臓が反応をしている。
慌てて引き寄せられるように再度ベランダの前に向かい、そして視線を下す。
その僕の目に映ったもの、それは「あしあと」である。
正確には薄っすらと降り積もった新雪の上にある足型の”ような”窪みである。僕より少し小さ目の右足”みたいな”雪上の窪みである。
ただの窪み、そう思いたい。集合住宅最上階の5階のベランダには相応しくないものだし。
窪みは全部で3つあるが、その内の一つ、ガラス窓の直ぐ下のところにある窪みがどう見ても部屋に向かった足跡にしか僕には見えない、ような気がする。
誰かが、この5階ベランダに?
隣の部屋から誰かが?
それは考えにくい。隣の部屋のベランダとは繋がっていない。2メートル以上の距離がある。それに、覗き防止の為なのだろうか壁もある。
どういうことだ?
そう思う僕には、既に脳裏を過るモノがある。
心の中にしまって深く考ないようにして来た”あのこと”だ。
一度頭を過ると、それはみるみる内に鮮明に蘇って来る。まるで昨日のことのように。
4年前のあのことが・・・。
<4年前>
大学を卒業し、仕事にも慣れた来た頃の3年目。僕には大学に通っていたころから付き合っていた彼女、里奈がいた。
里奈は正直に言ってしまうと、見た目が特に秀でていたわけではないが、明るく、気の利く優しい子で、男女問わず皆から愛されていた。
二人でいる時などは気を遣うのはいつも里奈の方で、僕から彼女に合わせた記憶は殆ど残っていない。
付き合い始めの頃は、里奈に「そんなに気ばっかり使ってたら身体がもたないよ」なんて言ったりもしていたけど、彼女の気配りの心地よさにどっぷり嵌まってしまった僕は、直ぐに当たり前のようにその優しさに溶け込んでしまっていた。
ただ、そんな僕でも里奈が大切な存在であることは勿論良く理解していたので、その頃、里奈へのプロポーズのことを少しずつ考え始めていた。
そんな矢先、ある天気の良い休日ことである。
お昼にはまだ少し時間があった頃だったと思う。遅く起きた静かな部屋に、急にスマホの振動音が響き渡った。
それを耳にして、僕はそれが里奈からであると直感した。
実は僕も彼女に電話をしようと思っていたのである。彼女には、不思議と人の行動を先回りするようなところがあったのだ。
その時の僕は、スマホの画面を見て「やっぱりだ」なんてニヤついていたような気がする。
彼女の気持ちも知らずに。
僕が電話をしようとしていた理由は休日出勤の予定が急遽変更となり、休めるようになったことを里奈に伝えるためである。天気も良いし、二人で何処かに出かけようと思ったのである。
しかし、電話から聞こえて来たのは、その日の快晴の空とは対照的な里奈の声音であった。口調もいつもとは違って、少し冷たくも感じた。
それをおかしく思った僕は、それが気のせいだと振り払うようにいつも以上に明るく里奈に話し掛けていた。
「ちょうど電話しようと思ってたんだ。今日の出勤が無くなったんだ。
それで、これから何処かに出かけないかなあと思って?」
「・・・」
僕はいつもの嬉しそうに飛びつく声を期待していた。しかし、里奈は黙ったままである。
やっぱりおかしい、そう思った。
「どうかした?」
「・・・」
「あれ?」
「・・・」
聞き直しても黙ったままである。
「なにか、予定入っちゃった?」
「う、うん・・・」
やっと、応えてはくれたけど、やはりいつもと様子が違う。
「ホントに!そっかぁ。予定があるんだ・・・残念だなぁ」
休日に予定があるのは珍しいことだった。それに理由を慌てて添えないことも。
「じゃあ来週は?」
不思議に思った僕は、無意識に鎌をかけていた。すると、
「来週も・・・」
「えっ、来週も?そうなんだぁ」
嫌な予感が僕の頭の中で巡りだした。
「いつなら、大丈夫?」
「・・・ずっと、かも」
「えっ?ずっとってどういう事?」
「い、一生・・・」
「一生って!」
「ごめんなさい、ホントにごめんなさい。もう、会えないの」
里奈の冷たい声を聞くのは初めてであった。
「ちょっと待ってよ、どういうこと?電話で急にそんなこと・・・・・・・」
後は、何を言っても会えないの一点張りであった。会って話すことも出来ないと言う。
聞いたことのない荒げた声に、理由もない言葉の繰り返しばかり。それに次第に頭にきてしまった僕は、怒って電話を切ってしまった。
その後は、彼女からの理不尽な電話での別れと、それに対し怒ってしまった自分、それがネックとなりこちらから電話をするのも体裁が悪く”時間”が解決してくれるのをただ待ち続けた。ただ里奈に新しい男が出来ていないことを願うだけで。
今まで大して気遣うことも無く、彼女の優しさを一方通行に受け止める側であったことが、自ら下手に出ることを阻んだのかもしれない。後で思うとそんな気がする。
そんなことがあってから、いつの間にか半年近くの月日が流れていた。なんとなく里奈が傍らにいない生活にも少しずつ慣れて来たそんな頃のことである。
久しぶりに大学時代の友人たちと集まる機会があり、ある思惑の基に僕もそれに参加することにした。
そしてその思惑に沿うように、その中には里奈と親しい友人も参加していた。
僕は意図的に少しずつその友人に近づいて行った。里奈のことをそれとなく聞くためだ。
だが、それは直接尋ねるまでもなく、あっけなく僕の目的は達成されてしまった。
その友人から、うっかり漏れた言葉を僕が耳にしてしまったからだ。その友人は僕が傍にいることに気づかずに、話の流れで”そのこと”を語ってしまったのである。
最初は聞き違いだと思った。あまりにもあり得な過ぎて受け入れられるものでは無かったからだ。
でも、聞き違いでは無いと直ぐに理解するに至った。僕が傍にいると気づいた時の友人の顔がそれを物語っていたからだ。
その言葉は、あまりにも重く、辛く、僕の心を後悔の闇の中に突き落とすことになった。
期待していた解決してくれるはず”時間”は、もう一か月余りも前に解決を保留にしたまま、永遠に過ぎていくことが決まっていたのだ。
倒れそうなショックと後悔の日が続いた。
何も手につかなかった。
それでも時間が平常を導き始め、やっと落ち着きを取り戻しだした頃である。今度は自分のせいではないことを僕は祈り始めていた。
「僕のせいか?いや、別れて半年も経ってるし、病気なんだ。僕から別れを告げた訳でも無いし、精神的に追い詰めた訳でもないし」と。
まるで他人事にするかのように。
自己弁護するわけではないが、こんな時人は本能的に次に進むための手段として自衛思考が働くのかもしれない、そんな気がする。それの是非は別として。
その友人は、「病気が原因」としか分からないと話していた。
それでもそれが半ば安心に繋がった僕は、さらに自分に非がないことに確信を持とうと、里奈と親しかった思い当たる人、全てに聞きまくっていた。
しかし、その友人以上のことを聞くことはなかった。それは、あたかも里奈が自分のことを僕に知られないように口止めをしていたかのようであった。
そんな僕も、さすがに里奈の家族に聞くことまでは出来なかった。正直、怖かったのだ。
<時は戻って>
フィアンセの朱里と出会ったのは二年と少し前。
里奈の事への後ろめたさから逃れたかった僕は、こんな僕に不思議と距離を取ろうとしなかった彼女に対して、いつになく積極的に誠意を示していた。まだそこまで意識をしていなかったにも関わらず。
変なプライドからつい女性にハスってしまう僕が、その時は気持ちを伝えることに不思議と抵抗を感じなかったのだ。
その誠意かどうかは分からないけど、知り合って何度目かのアタックの後、僕は自然と彼女と付き合っているような状況に至っていた。それが、彼女の返事であったのだと思う。
そして、そのいつにない自分の行動に運命みたいなものを感じた僕は、昨年の初夏、プロポーズするに至った。今度は出遅れないようにと。
それからは慌ただしくも季節は過ぎて行き、その日はついに来月にまで迫っている。
今朝のことは、そんな日々の繋がりの中での出来事であった。
だから僕は、あり得ないことだけど新雪に残る”あしあと”が里奈と関係があるような気がしてならなかった。明後日が里奈の命日でもあるし。
あれから僕は、里奈のことを一生懸命気に掛けないようにしていた。でもそれは、気に掛けないようにしていた時点で頭から離れていないのだと思う。たかだか4年で風化するはずもないし。
だから僕は、自分に対し有耶無耶にしていたことに対し、今日けりを付けなければならない、そう思っている。
僕は、”あしあと”を発見すると迷いもせずに朱里に連絡することを決めた。
今日は急な仕事で会えないと嘘を告げるために。
ただ、安心させるために明日は絶対に大丈夫という旨を付け加えることは忘れはしない。相手に対し気遣いすることを僕は既に学んでいる。
謝り倒す僕に、朱里は「仕事ならしょうがないよ。でも、明日が大丈夫そうで良かった」
そう言ってくれた。数的な問題を除くと、僕は女性に恵まれ過ぎている。そう感じる。
電話の後、直ぐに里奈の実家に向うことにした。
里奈の家には何度か行ったことがあるので、もちろん場所は覚えている。
家族とは何度も会っていたので、尋ねる行為には戸惑いはない。ただ、僕のことをどう思っているのかを考えると不安で圧し潰されそうだ。最悪怒鳴られることも覚悟しなければならない。
足跡を見つけてから一時間半後、高鳴る鼓動に逆らい、僕はインターフォンに指を掛けた。
中から返って来た返辞の主は里奈のお母さんで間違いない。「今日で過去にケジメを付ける」そう言い聞かせばがら待った長く感じた僅かな時間後、玄関は開いた。
「いらっしゃい」
笑顔の里奈のお母さんは想像よりも老いを感じさせる。4年の歳月の重さを感じてしまう。傍らでは一匹の犬が尻尾を振っている。
その犬は、僕が実家から引き取ってもらった柴犬っぽい雑種の”ミルク”である。このミルクを引き取ってもらったことが里奈と付き合う切っ掛けとなった。
大の犬好きの里奈とはミルクを含めたデートが多かった。
因みに名前の由来は、里奈と初めて会った時に僕が偶々牛乳を飲んでいたことに由来する。
お母さんは突然現れたにも拘らず、嬉しそうに僕を迎えてくれている。そして、
「どうぞ」
切り出す言葉が見つからない僕に、彼女は僕を自然な流れで家の中に招いてくれる。
通されたリビングは僕の記憶のまま何も変わっていない。
他愛もない世間話と、相変わらず切り出す言葉が見つからない僕に、彼女からあの時の里奈のことを切り出してくれた。傍らに大人しく座るミルクの頭を撫で続けながら。
彼女の話では、4年前、里奈はあの電話の前日に自分が期待していた未来が消滅した事実を知ったらしい。
知ったその時はさすがに取り乱していたらしいが、翌日にはいつも通りの里奈に戻り、気丈にも真っ先に僕との別れを決意したのだそうだ。
「里奈にとっては、どんな時でもあなたのことが一番だったのね」
そう話し、微笑む顔が悲しい。
「里奈が言うの、本当は自分に好きな人が出来たと嘘を言って、凄く冷たくして、嫌われて別れようとしたらしいの。でも、それは出来なかったんだって。
そのこと、随分後悔してたのよ」
「えっ、何でそんなことを?」
「あなたが次に進み易いように。あなたは、優しい人だからって」
「・・・僕なんか・・・(全然)なのに」
「そんなことないわよ、あの子の目に狂いはない、絶対に・・・。
でね、病気のことを知る私たちや友人に、あなたに別れる理由を知らせない様にと何度もお願いしたの。
だから話せなくて、本当にごめんなさい」
彼女は、そう言って僕に頭を下げる。
それを聞いて彼女の優しさが昨日のことのように思い出されてしまう。
何故あんなに意地を張ってしまたのか?
もし、僕がプロポーズをしていたら、もしかしたら・・・いや、それは無理でももっと長く生きられたのかも?
せめて、精神的に支えることが出来たならもっと強く病気と戦えたのかも?
里奈のことが昨日のことのように思い出されて苦しい。
僕だけ前に進んでいいのだろうか・・・。
頭を下げたお母さんがこちらを見ずに振り返り、窓から外を見るように立ち上がった。
「あっ、ごめんなさい。お茶も淹れずに」
一瞬見えた横顔から潤んだ瞳が見て取れた。キッチンに向かった彼女は、こちらを向かずに話を続ける。
「駄目ね、なんか、あなたを見てると、あの子のことが昨日のことのように思い出されてしまって。
思い出には時間の差なんてないのね、きっと。
昨日のことも4年前のことも、随分前のことも同じように思えてしまうの。
思い出すのに掛かる時間が一緒だからかしら?
あの子が記憶の中で元気に動いていると、4年前から抜け出せなくて。ボーっとしちゃうの。今でも前に進めなくなっちゃうことがあるのよ。
でね、私、記憶は極力アルバムにすることにしたの」
「アルバム?ですか」
「そう、時系列に並べたアルバム。断片的な記憶。
そして、開くのは本棚に仕舞ったアルバムの様に時々にするの。そうすれば、もう随分時間は過ぎた。そう思えるかな~なんて思って。
あの子との卒業アルバムね。でも、まだ難しそう」
彼女は自分を笑うように話してくれる。
「あなたは前に進んでね。
あの子のことは・・・そう、多くはいらないの。1枚でいいの。写真として記憶してくれれば。あの子もそれで十分満足だと思うの。
あの子は、あなたのこの先の幸せを願って、あんな行動を取ったのだから」
部屋に飾られた写真の里奈は、目の前の僕を見て笑っている。僕から目を逸らさずに笑っている。
だから僕も目を逸らさずに里奈の写真に報告をした。来月、結婚することを。
それでも里奈は笑っている。写真の中で。当たり前だけど。でも、僕はそれで掬われた。そんな気がしたた。
キッチンから戻った彼女が、記憶のアルバムの中から僕に関する記憶の写真を拾い上げ、一枚一枚にコメントを添え始める。
「楽しかった。幸せ」と自分に言い聞かせるように言っていたこと。
ミルクのことを何度も彼女に頼んでいたこと。
想像する僕の未来のこと。
今度は、犬に生まれて僕の家の前に行って、飼ってもらおうかなと冗談半分に言ってたこと。でも、迷惑だったら、僕の家を出ようと悲し気に言ってたこと。
彼女は瞳から溢れ出ようとするものを零さない様に、瞬きを見せずに話してくれる。
時折、何をするでもなく席を外し外を眺めだしたのは、きっとこぼれるものを僕に見せない様にしていたのだろう、そう感じる。
作りかけの卒業アルバムは、まだ鮮明に動き回る動画のように思える。当然だけど。
一時間余り続いた話も切れ切れになり始め、それを切っ掛けに僕は里奈の家を後にすることにした。
もちろん、今朝ベランダで見た”あしあと”のことは伝えてはいない。
帰り道、僕は結婚の報告をした、僕を見つめて笑ってくれた写真一枚を記憶に残すことに決めた。
次の日の朝こと、夕方からの雪で”あしあと”は無くなっていた。
そのままベランダの窓を開け寒空を見上げていると、屋根のふちに付いていたと思われる雪がベランダに落ち、その跡がベランダに跡を残した。
それを見て、昨日見た足跡は、たまたまそれがそんな形になったのだと僕は思い直した。
「そうだよな、足跡の訳がないか・・・」
その日は、予定通り朱里と式場に向い、細かい打ち合わせを行った。もう、僕の気持ちもスッキリしてる。朱里の嬉しそうな仕草が僕の心も躍らせてくれた。
帰り際、その日も雪が降り始めた。風のない世界にさらさらと重なり合っていく。
「また雪か」
その日の夜のことである。僕は夢を見た。
次第に犬になって行く里奈が
「おめでとう、良かった。ワン!」と去っていく夢を。
この二日間里奈のことを考えていたせいだろうか?そう思いながら平日の寒い部屋の中、重い体を起こす。そして、いつものようにベランダに向かいカーテンを開ける。
昨夜の雪が、辺り一面をうっすらと新雪で覆っている。部屋のベランダにも。
「おっ、寒っ!」
そう呟き、暖房のスイッチを入れようと踵を返すその前、自然と在る訳の無いもの確認しようとする自分がいる。
僕はそれに従い視線を下した。
見ると窪みが三つある。
「ああ、また屋根の縁の雪が落ちたのか」
そうは思が、その形が気になり、一応屈んで確認してみる。
「あしあと・・・犬の?」
どうみても、そうとしか思えない。
形も大きさもその歩幅も。
ただ、その向きは今度はベランダから外に向かっている。
「さよなら」と言わんばかりに。
「さとな?さとなだ!」
僕は、衝動に駆られて窓ガラスを開け放つ。そして、その足跡の消えて行く方を見つめる。
目を細めて、何かが見えることを期待して。
体は金縛りにあったように動かない。
書き直せない過去のように。
我慢大会のような、いつも通りの寒い朝なのに。
<おわり>