88.あってはならないモノ
兵士に連れられてやって来たのは第二区近くの詰め所。簡素な石造りのそれの中で、他の兵士よりかは幾分か上等な服を着た男が椅子に座っていた。
「鉱山長、言われた通り1030番を連れてまいりました」
肥満体系で頭頂部が剥げかかっている、典型的な中年男。そんな鉱山長は兵士が俺を連れてきた瞬間目の色を変え、食い入るようにこちらを見つめている。
「お、ほぉう、これがあの……もっと粗野な蛮人かと思えば、かような子供だったとは……」
立ち上がって俺の所までやって来ると、鼻息荒く体のあちこちを触りながらじっとりとした視線を向けれられてヤバイ。
肩とか腕とかを厭らしい手付きで摩り、さりげなく尻や太腿を撫でたりとやりたい放題だ。ぶよぶよの脂ぎった手もそうだが、顔付近で生臭い息を掛けられるのも耐え難い。抵抗すれば首輪が締まるので、耐えるしかないが。
「んぐっ、ふふ……まさかここに来てこんな掘り出し物があるとは、なんたる幸運っ! 来い、今からお前にいい物を見せてやろう」
気持ち悪い含み笑いをしつつ、恍惚とした表情でそう言うと鉱山長は俺の腕を掴んで詰め所を出た。呼び出しの内容は恐らくその『いい物』にまつわる何かなんだろうが、嫌な予感がする。
それと、鉱山長の汗ばんだ手の平がヌメヌメしているのが気持ち悪いし、自分で歩けるので離してほしい。
「これから行く場所は本来奴隷なんぞに見せる訳にはいかないのだが、お前は……特別だ」
「そっ、そうなのですか?」
「そうともそうとも、ぐふふ……今から行く場所で見聞きした事は絶対に他言してはならんぞ? これは命令だからな」
鉱山長はぐふふと厭らしい笑みを浮かべて命令と、そう言った。
その直後に首輪が薄っすらと光ったので、これで俺がその『いい物』について他言した場合、死ぬまで首輪が締まる事になるだろう。一体そんな情報を俺に握らせて何をしたいのか。
「あの忌々しい勇者さえおらねば、こんな事をせずに済んだもののっ……!」
直後に顔を顰めて悪態を吐いたのを見るに、何かよろしくない事をしようとしている事だけは分かった。
男が俺の腕を掴む手に力が籠り、歩調が段々と早まっていく。
何か楽しい事が待っているのか、焦っているのか……恐らくは後者だろうが、最後の辺りには俺の事などはお構いなしに引き摺るように、鉱山長は山内の地下へと続く道を駆けずり降りて行った。
奴隷に気を遣う人間の方が珍しいものの、この男の乱暴さ加減は少々度が過ぎる。俺じゃなかったら足を怪我してるところだ、呼び出されたのが子供の奴隷じゃなくて本当に良かった。
「ひぃ……ふぅ……着いたぞ」
酷使した足を労わっていると鉱山長の声が聞こえ、頭を上げれば目の前には巨大な鉄製の扉が佇んでいた。
なんてことは無い只の扉の筈なのに、その向こうにある『いい物』のせいかやけに物々しい雰囲気を放っている。三度言うが、正直に言って嫌な予感しかしない。
「じ、時間が無いからな、早く済ませてしまおう」
俺の不安も他所に、そう言って鉱山長が扉に付いたくぼみへ手を押しやる。
そうして数拍の間を置き、暫くすると扉の表面を光の線が幾つも走った。扉内部で幾度も金属が回転して動く音が木霊した後、一際明瞭にガチャリと言う音が鳴り――――押されてもいないのに扉が開き始める。
ほほう……これは仕掛け扉か、認証に必要なのは管理者の魔力だな。
魔力を流し込むと内部で何重にも組まれた鍵が開かれ、鉄扉が開く仕掛けになっている。流石に作り方までは知らないが、恐らく土属性の印が刻まれた魔法陣が使われている筈だ。だが、扉は人が一人通れる程度まで開くと、そこで止まってしまった。
「ほら、行くぞついて来いっ」
より一層ダラダラと汗を掻き、呼吸の荒い鉱山長を見るに流し込む魔力がそもそも足らないのか。もしかすると機密を外部へ漏らさない為の配慮かも知れない。そんな益体の無い事を考えつつ、俺も鉱山長の後ろを付いて扉を潜る。
鉱山内はどこもひんやりジメジメとしていて俺好みの環境ではあるが、この部屋は一層温度が低いようだ。
――――だが、そんなしょうもない感想など一瞬にして思考の隅へ吹き飛ばされる程の衝撃に見舞われ、俺は部屋に入って直ぐのところで立ち尽くした。
「……おいおい、マジか」
視界に映るのは部屋を埋め尽くさんばかりの鉄の塊たち。
それらは他面体を二つ縦にくっ付けたような形状をしており、二段目には細長い筒のような物が付いている。そして、それらを動かすのに最も適しているであろう、無限軌道――――つまりは"キャタピラー"によって支えられていた。
見紛う筈も無い、これは戦車だ。
それも一台どころか、ゆうに数百はくだらない数が整列している。何故現代兵器がこんなところにあるのか、なんの目的で作ったのか、疑問は尽きないが今重要なのはそんな事じゃない。
「驚くのも無理はない、こんな物見たことも無いだろう……?」
鉱山長は掠れた声でそう言って、俺の首輪を掴んで軽く持ち上げた。
「いいか、一度しか言わんからしっかりと聞け。この鉱山の事を知ったルヴィエント侯爵の手勢が緋の勇者を従えて伯爵領へ乗り込んでくる、そうなれば如何に伯爵と言えど糾弾は免れないだろう。だがそうなればワシと……これを見たお前も同様に奴らに消される」
一度そこで言葉を区切り、粘ついた笑みを浮かべる。
さて、鉱山の事が露見したとなるとアキト達の仕業だろうな。俺をほったらかしにして正面から叩き潰す方向にシフトしたらしい、ここを出れたら一発殴ろう。
「お前も死にたくは無いだろう? なら、ワシに忠誠を誓え、そしてワシをここから逃がせ。お前はそこそこ腕が立つらしいからな、肉盾と……少し若いがそちらの役割も果たせるだろう」
隷属の首輪は最初全ての人間への敵対行動を禁止しており、一区へ移された時点で奴隷たちがその設定から外された。やろうと思えば鉱山長以外の人間へ害をなしても問題は無いように設定が出来る。
つまりはこの男、無理やり秘密を握らせ、自分専用の奴隷になれと言っているのだ。
自らに迫る危険を排除させる為にある程度強く、ついでに女であればいいと思って呼んだ……と、ここまで来れば想像は付く。
拒否権は無いに等しいが、仮にもし断れたとしても鉱山長が捕まって情報を吐けば、その奴らとやらに俺の事もバレて殺される……らしいし。設定を変更して貰わなければ俺は反撃すら許されずに死ぬと、そう思っているのだろう。
だが、この考えには穴が多すぎる。そもそも、勇者が来て解放された時点で隷属の首輪は外される筈だ。そうでなくとも、鉱山長の恐れる"奴ら"がどれ程のものかも怪しい。
「……」
「何も言わないと言う事は、従うと言う事でいいのか、そうだな? そうだろう」
素直に従った場合も俺が追手を相手に何もせず、鉱山長を見殺しにする事だって出来る。あくまで危害を加えないと言う制約だ、傍観はその範疇ではない。俺が断ろうが従おうが、この男が想像する結末に至る確率は半分以下と見ていいだろう。
「早く首輪の設定を変更……いや、その前に今一度、主従の関係と言うのを叩き込んでやってからの方がいいか?」
真面目に悩んでいるのか、鉱山長はそう言ってまじまじと俺の体を舐めるように見つめる。
そして、一瞬の逡巡の後――――
「まあ、味見しておくくらいはいいだろう」
体の上に一枚だけ着ていたワンピースを剥ぎ取った。
あ、見られた。見られた、うっわ、見られちゃったよ。余りに平然と事を起こされたので咄嗟に反応も出来ず、見られた。
何の因果か女に転生して早二十年と少し、女らしいとは言えないまでも一応は相応の羞恥心を持ち合わせていたお陰で、今まで晒す事の無かった素肌を晒した。これは意外と、いや……かなり恥ずかしいぞっ……!
「ほう、服を剥かれても動じんとは、処女では無いのか……?」
下にはかぼちゃパンツもとい、ドロワーズを履いているものの上は裸。
直ぐに隠したとは言え胸を見られた事に対して、男としての価値観と女としての理性がかち合い、内心では動揺が凄まじい。が、取り敢えず表面上は落ち着いているように取り繕えてはいる。
「さて、下も脱がしてやろう」
そう言って腰に伸ばされる手を見て、俺は直ぐに《憤怒之業》を発動して感情を押し殺す。
奴の手が俺の体に触れたら逆に捕まえて投げ飛ばす為に身構え、
「抵抗はせんほうが身のためだぞ」
いよいよ指先が布に掛かった時――――鉱山長の手首から先がすっぱりと切断された。黒々とした炎に焼かれ、宙を舞う腕だったものは一瞬で炭化。傷口も焼いたせいで出血もせず、呆けた顔で軽くなった腕の先を見つめる鉱山長。
「ぎ、いやぁああああああ!?!!!?」
そして、数秒経ってからようやく腕を失った事に気付き、ブワッと噴き出した汗と涙で顔面をグチャグチャにしながらのたうち回る。それを見る俺の肩にはいつの間にか、普段着ている外套が掛けられ、ふわりと桃色が視界の端で揺れた。
「……家畜の分際で、その薄汚い手を誰の肌へ伸ばした?」
メイビスが俺の前に立ち、身も凍るような声色でそう呟く。
一瞬俺へ視線を向けた時に見せたのは、いつもの飄々とした掴み所のないものでは無く、何処か反省するような色の混じった瞳。
そして鉱山長はと言えば、突然現れたその少女の怒気に晒されて、もういっそ可哀そうなくらいに顔を青褪めさせていた。全身から薄っすらと浮き立つ陽炎のような、紫金のオーラはメイビスの魔力だろう。
にしても、メイビスはいつも突然現れるな……。
多分魔法かスキルで隠形してるんだろうけど、それがあればわざわざ俺が危険を冒して潜入しなくても済んだんじゃないか……?
「……これ、凄い魔力使う。今は一人隠すのでも三時間、二人になれば一時間が限界」
ジッと見ていると、俺の考えを見透かしたメイビスが首を振ってそう言った。潜入して直ぐに何人も助け出せる程便利な代物じゃないらしい。まあ、それがあればわざわざ三週間もほったらかしにしないか……。
「けど事情が変わった。今すぐ逃げないといけない」
「勇者の事か?」
「詳しく説明している暇はない。けど……事態は深刻」
かなり燃費の悪い魔法を使ってまで直接俺に会いに来るほどの緊急事態のようだ。
「とにかく、すぐにここを出ないと――――」
「な、なんだっ!?」
「……まさか、もうここまで来た!?」
そして、メイビスがそう言い終える前に凄まじい地鳴りが起き、鉱山全体が震える。直後、一気に青褪めるメイビスを見て、俺は危機がすぐそこまで迫っている事を察した。
事態は急転、もはや一刻の猶予も無いらしい。