9.馬鹿な白兎
「……嫌だね」
「は?」
豊穣亭へ戻った俺は早速エイジスに事の次第を伝えたのだが。答えは上記の通り、否という返事が返って来たのみ。
「どうしてだよ、この街で飛竜の討伐が出来るのは師匠だけだろ!?」
「それは確かにそうだ」
「じゃあなんでだよ!」
俺が声を荒げながら詰め寄るとエイジスは汗を拭い、心底呆れたような溜息を吐く。
そして、その鋭い双眸を細めてこちらを見て、コップに入った酒を煽った。昼間から酒を飲んでいる事はさておき、この態度は少々むかっ腹が立つ。知り合いが困ってるから助けてやるのは当たり前ではないのか?
「まず第一に、お前が俺の力を頼る前提で、ジジイから面倒事を請け負って来たのが気に入らねえ」
「――――」
「大方話を聞いてすぐに安請け合いしたんだろ、俺ならなんとか出来るって。それ自体は間違いじゃない、俺一人でも飛竜程度は倒せるだろうよ」
が、沸騰しかけた脳みそへそんな冷や水が浴びせられ、私は思わず反論の言葉を呑み込んだ。いつもより数段低い声音のせいか、それとも怒気を孕んだエイジスの目に睨まれているせいか、何かを言おうとしても言葉が出てこない。
「自分で出来ない事を請け負い、他人に押し付ける。そういうのを俺の母国じゃ、『炎竜のまたぐらに居座る白兎』って言う。雑魚が強い奴にくっついて、自分が何でもできるようになったと錯覚して驕り高ぶるって意味だ」
「ち、違……私はそんな事……」
「違わねえだろ、お前がやったのはそういう事だ。いいか? 俺は冒険者だ、自分の命は自分で守らなきゃいけねえ。出来るからって何でもかんでも安請け合いしてたら、命が幾つあっても足りないんだよ。仮にもし俺が飛竜に殺されたら、お前は誰に守ってもらうんだ? また薄汚ねぇ浮浪児に戻るか?」
正論、師匠の言うそれは、ぐうの音も出ない程に正しい言葉だろう。
俺にだって似たような経験があり、その結果にどんな痛い目を見たかも未だに覚えている。もう二度と、あんな思いは御免だと思う程に。
「そういうのは聖人君子か、勇者か、もしくは馬鹿のする事だ。そしてお前は聖人でも勇者でもない。分かったらとっとと断ってこい馬鹿」
「でも、飛竜はどうするんだよ……このままじゃイェルドさんは」
「手に負えなくなったら領主様が討伐隊を派遣するだろうよ。飛竜なら家畜を攫うだけで、こっちから手を出さねぇ限り襲われる心配もねえだろう。ジジイには悪いが辛抱してもらおうぜ」
ただ、あんまりだ、とそう言いたかった。
エイジスとて人間であり、当たり前だが臓腑を失えば死ぬ。頭を失えば、首が折れれば死ぬ。沢山の冒険者の先逝を見続けて来た彼だからこそ、身の丈を知らない小兵にそう叱咤しているのだろう。
俺とて、出来る事と出来ない事の見極め程度は着くと自負しているし、だからこそ出来る人間に縋る事しか出来ないのも重々承知していた。それを蹴られて駄々を捏ねるなど、正しく子供の癇癪と何ら変わらない。
合理的に考えればリスクを冒して飛竜へ挑むより、国が動くのを待った方が絶対に安全なのは分かる。領主の派遣する討伐隊ともなれば、訓練された兵士によって構成されている為冒険者と比べて練度も高いだろうし、飛竜ならば恐らく魔導士も出張る筈だ。
理解している、これは俺の領分では無い。だが、それでも俺の子供染みた稚拙な心では、納得する事はできなかった。
前世で引き篭もっていた頃は、安全な家の中から世界を憎み続けていた。何をするでもなく、自分をこの暗くて陰鬱な空間に閉じ込めた原因を他者に求め続けた。
人の目に晒される恐怖から満足に外も出歩けず、焦燥とは裏腹に時間ばかりが無為に過ぎて行くあの苦痛は今でも鮮明に思い出せる。明け方、通勤通学の為に外を歩く人々を横目に薄暗い部屋から外を眺める惨めさは、筆舌に尽くし難い。
どうして自分ばかりと、悲劇の主人公ぶって泣いたりもした。
あの頃は最早、誰かの為だなんて考える余裕なんてなくなっていた。自分の事で精一杯の筈が、それすらも満足にこなせず、劣等感が募り続けた。
今世でも記憶が戻るまではそうだった。
何を置いてもその日を生きる事、ただそれだけ。夢も希望も無いに等しい人生を送って来たんだ。
けど、今は少し違う。
周りに目を向ける余裕が出来て、戦う力もそれなりに手に入れたと言える。
ならば、自分が伸ばせるところまで手を伸ばしたっていいのではないか? それの何がいけないんだ。とりわけエイジスには、俺よりも余程力があると言うのに。
「……この分からず屋め」
「おうおう、何とでも言え、この大馬鹿野郎が」
俺が睨むと、エイジスは意に介すことなく、そう受け流した。
もう、何を言っても無駄なのだろう。ここでどれだけ睨みつけたってエイジスの腰は上がらない。
「なら、私一人で何とかしてやる」
「お前、今なんて――――」
俺はそう言って踵を返すと、再び勢いよく豊穣亭を飛び出した。
***
「だが……どうやって俺一人で飛竜退治をするか……」
先程はあんな事を言ったものの、完全に見切り発車である。
アイスを作ろうとしたら、なんだかとんでもない事態にまで発展してしまったものだ。尚、俺一人で飛竜を倒す展望などこれっぽちも思い付きやしない。
神鉄流の鍛錬は殆ど基礎に近しい物しか習っていないし、まともな武器だって未だ持たせて貰ってはいないのだ。
それに、飛竜と言うからには、恐らく空を飛んでいる筈である。遠くから攻撃する術を持たない俺は、まずそこの障害を突破しなければいけないのでは?
正直、エイジスの手を借りずに何とかする事しか考えてなかった。やはりイェルドさんには悪いけど、討伐隊に任せてしまおうか……。
「……いやいや、それじゃ駄目だ!」
あれだけ啖呵を切って出て来てしまったのだ。
俺が何とかしなくては、このまますごすごと逃げ帰ったら笑われてしまう。まあ、とにかくは飛竜を倒せるような策を何か思いつけばいいだけの話ともいえるし、ここは一つ現代知識で解決法を編み出すとしよう。
呻れ、俺の灰色の脳細胞!
前世の知識も総動員して、何か名案を……名案……案が……
「無い……」
残念な事に、脳内には攻城兵器やら、破城槌やら、カタパルトやらの単語が浮かぶものの、それらの作り方は一切出てこなかった。投石器でも作れればワンチャンあったと思ったのだが、俺が作れるのは精々パチンコくらいだろう。それで飛竜が倒せるとは到底思えないし、作る気も無い。
「う~ん……」
しかして、俺が呻りながら街の通りを歩いていると、なんだか表通りがやけに騒がしい事に気が付いた。視線の先では人だかりが出来ており、怒号まで聞こえる。
「なんだろう、喧嘩でも起きたか?」
裏町に程近いこの辺りでは喧嘩は日常茶飯事ともいえるので、相当白熱しない限り人だかりが出来る事はないのだが……。すると、何かまた問題事だろう、気分転換に少し覗いてみよう。
そんないらぬ野次馬根性を発動し、俺は飛竜の問題を頭の隅に置いて人だかりへ誘蛾灯に集る虫の如く寄っていく。暫く小さな体で人混みを掻き分け、最前列に出ると男の怒声が耳朶を叩いた。
「おいこらテメェ! どうしてくれんだよぉコレ! 高かったんだぞ!?」
「す、すみません……」
「げっ!?」
声の主はどうやら、この前雑用として雇った俺へ金を支払わずに殴りつけたBランクの冒険者のようだ。名前は確か……『ジン』とか言ったっけ?
しかし参った、隣にエイジスがいないときに出くわすとは。
強い奴には媚びるタイプなので、エイジスには逆らわない為に普段絡まれる事はないが、殴られた事と言い、あの横柄な態度と言いあまり得意ではないんだよなぁ。
因みに、彼に怒鳴られているのは、鼠色のフードを目深に被った女性。
旅装だがやけに荷物は少なく、これと言った特徴も無い普通の旅人である。強いて上げるならば、首に提げた祈祷具だけは中々な値打ちものと言ったところだろうか。
恐らくは伍神教か、この辺りであればアース教の巡礼者であることに間違いはなさそうだ。
「見ろよこれ、シミになってるじゃねえか。お前弁償できんのか、金貨五……いや、一枚したんだぞ!?」
「い、今は払えませんが、必ず弁償いたしますのでどうかお許しください」
だが、こんな街中で面倒な奴に絡まれるとは災難としか言いようが無い。この手の人間は相手が女子供だと途端にイキり散らかす為、一度因縁を付けられると相手にするのが大変面倒である。
とはいえ、ジンの奴ももう少しマシな嘘が吐けなかったのだろうか。
俺の見立てが間違っていなければ、彼の着ているベストは殆ど処分品同然で卸されていた銀貨10枚の毛皮のベストだ。替えの外套を買いに武具屋へ行った際、エイジスが粗悪品と言って吐き捨てていたのを覚えている。
いやはや、物を見る目が無いと言うか……いや、皆まで言うまい。流石に五枚は不味いだろうと、一枚まで値下げしたのでまあ、うん。
「いいや、駄目だ。金が払えないって言うんだったら、体を売ってでも払うか?」
「そ、それだけなりません! この身は神に……捧げたもの、欲に穢れる事は許されない……のです……」
「うるせぇ! ならてめぇんとこの神とやらは、人様に迷惑を掛けてもいいって教えてんのか!?」
なんとも滅茶苦茶な話である。まあ、恐らくジンの方も頭に血が昇って、自分でも整然とした事を話していない自覚はあるだろう。
「……これだからDQNはやだよなぁ、怖い怖い。」
だが、これ以上傍観者でいるのにもそろそろ飽きた。
俺は馬鹿でいると決めたばかりなのだ、ここで見て見ぬ振りも出来ないだろう。
「そこの、少しいいかな?」
「あぁ?……って、お前はあの時のガキじゃねえか。なんだ、また痛い目を見に来たのか?」
「その節はどうも。ただ、今はお前の吐いた嘘について少し聞きたいんだが――――」
「俺がいつ嘘を吐いたって言うんだよ! 言ってみろ、おい!」
声を掛けながらも近付いてみれば、彼の羽織る毛皮のベストに露店で売られている肉のタレが付着しているのが見えた。
偶然か不注意かは置いておくとして、この程度で金貨を支払わされかけたお姉さんに同情してしまう。弁償しなければいけないというのはまるで嘘なのだから。
「まず、その程度だったら今すぐお湯で揉み洗いすれば落ちる。それはローンエイプの毛皮だろう? 奴らの主食である油種の実は当然知っているだろうが、連中は実の油で滑らないよう、毛皮はそれを弾くように出来ている為油汚れに滅法強い」
「な――――」
俺はこの三か月以上、情報を纏めれば小粋なジョークと豆知識も含めて一冊書ける程度にはエイジスの傍で魔物たちを観察し続けた。装備の素材を見極める事も冒険者として必要な技能だと、師匠も何度か俺に言い含めていたしな。
「そもそもが、冒険者の着物なぞは放って置いても汚れるものだろうに。それを高々肉の油が染みた程度で大騒ぎして、滑稽極まりないな。因みに、ローンエイプの毛皮なら精々銀貨20枚……いや、10枚が良いところだぞ。そんなに金が欲しけりゃ私が払ってやるよ」
「うぐ……」
そう言って懐から銀貨を10枚取り出すと、ジンの足元へ投げつけてやる。
これは豊穣亭とエイジスの元で働いて得た正当な賃金であるから、誰が何と言おうとも俺の自由に使わせて貰う。
「ぐ……このクソガキがっ!」
「あ、危ない……!」
いよいよとうとう、ジンは我慢の限界だったのか、いきり立って俺に掴みかかって来た。突然の事に加え、自分よりも二回り以上大きな男に襲い掛かられるのは正直に言ってクッソ怖い。
だが、今の俺は以前とは一回りも二回りも違う事を証明するいい機会でもある。
「うぐっ……!?」
俺の服の襟に伸ばされた腕を掌で弾いて受け流し、よろけた足元を払う。うつ伏せに倒れたジンは、目を白黒させて呻き声を上げた。
神鉄流及び名も知らぬ格闘術により、エイジスの門派は無手でも戦える。彼から教わった基礎の一つが、しっかりと対人戦においても機能してくれて助かった。
「クソが! 人をコケにしやがって、もう許さねえぞ!」
しかしながら、大したダメージも無かったのか、激昂し顔を真っ赤にしたジンは勢いよく起き上がる。そのまま腰に提げたサーベルへ手を伸ばすと、留め具を外して勢いよく引き抜いた。
まあ、武器を使われることまでは想定内である。素手の少女相手にプライドは無いのか、甚だ疑問ではあるが、むしゃくしゃしている俺にはそんな事関係ない。
「……私は今、虫の居所が悪いんだ」
ともかく、この男には個人的な恨みもある。
徹底的に叩きのめして、溜りに溜まったフラストレーションを少しでも解消させて貰おうか。
読んでいただき、ありがとうございました。
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