74.作戦実行
俺とウミノは、メインストリートから外れた薄暗い路地を並んで歩いていた。
二人ともいつも着ている装備は外し、今は質素な革と麻布で出来たロングワンピースとブーツのみ。
やたらと目立つ髪は染髪剤によって白から、彼女に似せるよう濁った藍色へと変えられている。この世界のソレは現代の物よりも少々刺激が強いので、未だに頭皮がチクチクするのだけが煩わしい。
「こ、怖いよぉ……」
「大丈夫、お姉ちゃんが付いてますからね」
いつもなら何の気なしに歩くような陰気な裏路地を、今だけは昔のように怯えた様子でゆっくりと進む。両手を胸の前で重ね、不安そうに辺りを見回せば何かの拍子に路地へ迷い込んだ、哀れな半魔の女の子にしか見えないだろう。
そんな俺の手を引く彼女も、まだ幼い妹を連れて気丈に振る舞う姉に見えている筈だ。設定としては異国の地で親とはぐれた姉妹が、誤って人気の無い裏路地を彷徨っている……なので、ほぼ完璧な演技と言える。
尚、アキトとメイビスは俺が視認できる位置からずっと監視を続けている。
奴隷狩りに捕まった俺達が、そのまま連れて行かれたタイミングで尾行する手筈になっており、問題なく鉱山へ連れて行かれる事を見届けてから外部で自主的に"色々"としてもらう予定だ。
仮に鉱山に向かわなかった場合、メイビスが奴隷狩りを襲撃して全てなかったことにする。
「……」
「……来ましたね」
暫く路地を進むと、背後から付いてくる三つの気配を捉えた。
左右と真後ろ、恐らく挟み込む形で襲ってくるのだろう。気配の殺し方も甘く、足音も消えていない素人仕事を考えると、雇われのチンピラか食い扶持に困った傭兵が転職したかだな。
路地の突き当りにさしかかり、一瞬躊躇するように立ち止まった途端に背後の一人が歩調を速めた。それと同時に左右の輩が同時に曲がり角から飛び出し、一瞬で視界が真っ暗に切り替わる。
「今だっ!」
「キャッ!?」
あっという間に目隠しをされ、首に固く冷たい何かを嵌められた感触が走った。
恐らくはこれが隷属の首輪だろう。何かの嵌る音がした途端にほんの少し脱力感が訪れ、魔力の循環が停滞するのが分かった。最後にずた袋を上から被せられたのは分かっているので、一応怪しまれないように気持ち程度暴れておく。
「んー!! んー!」
「暴れんなこら! おい、早く紐縛れ!」
ゲシゲシと内側から袋を破かないように押し、パニックを装ってやると何も知らずにそれを抑え付けようと男が俺の足を抱えて折りたたみ、紐で縛れらた。
その後は規則正しく揺れる感覚と男の息遣いが聞こえていたので、多分担ぐか抱えるかして俺を運んでいるのだろう。あ、おい、ちょっと揺れすぎだって、もっと丁寧に扱え。
あちらの判断で拙いと感じたら残った二人による介入を許可しているものの、今のところそれは無いので事は順調に進んでいる筈だ。ウミノも同様に大人しく捕まったらしい。ここからは、普通の奴隷狩りならば非正規の奴隷商の元へ連れていかれるが、俺達の行き先は確実に別。
体感で十分程経過した辺りで何か硬い床のようなものに放られて、馬の嘶きと共に床が上下に揺れ出す。その震動で何度か頭を打ったし、一度舌も噛んだ。そして更にそこからドナドナされる事数時間、再び人に担がれた俺は何処かへ運び込まれ、そこでやっとずた袋から解放される。
横座りのまま目隠しを外されると、部屋を照らす灯りらしき光に思わず顔を顰めた。
俺は目がいい癖に眼球の色素が薄い為、強い光などに滅法弱い。それを補う為に普段なら瞬膜が機能するのだが、どうやら首輪のせいで思考や反射神経なども多少鈍っているようだ。
「おお、こりゃまた上玉だな。しかも二人、姉妹か?」
「半魔で、しかも妹の方は角と尻尾ってこたぁ獣系の混血っぽいな? 羊人族にゃあ見えねえが」
「……おい、コレ何処かの貴族のお嬢様姉妹とかじゃねえだろうな。どっちもいやに顔が整ってやがるし、もしそうだったら不味いぞ」
「問題ねえよ、見てみろよこの服と髪を。顔がちょっといいだけの平民だって」
ようやく目が慣れて来た頃、俺は複数の男に見下ろされている事を理解した。
怯えたような演技をしつつ部屋の中の様子を伺えば、奥には鉄格子の嵌った檻のようなものが幾つも並んでいる。恐らくはここで一旦奴隷を集め、鉱山へ連れて行くのだろう。今も俺の他に数人、牢の中で座り込む人々の姿が確認できた。
「いや、でもよぉ……これを両方鉱山へ持っていくのはちょっと勿体なくねえか?」
「あ? 捕まえた奴は全部山へ送れって、リフト様が言ってたろうが」
「ちょっと味見する位ならいいんじゃね……?」
「やめとけ、孕ませでもしたら俺達が殺されんぞ」
真上で交わされる会話は、おおよそ聞いていて心地のいいものじゃない。これを何も知らずに捕まえた少女相手にもやっていると思うと、胸糞が悪くなる。
「だってこんな上玉滅多にいねえしよ、こういう役得があるから俺たちだって仕事してる訳だろ?」
「あ、いい事思いついた。見るだけならセーフじゃね?」
「確かにな、ほらっ、どっちでもいいからスカート捲って見せて見ろよ」
下卑た顔と声でそう言い、俺を立たせると一人の男が俺の腕を掴んで裾をたくし上げさせようとした――――
「――――おい、なにしてやがる、仕事はどうしたぁ?」
「ヤベッ、リフトさんだ……」
直後に低く唸るような声が部屋内に響き渡り、裾をたくし上げるよう催促をしていた男は慌てて手を引く。
しかして、俺の背後にある扉から部屋へ姿を現したのは凄まじい巨漢だった。3mはありそうな体躯はまるでオークを思わせ、肥満体系に見えるが、よくよく観察するとそれの殆どが筋肉である事が分かる。
更に、その腰には何に使うのか想像したくないが巨大な肉叩き――――ミートマレットと呼ばれるものと、同様に巨大なハチェットによく似た包丁を提げている。
そんなリフトと呼ばれた大男は、頭に被った無骨な鉄の面から荒い鼻息を鳴らしながら俺の元へやって来た。
「おおう、こりゃまた美味そうな女達だなぁ……姉妹か?」
巨体を屈め、ジロジロと舐め回すように俺を観察すると、より一層その鼻息が荒くなる。
生暖かいそれは卵の腐ったような臭いと、カビ臭さが混ざり合ったような異臭で、思わず鼻を抓みたくなる程キツい。が、ここであまり大きな動きをすると、相手が逆上しそうで怖いので怯えたような仕草で少し顔を逸らすだけに留める。
「おほぅ、その被虐的な仕草もたまんねぇなあ。正直俺が食っちまいたい位だが、今ぁ鉱山の人出が足りねえからなぁ」
明らかに上機嫌でそう言った男の目は、濁した表現をすれば好物を前にした豚のような――――直接的に言えば性的な視線だった。
こういう目に晒された事が無いわけではないが、何度目だろうと慣れるわけではない。心の強さとは無関係な場所で恐怖を感じる、正直言ってかなり不快だ。そっぽを向いたついでに檻の方へと目を向ければ、怯えたような顔でこちらを見る奴隷たちの表情が伺える。
恐らく、あの中に居る女性達にも同じような事をしたのだろう。
(……クソだな)
ここにいる奴も、ウェンハンス伯爵も、それに加担する創世の輩とやらも全員クソッタレだ。弱者を枷で縛り上げ、何も出来ない相手へ下卑た言葉を浴びせて食い物にする。
もう今ここで首輪をぶち壊してこいつら全員血祭りにあげたいが、そんな事をすれば一生追われて生きる身になってしまう。俺の目的はブレッタを救い出し、マサリアさんに送り届ける事だけだ。
(目的を履き違えるな、冷静になれ)
俺が今ここにいる目的は恩人へ報いる事、そして暴れてはいけない理由――――目標はイミアと平穏な日常を送る事なのだから。
……うん、取り敢えずアザリアの変顔でも思い出して心を落ち着けよう。
***
「ルフレさん、本当に大丈夫ですかねぇ」
鉱山の手前に建てられた、シンプルなデザインの建物へ馬車が停まるのを確認してからアキトはそう呟いた。
ウェンハンスの街で購入した馬に跨り、引き返すように腹を足で蹴って指示を出す。アキトの後ろにはメイビスが横座りで乗せられ、今も建物をジッと見つめている。
前世で乗馬の経験など無に等しかったが、アキトはこの世界に来てから八歳の時には既に馬に乗る訓練をしてた。理由は様々あるだろうが、その殆どは彼が神童たる故の物だ。
五歳にして諸侯の高等教育で習う水準の読み書きや計算が出来た事で、王都の学園へ入学する事が期待視されていた為に必須スキルとして無理やり習わされていた事や、勇者パーティーに居た頃も馬車の御者の真似事や先触れの為に一人馬で駆ける事もあった。
他にも騎馬状態での戦闘訓練もさせられたし、アキト自身乗馬は好きな方なので遠乗りにもしょっちゅう出かけた事もある。
そう言った理由から馬に関してはそこそこの博識でもあるのだが――――
「まさか、本当にいるとは……」
左右合わせて"六本の足"で力強く地面を蹴り上げ疾走する漆黒の馬、『おこげ(ルフレ命名)』を見下ろして半目になった。
「スレイプニル……、神話だけの生き物かと思ってたよ」
「……? これはニル種、スレイプニルじゃない」
「ア、ウン、ソウデスネ」
地球では神話の生物として有名なスレイプニルによく似たニル種という馬は、珍しい種類で六本足による安定感と速度、スタミナにも優れ、どの国においても軍馬として愛用されている。そんな普通に買えば金貨数十枚はくだらないものを、ルフレは即決で購入してしまったのだ。
「……ほんと、面白い奴」
しかも、気性は落ち着いているが知能は高く、無能な主には従わないとも言われる気難しいニル種を一瞬で手懐けたルフレを思い出して、メイビスは面白そうに目を細めた。
生物としての格の違いは馬でも分かるのだと、自嘲気味に笑いを溢す。
それが出来なかったが故に大敗を喫して、理解らされた事に対する悔しさはもう失せている。むしろ次は何をしてくれるのかと、メイビスは少し期待している部分すらあった。
「……それで、私たちは何をすればいい?」
「えっと、さっき説明しましたよね……」
「口答えするな、殺すぞ」
「ひぎぃ!? う……まずは、この領地の状況を把握する為に情報収集をします」
――――ウェンハンス伯爵の補佐官であったアヴィス男爵の屋敷にて、伯爵領で具体的に何が行われていたのかを調べ、実証を取る。
「それから……伯爵邸に潜入する事になりますね」
「……潜入? あの娘はそんな事指示してなかった」
ルフレが二人に任せた仕事は、來るべき時に外部から脱走を手引する事。そして、万が一作戦が失敗した場合は、メイビスがアキトをなんとしてもこの国から逃がす事だった。
「ですね、けど、自分だけカッコつけて犠牲になろうなんて甘いんですよ」
「……?」
「伯爵邸には恐らく、今回の一連の出来事に関する不正書類がある筈。それを公に出来ればルヴィスの領主や、保守派連中は黙っていませんからね。聞いた話によれば、王室とウェンハンス領の横暴に相当鬱憤が溜まっているらしいですし」
ルヴィスの領主――――ルヴィエント侯爵へ不正の証拠を流し、それによる申し立てを起こせば恐らく国王としてもこちらに軽率な手出しは出来なくなるどころか、侯爵家を味方に付けてウェンハンス伯爵を失墜させる事すら出来るだろう。
「……危険」
「いや、だからこそやるんですよ。僕だって伊達に商人やってません、利に敏く、義理を重んじよと師匠には耳に胼胝ができる程言われましたからね。ここは間違いなく勝負所です、命を懸ける……いや、賭ける価値がある」
現代人としての価値観と、異世界人としての価値観を併せ持つアキトの根底はお人好しかつ、打算的。小心者ではあるが、出る時は出る大胆不敵さも併せ持つと言った二面性がある。そうして培ってきた勘が、今この時こそが勝負だと囁いていた。
「僕ね、ルフレさんって将来絶対大物になると思うんですよ……あ、今も相当凄いですけど。そんな人に恩を売っておくのは利になりこそすれど、損にはなりませんからね」
商人にとって最も価値あるものとは――――信用。
それを勝ち取るのなら金に糸目は付けてはならないと、守銭奴のバカラでさえも言うのだ。現状、ルフレは既にアキトを信用して、おこげと自分の命を託して行った。
そして、彼はその信用へ応える責務を果たす為に、
「ほら、見えてきましたよ」
"旧アヴィス男爵邸跡地"へと――――足を踏み入れる。