65.もりのなかにいる
――――暖かい
微睡む身体を優しく照らす、柔らかな陽だまりのような、そんな暖かさに包まれている。
清涼なレモングラスの香りと、春の訪れを感じさせる緩やかな風が頬を撫でて、意識の覚醒を促しているようだ。
けど、まだ眠いなぁ。
もう少し、寝ててもいいかな。
というか俺、どうなったんだっけ。
瞑った瞼をすり抜けて、瞳に差し込む光に思わず薄っすらと目を開くと、クリームのような木洩れ日の光が頬へ指していた。
俺が目を覚ますのを急かすように風が吹くと、梢たちの爽やかな葉擦れの音が耳朶を擽る。
「……どこだ、ここ」
自分が仰向けで寝ていたのは辛うじて分かるが、何故俺はこんなマイナスイオンに溢れた森林の中にいるのかが分からない。あ、風気持ちいい……。
ゆっくりと上体を起こして、体の調子を確かめる。
どうやらどこも怪我や欠損などはしていないようで、一安心。
そして周囲を見渡してみれば、やっぱり一面の木だ。もりのなかにいる。
確か、俺はフラスカ王城の地下牢で、メイビスから情報を引き出そうとして……
「ッ!」
そうだ、メイビスだ。彼女が俺も知らない魔法を発動させて、視界が真っ暗になったかと思ったら意識が飛んだ。
それからどうなった……?
意識を失っている間に森の中に運ばれて、放置されたのか?
……いや、そんな事をする筈も必要も無いし、何らかの方法でここへ転移――――飛ばされたというのが妥当だろう。
もしそうなら、あそこにいた全員が転移させられた可能性もある。
「不味いな……そうなったら国は大混乱だぞ」
とにかく近くに誰かいないかを探す為に立ち上がり、服に付いた土埃やら草やらをはたいて落とす。
右も左も、どちらが北なのかすらも分からない中で歩き回るのは危険かと、少しの間逡巡していると――
「ひぎゃあああ!!」
「ッ!」
という叫び声が森に木霊した。
誰のものかも分からないが、迷う間も無く声のした方へ一直線に駆け出す。幸いにも今の叫び声は然程遠くない、直ぐに見つかる筈だ。
木々の間を抜けて草を掻き分けると、木の生えていない広い空間に出る。
そして、その中心に程近い場所に声の主と、その原因がいた。
「ひっ、ひひぃあああ、ぼ、僕は食べても美味しくないですよっ、だ、だだから殺さないでぇ」
「アキトッ!?」
情けなく命乞いをしながら、両手をハンズアップしているのは……アキトだ。
そんなみっともない青年の後ろからアキトの首筋へ漆黒の鎌をあてがう少女――――メイビスは、俺を見ると三日月のような笑みを浮かべて目を細めた。
「……目が覚めた?」
「ああ、ぐっすり快眠だったよ。んで、起きて見ればこの状況……やっぱお前最高に生き汚いな」
「動かないで、動いたらこの男の子……殺す」
「ひぎぃっ!?」
バイブレーション機能でも搭載しているのか元気よくガタガタ震えるアキトを見るに、アイツも今さっき目覚めたらしい。
先程の悲鳴は恐らく俺を呼び寄せる為に敢えて叫ばせたか。
と、なるとあの場所からこの森へ他に飛ばされた人間はいないと見て良い。
もし他の面々がいるのなら、人質に取るのはアキトではなくアザリアかリルシィだしな。
だが、この状況はあまりよろしくない。
アンネの時と違い、メイビスなら一瞬でアキトの首を掻っ切れるだろう。
迂闊に動けないどころか、今ここで俺はメイビスの要求を呑むしか選択肢が無い可能性がある。
「それで、お前何がしたいんだよ」
「まず武器を捨てて、それから服も脱いで」
「えっと……? 服も?」
「早く、その服に魔法が籠められてるのは分かってる」
おう……俺の装備が魔法繊維で編まれた服だと見破られていた。
身体強化した時にも魔力が可視出来ているような発言はしていたし、当然と言えば当然だが……。如何せんここでMAPPA! になるのは恥ずかしいな……。
だが、言う事を聞かなければアキトは死ぬだろう。いや……でも全裸を見られる位なら、死んでもらった方がいいかも知れない。俺にだって人並みの羞恥心はあるのだ、特に今の性別で肌を晒すのはヤバイ。R指定が掛かってしまうぞ。
「る、ルフレさぁん……」
「ぐ……分かったよ、脱ぎゃいいんだろ脱ぎゃ!」
小鹿のようにプルプルしているアキトを見て、俺は本当に致し方なく服を脱ぎ始める。
腰に提げている刀を地面へ置き、首に巻いた布を外して腰巻と帯の留め具を取る。
着物のように着るタイプなのでこの時点でインナーのみになるが、これも魔法が掛けられている為脱がなければいけない。
「……見たら殺す」
「アッハイ」
俺がそう言うと、アキトは素直に従ってギュッと目を瞑った。
メイビスはともかく、男であるアキトに見られるのだけは避けたい。
なんかもう性別観とか、性自認とか色々グチャグチャな俺ではあるが、とにかく男に肌を見られるのは嫌悪感しかないのだ。
TSっ娘のテンプレ的展開であるお着替えシーンで「男同士なんだからいいだろ」みたいな台詞があるけど、実際女になってみろ? 言える訳無いからな、普通に嫌だから。
「はやく……ほら、その真っ白なお肌を私に見せて、ああ、綺麗なおへそが……」
「……待て、おい、お前……ちょっと、待て」
タートルネックのインナーを捲り上げた瞬間、メイビスは頬を紅潮させながら恍惚とした表情で俺の腹部を凝視し始めた。
「なんか脱がせる目的が違う気がするんだけど?」
「違わない、早く脱げ、ほら、早く、肋骨を見せろ」
これはアレか? 俗にいうお腹フェチという奴なのか?
それとも俺の腹を掻っ捌く想像をして涎を垂らしているのか? コイツは。
「……ああ、たまらない……無理やり言う事を聞かせて小さな女の子の体見るの、最高」
「お前マジで殺すぞ?」
……お巡りさんコイツです、やっぱり変態でした。
「うぷ……鼻血が、あぅ……不味い、クラクラする……」
「おい…………おい!?」
肋骨の辺りまでたくし上げた俺の体を見て、メイビスは鼻から血を滴らせてフラフラと膝を着く。その拍子に実体化させていた黒い鎌が霧散し、アキトが自由になった。
「あ――――」
そして、グワングワンと頭を上下に揺らしながら――――とうとう仰向けに倒れてしまう。
それを見た俺は慌てて服の裾を戻すと、アキトの元へ駆け寄る。
「アキト、目開けて早く逃げろ」
「も、もういいんですか……って、うわっ!?」
目を開けたアキトが、足元に転がるメイビスの体を見るや否やギョッとした表情で声を上げた。
だが、その反応は俺の考えていたものとは少し違い、
「た、大変だ! やっぱりこの怪我で動いちゃ駄目だったんですよ」
「おい?」
「早く手当てしないと……ええと、薬草は……」
倒れるメイビスの体を抱きかかえると、そう言って辺りを見回し始める。
仮にも先程まで本気で自分の事を殺そうとしていた奴を、ノータイムで助けようとするものなのか。俺には納得しかねる非合理的な行動だった。
「……馬鹿か」
そう呟いた俺の声など聞こえていないのか、アキトは必死にメイビスを助けようとしている。
俺だって極力殺すつもりは無かったけど、それでも……助けるという考えは完全に頭から抜けていた。よく見ればメイビスの体には未だ無数の怪我が色濃く残り、常人ならば動くのもしんどい程だ。
何をしたかったのか分からない先程の行動も、もしかするとただの悪あがきで、強がりだったのかもしれない。
そう考えると、今ここでメイビスの為に奔走するアキトを見るだけの俺が、やけに冷たい人間に思えた。
だからではないが、
「ほら、薬だ。飲ませて横にしとけ」
「あっ、ありがとうございます!」
取り敢えずはコイツからは色々と聞きたい事もあるし、助ける事にしよう。
第二章後編のヒロイン?は変態でした。ちゃんちゃん。




