閑話.グリュミネ鉱山 その二
奴隷たちの居住スペースは鉱山の一角、洞窟の壁を掘って作った簡素な部屋が点描のように並んでいる。
そんな空間をトテトテと小さめの歩幅で駆ける足音が、もう一人大股の早足で歩く大人の足音と合わさって木霊していた。
「……」
大股の方、ジンは背後から際限なく聞こえるもう一方のそれにイラつきを抑えつつ歩く。
立ち止まる度に背後の足音も消え、また歩き出すと鳴り、明らかに自分に付いて来ている事を確認すると、勢いよく背後へ振り向いて前屈みになる。
「あうっ……」
「付いて来てんじゃねえぞ、ガキ」
ギロリ、と脅すような目つきで見れば、猫耳の少女は驚いたように一歩後退った。
だがそれだけ、驚きはしたが怯えた様子も見せず、ジンをジッと見ている。その夕焼けのような橙の瞳に見据えられ、ジンは何となく目を離す事が出来なくなった。
「むむむ……」
先に目を離した方が負け、と言わんばかりにジッと見つめあう二人。
酷い三白眼のジンの眼力に負けず劣らず、猫耳少女も可愛らしい猫目を精一杯に見開いてまるで睨めっこのようだ。
そして、とうとう根負けしたようにジンが目を伏せて溜息を吐いた。
「あのなぁ、俺に付いて来たって飯は出てこねぇぞ?」
「知っとる」
踵を返して歩きはじめると、少女がまた後ろを小走りに付いてくる。
「じゃあなんだ、お前はどうして俺に付いてくんだよ」
「お兄さん、ウチのこと助けてくれたやんね」
「……質問に答えろや、おい」
横へやって来て上目遣いにそう言った少女へ、ジンは青筋を立てながら言葉を溢した。
そして、よくよく見れば少女は思ったよりも大きい、小型猫の亜人と言う前提で考えると年齢は大体十四歳くらいか。
「アカネ」
「あ゛ぁ゛?」
「ウチの名前や、お兄さんは?」
「……」
元来の魔人亜人嫌いも相まって、ジンとしてはこのやけに絡んでくるアカネという少女を今すぐぶん殴ってやりたいところではあったが、そんな事をすれば隷属契約の違反で監視兵に懲罰を喰らう事になる。
なので、精一杯の抵抗として無視を貫こうとしていた。
していたのだが、
「教えてくれへん? あかんの? ウチ、迷惑……? くすん……」
「げ……」
ウルウルと大きな瞳を潤ませてそう言われて、ギョッとする。
「……ジン・シールダー」
「ジン、かぁ。ふふっ……変な名前やね」
「テメェに言われたくねえよっ! というかウソ泣きじゃねえか、オイ!」
慌てて名前を言うも、途端にケロっとした顔で笑みを浮かべたアカネを見て思わず叫んだ。
ジンはここに来てから、これ程までに大きな声で怒鳴った事など無かったかもしれない。
明らかにペースを乱されているのを内心で感じ、心を落ち着ける為に深く息を吐く。
「ジン、あんたええヒトやろ」
「……お前、俺の何処を見てそんな事が言えるんだ?」
顔は凶悪、身長もこの世界の平均よりも数十センチは高く、筋骨隆々の見るからにおっかない大人――――と言うのが自他共に認めるジンの人物像だ。
生まれてこの方誰からも好かれた事は無いし、自分でもどちらかと言えば悪い大人だという自覚はあった。それを事もあろうに"いいヒト"だと言う彼女にジンは呆れたように目を細める。
「その目、多分ウチの事嫌ってるやろ。なのに助けてくれた、いいヒトやん」
「ッ……面倒事が嫌だっただけだ、ブッ飛ばすぞクソガキ」
アカネを、亜人を嫌っている事を見透かされ、少なからず動揺したジンを彼女は真面目な顔で見つめた。
「ほら、口ではそう言ってるけど、殴る素振りも見せへん」
「いい加減にしろ……」
その真っ直ぐな瞳と目を合わせるのが嫌で、ジンは目を逸らしたままアカネの肩を突き飛ばし、早足で去っていく。
一人残されたアカネはその背中を見送るようにジッと見つめて、今度は追いかけない。
最後に一瞬交わったジンの目が、後悔と自責、そして怒りに塗れていたからか。
「……せめてお礼くらいは言いたかったわぁ」
そう呟いたアカネは完全にジンが見えなくなってから、ようやく観念したように元来た道を引き返し始めた。
***
「ほ、報告を……フラスカでの適合者選別は失敗、メイビスが消息を絶った……と」
「何?」
大司教の報告にルースは一瞬目を眇め、驚いた様子を見せた。
「あのメイビスが、か。信じられん話だ」
「……左様でございますが、事実です。表沙汰にもならず、口呪の禁も破られておりませんので恐らくは秘密裏に処刑されたか、監禁されているかのどちらかでしょう」
ルースの舐め回すような視線が天上の間をゆっくりと一周し、それから瞑目して思案に耽る。跪き、ただその時間を待つ大司教は次に放たれる言葉を想像して、恐々としていた。
「……一体誰だ、我の邪魔をした輩は」
「げ、現地に潜ませていた根の報告では白髪と白磁の角を持った女型の魔人が、メイビスを討ったと言っておりました」
平坦ながらも声の内に滲む怒りを感じ取って、大司教の頭は益々低くなる。
艶やかな銀の髪を手櫛で後ろへ流すと、ルースは苛立たし気に足を組み替え、小さく舌打ちをした。
「魔人風情が、やってくれるではないか。そうか、白髪白角の魔人か……」
「いかがいたしますか……?」
「無論、消すに決まっておるだろう。ただちにその魔人に関する情報を集めろ」
「御意に」
大司教が慌てて長い礼服の裾を引きずりながら天上の間を後にすると、ルースは深い溜息を吐いて頭を振った。
眉間を抑えて瞑目する姿は、先程までの威厳と威圧感に満ち溢れた教皇とは思えない疲れぶりを感じさせる。
「随分と楽しそうな事になってるじゃあないか、ルース」
そんなルースの背後から声がしたかと思うと、薄汚いローブを纏った男が椅子の隙間から姿を現した。
「バエルだけでなく、メイビスまでいなくなるとは……」
「あいつらは力が足りなかった、特にメイビスは顕著だったな。まあ縛ってるから当然なんだけど? それでも流石にこんな"イージーモード"で負けるんだったら、どのみち要らない駒だったって事だろ」
隠者、という言葉が最も適切であろうその人物はルースの横に立ち、早口でペラペラと言葉を発する。
「それで、また我は貴様の力を頼らざるを得ないという訳か?」
「頼ってくれよ、なんたって俺は君らの愛すべき"主"なんだぜ? 主君が僕に手を差し伸べるのは当然だ」
「正直いまだに信じられない、信用する気にもなれないが……」
「おいおい、誰のお陰でこうしてこの国が成り立ってると思ってんだ?」
まるでルースの事を旧知の友人か、はたまた学校の後輩を相手にするように会話をする男。
それに対してルースは胡乱な視線を向けつつも、邪険には出来ないと言った態度を取っており、それだけでも男の地位の高さが伺えた。
そして何より、男は自分で"教皇らの主"と名乗った。
「この俺、創造神アースラの力のお陰だろ? なあ、おい、なんとか言えよ、死にてぇのか?」
「……ッ、その通り、でございます」
とても神とは思えない言葉を口にしているものの、その怒気を孕んだ言葉を受けてルースは確かに気圧され、一瞬で逆らう気の一切を削ぎ取られる。
「……それでいい、なんで最初からそう出来ない? 無駄な抵抗だって分かってんだろ、こっちの労力も考えろよ……」
「…………」
ぶつくさとそう愚痴を垂れながら、神を名乗った男は再びルースの背後――――天井の間の奥へと歩いていく。
それを見届けてから、ルースは剣呑に眉を顰めて拳を握りしめた。
「あれが神だと……ふざけるな、この国では我こそが絶対だ。あんな神を僭称する輩に好き勝手にされてたまるものか。この国は、大陸は我のものだ、教皇ルース・ゲインの物でなくてはならない……」
その金の瞳に仄暗い野望の火を灯し、ルースの計画はいよいよを持って進行を始める。
数千年続いたイグロス聖国のかつてない発展と、そして大陸全土の侵略の為。
「――――まずは手始めにアルトロンド、あの国を掌握して見せる」
そして標的にされたのは彼の――――ルフレが生まれ育った国だった。