61.化け物としての自覚
『一体なんなんだアレは』というのが私の、アルバートの内心だった。
恐らく、この光景を目の当たりにしている者全員が似たような認識をしている事は間違いない。
黒蟲の動きを止める事すら叶わず、あとほんの数瞬でアザリア様が轢き殺されようとした時――――凄まじい雷鳴が轟いた。
見たことも聞いたことも無いような魔法が迸り、槍に模られた雷が黒蟲の体へ無惨にも幾つもの風穴を開ける。世界広しと言えど此処までの威力の魔法を、詠唱も無しに行使する等は常人の御業ではないだろう。
仮に宮廷魔導士があれと同等のものを再現するのならば、恐らく数十人規模で五分の詠唱が必要だ。それほどまでに、今の一撃は常識離れした凄まじいものだと言える。
しかし当の本人は無詠唱でそんな大魔法を放ったにも関わらず、事も無さげに笑って見せる。
今の魔法で相当量の魔力を消費したはずなのに、疲労を微塵も感じさせないのは一体何故なんだ。
化け物と、そう形容せざるを得ない。
練兵場での一戦が本当に子供の戯れに思えて仕方が無かった。
恐らく、私を相手にした時は相当に手を抜いていたのだろう。
それで尚あの強さなのだから、異常としか言いようが無い。
しかもその後だ。
一瞬耳を疑ったが、ルフレと対面した桃髪の少女は自らの事を『七聖人』と言った。
聖国の伝説的存在……まさか本当に実在したとは。
歴史書で齧った程度の情報だが、七聖人とは遥か昔にイグロス初代教皇が、教会の司祭らとは別に定めた特別な力を持つ七人の事だ。
序列に関係なく、聖人は個人個人が国を一人で相手取れる程だと聞く。
それによるものなのかは不明ではあるものの、実際聖国は一度も戦争に負けたことが無い。
今の七聖人は当時と同じままでは無いだろうが、その名を継いだ彼女らは大陸でも屈指の実力者の筈。
さしものあの化け物も聖人相手には苦戦を強いられるかと思っていた。
いや、苦戦くらいはするだろうと、何処か期待していたのかもしれない。
悔しいが私はあの強さに少なからず嫉妬を抱いてた。そのせいで彼女が苦戦する事を願ってしまったのだ。
しかし――私の期待は裏切られ、僅か数分の内に勝敗は決してしまう。
実力差が圧倒的過ぎて、はなから勝負にすらならなかったのだ。
結果はルフレ・ウィステリアの圧勝、手も足も出ずに、聖人がやられた。
まるで赤子の手を捻るかのような容易さで、しかも手を抜いて、命を奪わない情けまでかけた。
つまり、これが意味する事は一つ。
一国を相手取れる聖人以上の力を持つ相手に勝てるわけがない。もし仮に彼女と敵対する事があれば――――間違いなくフラスカは滅びる。
ゾッとした。
これ程までに敵に回したくない相手がいるのかと。
炎竜を相手にした時にすら感じなかった恐怖に、無意識の内に彼女から目が離せなくなった。
分かっている、敵では無い事を。
だが、本能が自然と彼女を警戒するように目を走らせ、腰につがえた剣に手が伸びる。
これは生物の根源的なものだ、理性でどうこう出来るものじゃない。
本能が彼女を恐れ、自らの身を守ろうとしてしまうのだ。
フラスカで最強の騎士?
笑わせる。
王女一人守れずに、この窮地を救った者にこんな感情を向ける私が、そう呼ばれていい筈が無い。
***
「で、この後どうすんだっけ」
俺が振り向くと、この部屋にいた全員の視線が集まっている事に気が付く。
あのアルバートも例外なく、全員だ。
貴族たちは困惑と、恐怖……かな?
何か得体のしれないものを見るような目つきだ。
それが俺に向けられているんだから、居心地悪いったらありゃしない。
アザリアだけは、なんか……熱っぽい視線を送ってきている。
まあ、確かにいきなり現れた半魔が黒蟲を一発で殺して、七聖人を名乗った黒幕をボコったらそうなるか。
人って言うのは自分の理解できない存在を目の当たりにすると、それを自分とは違うものだと思い込もうとする。
だから、
「ば、化け物……」
きっとこう言われるのも仕方が無い事なんだろう。
その言葉を皮切りに、ヒソヒソと俺に向けた言葉が彼らの間で交わされている。
ああそうだ、コイツは俺が連れて行かないとな。
「ひっ……」
気絶したメイビスを抱える形で持ち上げ、お誕生日席に座るアマリアの元へえっちらおっちら歩く。
そして、俺が一歩前に歩くだけで人の波が割れ、必要以上に距離を取ろうとする。
――――余りに強い力を持つ故に魔人は忌避され、迫害されてきた。
いつだったか、何かの歴史書で読んだ一文だ。
この国には魔人差別の文化は無いが、そういう価値観みたいなものが全く無いわけでも無い。
目の前でそう言う事をされれば、嫌でも意識せざるを得ないだろう。
だから、気にしていない。俺は俺のやるべきことをやった。
俺が悪魔と呼ばれるのもそう言う所以があるし、もう慣れている。
どんなに良い事をしても、魔人だからと認められてこなかった事もあるから今まで通りだ。
自覚が無かったわけじゃない。
間違いなくそうだとは思っていたが俺は、化け物と呼ばれる程に強くなった。
自惚れじゃない、ましてや満足もしていない。
だが、純然たる事実としてそれはこの場所にある。
某暗殺者一家では無いが、俺がその気になればこの空間にいる全員を三分で片付けられるだろう。
でも、俺がやりたいのは殺しではなく、何かを守る事。
あの日から一日たりとも忘れたことは無い。自分が弱いせいで大事な人を失った事を、守るべき存在が消えてしまった事を。
「ルフレッ!」
だから俺は、
「ありがとうっ!」
その一言が聞ければそれでいいのだ。
大事な人を守れて、元気な声が聞ければそれでいい。
俺の前に立つアザリアは満面の笑みでそう言うと、手が塞がった俺の顔を持ち上げて――――キスをした。
頬にではない、しっかりと口にキスをされたのだ。
柔らかな唇が軽く触れたかと思えば、恥ずかしそうに離れて行く。
周囲にいる貴族も、呆気に取られた表情で俺とアザリアのやり取りを見ているが、それ以上に俺が驚いていた。
「私、あなたの事を本当に誇りに思うわ」
そう言って薄っすらと頬を紅色に染め、微笑むアザリアの顔の破壊力たるや。
俺が男であれば一発KO、惚れていた所だ。
「あ、有難き幸せ……とでも言っておきましょうか」
「んふふ、照れてるの?」
だが、今はそれに言及するのはやめておこう。
というか下手な事言ったら動揺しているのがバレる。
ファーストキスだぞ、二回目の人生の。前世はそもそもした事すらなかったが。
「ルフレ・ウィステリア様」
と、空気を読んでアマリアから声が掛かった。
見れば椅子から立って此方へ歩いて来ようとしている。
そして、
「!?」
そのアマリアの背後から影が忍び寄り、首筋に刃物を押し当てた。
「……アンネ、一体何の真似です」
「見れば分かるでしょう、女王陛下……あなたは人質です」
女王直属の暗部――――"影"のアンネ。
否、メイビスの駒である裏切り者と言った方がいいか。
今の今まで死んだふりをしていたが、機会を伺っていたらしい。
外部に情報を流したのも恐らくこいつだ。
言論統制を強制できるスキルを持つし、俺もスパイにはうってつけだとは思っていたが。
「そこの魔人、メイビス様を解放しろ」
「嫌だ、と言ったら?」
「っ……この場で女王を殺すまでだ!」
目はあちこち行ったり来たりしてるし、汗も尋常じゃ無く掻いている。
どうやらこれもアドリブ、どうしようもない現状を打破しようと強行した捨て身の策らしい。
加えて俺の手中にあるメイビスを見る必死な目と、この切羽詰まった様子から見るに、余程この少女が大事なようだ。
そんな「大事」の内容だが、ここは俺の予想通りであって欲しい。
まあ……兎にも角にもこの場でここまでやるからには、
「相応の覚悟があるんだろうな?」
「なにを――――」
俺は抱えていたメイビスを降ろすと、その首筋へアンネがしたように氷の刃を這わせる。
「や、やめろ! それだけは、駄目だ!」
「ほう、駄目と……?」
もし仮に俺がアンネの立場で、情報を外部に漏らしたくないのであれば、女王を人質に取らずにメイビスを直接殺しに行く。
それをしないと言う事は、彼女にとってメイビスとは個人的な感情に由来する大切な人――――つまり俺にとってのイミアや、アザリアである可能性がある。
あくまで予想ではあるが、この慌てっぷりではどうやら間違ってはいなかったようだ。
しかしねぇ、それでも俺がここでパッと手を離す訳もないんだけどね。
「因みに言っておくが、ここにはアルバートも、手練れの騎士団も控えている。俺がコイツの首を掻っ切ってる間にも連中がお前を捕らえる事も簡単だ」
そう言って、じりじりと距離を詰めていた騎士団の面々に目線を送った。
フォルスタンとアルバートが無言で頷き、他の騎士達も油断なく様子を伺っている。
「詰みだ、後手のお前がそっから返せる手はないぞ」
「……ッ」
指駒で言えば、奴の手番で俺が既に王手をかけている状態。
幾ら此方の王を取りに来たかろうが、どう足掻いてもあと二手いるので、攻めれず、逃げれず。
投了する以外に選べる選択肢はない。
誤った選択をし続けた結果、こうなったのだ。
「今だ、捕らえろ!」
「ぐっ……!」
一瞬諦めの色を見せた瞬間、フォルスタンが合図かけ、騎士達がアンネを取り押さえる。
刃物も手から奪い取られ、組み伏せられても尚、俺を睨みつける辺り気合だけは入った女だ。
「そんなに怖い顔しなくても、殺しはしないから安心しろ」
「……信じられるかこの化け物めっ!」
アンネは唾を吐き捨て、そう叫ぶ。
「この国の人間、全員そうだ……! お前も、お前も、お前もお前もお前もッ! 上にいる人間だけが肥え、誰も下を見ようとしない!」
「黙れ、それ以上喋るな!」
騎士たちは尚も叫び続けるアンネの頭を抑え付けようとするが、どういう首の筋力をしているのか、顔だけは地面に付けまいと必死に抵抗している。
「貧民は増え続け、街には家も家族も失った子供が溢れて、今にでもどれだけの人が死んでると思う!? 一方で王族や貴族共は無駄に金を掛けて、こんな催しを開いている……貧民が、私達がどれだけ苦しんでいるのかも知らずに……」
俺は、そう叫ぶ彼女の姿にかつて自分のいた境遇を思い出した。
今日を生きる為の食事すら口に出来ず死んでいく人々、生き延びた先に希望もない事実。街に溢れ返る貧民、富裕層との隔絶とした差、差別――――そう言った問題は俺自身深く知っている。
この国でも、どうやらそれは変わらないらしいことも。
「だが、メイビス様は違った。行き倒れた私に手を差し伸べてくれた、生きる意味を与えてくれた! 私は、メイビス様に恩を返さねばならないのだ、貴様らのような何も知らずにブクブクと肥え太った豚共を殺して!」
「ぶ、豚だと……!?」
「我ら上級貴族に向かってその口の利き方はなんだ!」
「ハッ! 図星か、それこそ貴族という肩書だけの無能らしい反応だな!」
確かに、言い方は悪いが彼女の言う事はある意味で正しい。
この中には民に重税を課し、私腹を肥やす我欲の強い貴族もいるだろう。民が生活に困窮している事実を蔑ろにして、自分だけがいい暮らしを出来ていればいいと思っている。
そして、彼女がメイビスにどれだけ救われたのかも、俺には分かってしまう。
メイビスがアンネをどう思ってようが、使い捨ての駒にされようがそれは関係ない。
俺も同じ境遇だったからだ。
極端な話だが、エイジスが人を殺せと命じれば俺は何も考えずにきっと殺した。
王女を、アザリアを暗殺犯に仕立て上げ、どす黒い思惑の片棒を担いだだろう。
だからこそ、今俺がそうなっていない事に心底安堵する。
エイジスという正しい人間の元で救われた事が、幸せに思える。
「……お前は間違えたんだ」
「私はなにも間違えていない! メイビス様に救われた事は、間違いなんかじゃない!」
違う、そうじゃない。
メイビスがアンネを救った事は間違いじゃない。
それはどんな動機であれ正しい事で、誰も責めてはいけない事だ。
「お前は――――大事な人を、この女を救える人間になれなかった、それが間違いなんだ」




