59.紅王女の決意
アルバート君、損な役回りを押し付けてごめん……
――――黒蟲
人体へ寄生し、その体を操る魔蟲。
基本的に宿主は内臓を食い破られ死ぬが、黒蟲はその死を糧にする。
体を覆い尽くす無数の黒蟲はやがて八脚の巨大な蜘蛛のような姿になり、人を襲う。
そして現在、ローレインの肉体に寄生した黒蟲は、既に元の倍の大きさ――――およそ三メートルほどにまで膨れ上がっていた。
寄生主の死が凄惨であればあるほど、黒蟲は力を増す。
先程の恐怖を煽る演出はこの為と言っても過言ではなく、わざわざ首謀者であるメイビスが姿を晒す危険を冒してまでこの状況を作り出したのだ。
通常でも冒険者ギルド指定討伐難易度であればB。
並大抵の人間が敵う相手ではないと言うのに、今ここに出現した黒蟲はA以上が確定。もしかするとある意味では炎竜よりも厄介な存在かもしれない。
そんな化け物を前に、この空間は阿鼻叫喚の地獄絵図と化しかけていた。部屋の出口は二つあり、そこへ殺到する貴族たちと、どうしていいか分からず右往左往する騎士達。
収拾など着こう筈も無く、黒蟲が周囲を蹂躙するのも時間の問題と言う状況。
だがしかし、この状況で一番に動き出したのはやはり、アルバートだった。
「リルシィ様、後ろへ」
「ええ」
リルシィを安全な位置まで下げると、アルバートは剣を抜いた。
ミスリルの輝きを放つ刀身を構え、黒蟲を正面に見据える。
「ふっ!」
一瞬の溜めの後、地面を蹴ったアルバートが走り出す。
敵意を感じ取った黒蟲が方向転換するも、その巨大な図体を動かしている間にも一閃。
まるでミミズがひしめき合うようなその黒色の脚部を一撃で切り裂いた。
「ギぁ」
「なに……?」
だが、バランスを崩すかと思われた黒蟲は即座に足りない部分を再生。
すぐに元の八脚へ戻り、逆に今度はアルバートが攻撃をされる番になった。
「……これは中々に厄介な相手のようだ」
うねる濁流のような蟲の集合体が襲い来る中、何度も飛び退き大きく距離を取る。
その合間にも攻撃を重ねてはいるものの、ダメージにはなっていない。
実際物理攻撃に強い耐性を持つのが黒蟲の特徴であり、強みだ。
そして案の定と言うか、弱点は魔法であり、火に最も弱いとされる。
「せめてここに魔術師がいれば……というか奴は何処へ行ったんだ……!?」
何故か不在の第一王女専属護衛の少女に恨みがましい表情を浮かべつつ、アルバートは的確に黒蟲の攻撃を捌いていく。
前脚による叩きつけを躱し、側面からの薙ぎ払いを剣で切り、全身での圧し潰しを華麗なステップで避ける。超人的な反射神経と身体能力でアルバートは黒蟲と拮抗しているかのように見えた。
が、このままの状態が続けば不利なのはアルバート。
どうにかして起点を作らなければ、そのうち押し切られるのは目に見えている。
「燃え盛る炎よ、彼の者を滅せ――"火球"!」
「ギぃ!?」
そんなアルバートの後方から、一つの魔法が放たれた。
バスケットボール大の火球が黒蟲へ命中し、火飛沫を上げて爆発する。
「アザリア様!」
「ひ、人の城で好き勝手して、許さないんだから!」
そんな強気な言葉と共にアザリアはもう一度火球の詠唱を準備し始めた。
だが、足は小刻みに震えているし、涙目で歯を食い縛っている所を見ればそれが虚勢であることがすぐに分かる。
「怖いでしょうに……全く気の強いお姫様だ」
そうは言いつつも、今の一撃は僅かながらも確かに黒蟲にダメージを与える事が出来た。
この隙になんとか態勢を立て直したいところではあるが――――
「ガぁ、ギギ」
「ひっ……!?」
黒蟲の標的がアザリアへ移った。
耳障りな金切り声を上げながら、アルバートを無視して動き出す。
当然止めに入るも、三メートルの巨体を正面から受けきる事などは不可能。
「不味い、このままでは……」
どうにか逃げて欲しいところだが、自分が狙われたという恐ろしさからアザリアは動けずにいる。
焦燥に汗が滲むが、考えている暇は無い。
「"竜牙穿尾"」
独特の構えから突きを繰り出すこの一撃は、溜めれば溜める程威力の上がるチャージ技だ。
今は溜めを作る時間も無い以上即打ちする以外に選択肢は無いが、それでも一瞬動きは止められる筈。
「な――――」
だった。
放たれたそれは空気を螺旋状に回転させ、鉄をも穿つ程の威力の乗った刺突の一撃となって黒蟲へ命中し、確かに体の一部に風穴を開けた。
しかし、それだけだった。
黒蟲の突進の勢いは衰えず、今にもアザリアを轢き殺さんと迫っている。
もうあと二秒、いや一秒もあれば彼女は確実に死ぬ。
「あ、あ――――」
「嫌だ、死にたくない」とアザリアの喉から声が出そうになる。
しかし、この国の王族としての矜持が、彼女の根底にある芯がそれを是としない。
死ぬのなら、せめて潔く、情けない姿を臣民に晒す事など出来よう筈も無いのだ。
故に、
「ッ……! 来なさいッ! 私は、逃げも、隠れもしないわ! こういう時にこそ我らフランベルクの一族は国民の前に立ち、そして死ぬのが責務なのだからッ!」
逃げない。
命と比べればなんと安いプライドだろう。
けれども、それでもアザリアは逃げない。
自分から、恐怖から。
怖い、怖い、助けて欲しい、お母様、リルシィ。
溢れ出る涙を堪え、ガクガクと今にも折れてしまいそうな膝を、太腿を必死に抓って叱咤する。
「お姉様ぁっ!!」
後ろでリルシィの絶叫が聞こえる。
あんな叫び声、アザリアもアマリアでさえも聞いたことが無い。
――――ああなんだ、いつもめそめそぼそぼそ喋っていたリルシィも、やればあんなに大きな声が出せるのね。
「私は長女、誇り高きフランベルク家の長女にしてリルシィの姉」
せめて最後くらいは妹にカッコイイ姿を見せられただろうか。
アザリアは目の前に迫った蠢く虫の集合体に、もはやここまでかと目を閉じる。
その直後だった。
「――――"轟電砲穿"」
怒号と嗚咽で溢れかえった部屋の中に、鈴鳴りのように可憐な声が空気を震わせた。
そして、何もかもを焼き尽くす天の裁きの如き稲妻と、世界そのものを砕くような雷鳴が轟く。
目を閉じる直前、アザリアは見た。
幾重にも重なって放たれた白熱の雷槍が、目の前の黒蟲を蹂躙していく様を。
抗う事の出来ない神の怒りに、眼前の邪悪な魔蟲は全身を穿たれ壁まで弾き飛ばされた。
その後、暴力的なまでの魔力の嵐と、他を圧倒し、這いつくばらせんとする覇気を持つ"何者か"が背後から歩み寄る。
当然、それは彼女の最も良く知る人物だ。
そして、絶対に自分の事を守ってくれると、確信を持って待っていた最強の存在。
「ル、ルフレぇ!!」
「悪い、少し遅れました」
振り向けば、そこには白を基調とした特徴的な服装に身を包み、可憐な面貌に不敵な笑みを浮かべたルフレが立っていた。
ルフレは飛びついたアザリアを優しく受け止めると、その手で頭を何度も撫でる。
「怖かったですね」「もう大丈夫だから」と、宥めながら。
だが、そんなアザリアへ向けられる慈愛の表情から一変――――
「さて、うちのお姫様を泣かせたのは一体何処のどいつだ?」
――――永久凍土よりも冷たく、獄炎の憤怒に満ちた表情を浮かべて周囲を睥睨した。




