57.事件は現場で起きている
「どうぞ、この折に我がアステル領の事もよろしくお願いします」
「ええ、はい。そういうことは母上に……」
会釈して去っていく貴族を見送り、ようやく一息吐けるとリルシィは文字通り大きな溜息を吐いた。
挨拶回りもひと段落ついた頃合いで、後ろに控えていたアルバートがいつも通りの穏やかな笑顔に半分苦笑いを湛えてリルシィへ歩み寄る。
「お疲れさまでした、主役と言うのも存外大変のようで」
「そうですね、去年のお姉様を見て大丈夫かと思っていましたが、正直……」
少し一方的なきらいがあるものの、アザリアはコミュ力お化け。
こういう社交の場において彼女は意外にもその真価を発揮するのだ。
以前までは貴族に皮肉を言われると顔を引き攣らせていたが、今回はそれをおくびにも出さない余裕っぷり。
「それも全て、ルフレ様のお陰なのでしょうか。私もあの方を見習えば……」
それに比べリルシィは引っ込み思案で、やや人見知りな面もあるので社交界はどうも苦手であった。
「どうでしょう、逆にあの者は少々態度が大きすぎると思いますのでリルシィ様の教育に悪いかと」
「ふふっ、ですがそれもあの方の良いところです」
アルバートもリルシィも、ルフレが敬語を使うような性格では無い事を知っている。
もし「使わなくていいよ」と言えば喜んでタメ口になるだろう事も同様に。
「そう言えば、お姉さま方は何処へ?」
「さあ、先程から見当たりませんが」
二人して辺りを見回してみるも、アザリアとルフレの姿は見えない。
まあ、立食形式のパーティーなので、料理を取りに行っているという可能性もある。
そう考えると、リルシィも途端に空腹感に襲われた。
パーティーが始まってから数時間、立ちっぱなしの喋りっぱなしで喉も渇いている。
「あの、すみません。少し料理を取って来て頂けますか?」
「かしこまりました」
通りがかったメイドに配膳を頼み、暫くするとプレートへ上品に乗せられた料理の数々が運ばれてきた。
「失礼致します」
そして、リルシィが口にする前に侍女へ扮した影が、毒見をするのだが――――
「……ッ」
「えっ」
毒。
肉を一切れ口に入れた瞬間、侍女の顔色が変わった。
目を見開き、不規則な呼吸と共に膝から崩れ落ちて行く。
「あ……あ……」
倒れ伏したままビクンビクンと痙攣をする姿を見て、リルシィの顔面は蒼白に。
「リルシィ様!」
「キャアアアアアアッッ!!!」
すぐさまアルバートがリルシィを守るように人の目から姿を隠すが、もう遅い。
その様を見た一人の貴族令嬢が悲鳴を上げ、直ぐに周囲の人々の注目はその場へ釘付けになる。
「な、なんだ!? 毒殺……!?」
「リルシィ王女殿下の食事を毒見した侍女が死んだ……」
「この場でか!?」
そうしてたちまち会場内はざわつき、徐々にパニックになりつつあった。
だが、また別の意味でリルシィの頭の中は混乱の渦中にある。
「……は、離して、アルバート。今なら間に合います、私なら」
「なりませんリルシィ様、あなたの力は見せてはいけないものです」
「ですが、私は」
「なりません!」
目の前に倒れる女性は、自分の力ならまだ救える。
だが、ここで治癒の力を見せてしまえばこの後どうなるか分からない。
相反する自分の理性と感情に板挟みにされ、まともな思考など出来よう筈も無かった。
「フォルスタン、城を封鎖。一人も外へ出してはいけませんよ」
「ハッ!」
女王の言葉に部屋の入口を全て騎士に抑えられ、会場は騒然とする。
中には手荒な真似をする騎士を前に反発する貴族もおり、最早収拾はつかない。
「お母様っ、一体何が!?」
そこでようやく、会場を離れていたアザリアが戻って来たのだが如何せんタイミングが悪かった。
騎士達の間を抜けてリルシィに駆け寄るアザリアを見て、ほくそ笑む者が一人。
「なっ、何をするのよ!?」
そして、その進路を塞ぐようにして立つのは、貴族の私兵だった。
「おや、おやおやおや!? アザリア第一王女殿下、一体何処へ行っていらしたのでしょう」
「ローレイン卿……!」
更には肥えた豚――――ではなく、ローレイン伯爵が大仰な仕草と共にアザリアに近寄る。
「わ、私は――――」
「今しがた妹君が暗殺されようかと言う時にこの場を離れたのです、余程大事な用なのでしょうねぇ」
「何が言いたいのよ!?」
「いや、万が一にもこのような事を邪推するのは不敬というもの、ですが……よもや姉である貴方様が……妹君の暗殺を企てるとは」
「はっ!? いきなり何よそれ!?」
心底心を痛めている、と言った風に顔を歪めるローレイン。
彼の言葉を聞いて、会場のあちこちでは「まさか……」「いや、しかし……」などという声が上がる。
そして、それを見たローレインの口の端からは、堪えきれない笑みが漏れ出ていた。
「失礼を承知で言わせて頂きますが、貴女様は日頃から優秀な妹君――――リルシィ第二王女を妬んでおりましたね?」
「……っ!」
「その反応、図星と見える。王位継承権を奪われるのを恐れたアザリア第一王女殿下は、密かに妹君を暗殺する機会を疑っていた……これは違いますかな?」
「……真っ赤な嘘、そいつの言っている事は出鱈目よ!」
確かにローレインの言い分は些か強引が過ぎ、今だ半信半疑の貴族達。
だが、王族間の不和などは当然のようにあり、兄弟間での殺し合いが日常的に行われるこの世界の価値観に当て嵌めて言えば――――加えて彼女らをよく知らない人にとってはあり得ない話では無かった。
故に、疑念と不信感が広がる。
力押しの暴論でさえも、真実なのではないかと思ってしまう。
次第にアザリアを見る貴族たちの目は冷たく濁っていき、真実を突き止めたローレインを讃える物へ変わっていく。
「ち、ちが……私は、私はやってない」
どう見ても形勢不利。
先手を取られた事でアマリアですら手を出せない状況が出来てしまった。
そして、追い打ちのようにローレインの元へ駆け寄り、耳打ちする騎士の一人が。
「……なんと!」
ローレインはわざとらしく、仰々しい驚きを露わにして騎士を見る。
その騎士は頷き、その手に持つ"物"を全員に見えるように掲げて見せた。
「今しがた、城の中庭より"こんな物"が発見されたそうだ」
――――カラマニア
人が口に含めば神経毒によって死に至る劇薬。本来の用途は死刑囚の毒殺などに用いられる物で、平民どころか貴族が合法的に入手する方法も無い。
つまり、これを持つのは王族か、それに近しい者のみ。
「まさか、会場を離れていたのはアレを隠す為……」
「本当にアザリア様がリルシィ様を……」
「なんと恐ろしい……」
カラマニアを目にした事で、貴族達の疑念は確信に変わる。
もはやアザリアが暗殺の首謀者と疑う者はいなくなった。
リルシィも、呆然とするアザリアをただ見る事しか出来ない。
そんなアザリアにローレインは薄い笑みを貼り付け、歩み寄る。
そして、耳元に顔を寄せると――――
「……残念でしたなァ、これで貴女はお終いだ。精々檻の中から傀儡の王女を見ているといい」
「――――ッ!」
耳にこびり付くような悪意の籠った声でそう言った。
分かっていた、いつかこういう事になると。
平凡で我の強い自分と、優秀だが周囲に流されやすい妹なら、どちらが悪辣な貴族共は操りやすいか。
どんなこじつけでもいいから、奴らはアザリアを王位から遠ざけたい。
明確な現場証拠がない以上殺されはしないだろうが、この先アザリアは死ぬ程肩身の狭い思いをして生きて行かなくてはならなくなった。
元より、リルシィに王位を譲るつもりであったのに。
誰よりも、リルシィの事が好きなはずだったのに。
妹を暗殺しようとした冤罪を着せられ、未来を閉ざされた。
その筈だった、
「――――ちょっと、その判断は待ってくれないですか?」
会場に突如として現れた一人の少年がそう言うまでは。




