54.準備は着々と
リルシィの秘密を守る為に色々企みの真っ最中。
「い、いつ見ても人が多いですねぇ……」
喧騒と怒号、露天商の呼び込みから迷子になった子供の泣き叫ぶ声まで、人によって形成された音が無数にひしめく大通りを見て、アキトは疲れ切ったような声でそう呟いた。
ここは貿易都市国家フラスカ。
元はフランベルグという国名だったのだが、先々代の国王――――即ちアマリア女王の祖母に当たる人物が「仰々しいからやめにしない?」という軽い思いつきでフラスカに変わったという。
代わりに王都にはフランベル"ク"という名前が付いたらしいが、これに関しても当時は一悶着があったとか。
「ほいほい、長旅で疲れてるとこアレやけどこっからがワイらの仕事やぞアキト。来月に控えたリルシィ王女殿下様のお披露目パーティーの為の食材や酒を卸すのは勿論、内装なんかもぜーんぶワイらが仕切らせてもろてんねん。気合入れろよぉ、これしくったらクビ飛ぶぞほんま、例えちゃうかんな」
そんなどうでもいい歴史の書かれた案内板を眺めるアキトの横に立つバカラは、今回の収支を思い浮かべてほくそ笑んでいた。
なにせ王族主催のパーティのコーディネーターに大抜擢されたのだ。
これもひとえにオーキッド商会の人脈、人望の賜物であり、それの全権を委任されたバカラが喜ばない筈も無かった。
「商人冥利に尽きるでほんま」
「はは……そうですね、僕としては胃が痛いですけど。王族相手って疲れるんですよね」
「何やお前、王族と会うた事あるんかいな」
「この国じゃないですけど、まあ一応」
十六歳になった日の朝、城へ呼ばれて勇者と共に旅をしろと言われた時の事を思い出し、アキトは小さく溜息を溢す。
旅をしていた頃も商人のウェンが全て全て取り仕切るのかと思いきや、宿の手配や行く先々でのお偉方とのアポ取りなどは全てアキトの仕事だったので、正直今やっている事とはあまり変わらないかもしれない。
環境は大いに違う、と最後に着くのだが。
「……ほんと、バカラさんに拾ってもらえなかった僕今頃野垂れ死にしてましたよ」
「藪から棒にけったいな奴やな、でも感謝の心を忘れんのはいい心構えや。商人は信用第一、貰った恩は返すのが義理っちゅーもんやさかい」
饒舌と言う名の口八丁手八丁で、どうしようもない酒好きのバカラだが、その点に関してアキトは尊敬していた。仕事に手は抜かないし、手堅くまた胆力も備えた一流の商人である彼の手腕は未だ見習いであるアキトから見ても見事と言わざるを得ない。
なのできっと今回の仕事もバカラがいれば万事上手くいく、そう思っていた。
その考えが、不幸体質な彼にとっては砂糖菓子よりも甘いものであるというのを後に思い知らされるが。
***
「甘い、甘すぎるのだよ――――三の都、弓取って騎馬弓に成り、王手」
「ぐっ……! ぐぅううううう!!!!」
俺はそう言って詰みである盤面を見渡し、次に奇怪な呻き声を上げながら頭を抱えるアザリアを睥睨する。
「か……」
「か?」
「かかかっ、かか」
「かか?」
「勝てないィィィ!!!!」
そしてとうとうアザリアは壊れたラジオのように「か」を連呼した後、発狂した。
盤上の駒をグチャグチャと掻き回し、半泣きになりながらそれらを床にたたきつける。
その後にしゃがみこんで、駒を一つ一つ丁寧に拾い上げているのがまた……。
俺だったらボードごと壁に投げつけて穴を開けるくらいはする。
アザリアはそれをしない辺り、育ちの良さが伺えるというものだ。
ここ数週間、お姫様たちにも指駒ブームが到来し、暇さえあれば対局している。
あのアルバートやバーソロミューも付き合わされていて、俺なんかは二人の間で取り合いになるくらいだ。
リルシィもあれ以来頻繁にアザリア、と言うか俺の元を訪れるようになって、アルバートも含めた四人で過ごす時間もそれなりに多い。
そして気になる対戦成績だが、現在指駒において俺はアザリアに対して45W 1L 0D。
一度だけハンデ戦――――将棋で言えば四枚落ちで勝負した時、辛うじてアザリアが勝った以外に俺は無敗。
リルシィはそこそこ強く 23W 22L 7Dという、かなりいい勝負になっている。
因みにアルバートは弱すぎて話にならず、バーソロミューはそもそも時間が取れないのでノーカン。
「なんで勝てないのよっ! あんたちょっとは手加減しなさいよね!!」
「……対局の前に『本気で来なさい!』って言ったのはアザリア様では?」
俺がそう言うと、『うぎぎ……』と歯ぎしりした後に何も言わなくなってしまった。
やっぱりアザリアはこうして反抗的になってる時が一番生き生きとしているな。
生意気ツンデレ娘というのは、ツンが80%、デレが20%という比率が最もデレた時の良さが引き立つのだ。
最近はデレが多かったので丁度いい調整が入ってよかった。
「……なんか失礼な事考えてるわよね、あんた」
「いえ、別に何も」
素知らぬ顔で口笛を吹くと、呆れた顔で肩を竦められた。
なんだよ、そういう塩対応が一番傷つくんだからな。
「ところで、来月のリルシィの誕生日パーティーだけど……あんたも出る訳?」
「まあ、護衛ですので会場にはいますよ……残念ながら」
「えっ、なにその嫌そうな顔……」
そう、俺はリルシィのお披露目会兼、誕生日パーティにて会場入りをしなければならない。
それが意味する事とは、いわゆる変装だ、現代的に置き換えるなら私服警官と言った方が伝わるだろう。
パーティー当日は俺も貴族令嬢として参加者に成り済まし、一番近くでアザリアとリルシィを守る役目をアマリアから承った――――本当に不本意ながら。
何が不本意かと言われれば、俺はスーツを所望したのに二秒で却下された事。
つまり、俺はおしとやかな深窓の令嬢が着るようなドレスを身に纏い、澄ました顔で立っていなければいけないのだ。
アルバートは元々貴族家の次男で、しかも個人で騎士爵も持っている為堂々と会場にいると聞いてマジでブッ飛ばしてやりたくなった。
ドレスが着たくないという訳ではない。いや、別に着たい訳でも無いけど。
問題なのはそれを着た俺が、会場にいる王侯貴族たちの目に晒される事だ。嫌だ、絶対に分不相応だと思われる、『田舎の小娘がどうしてこんな所にいるんだ?』とか言われちゃう……。
ただでさえ身分の低い元浮浪児の冒険者だぞ。
高貴なオーラなんて纏える筈も無いし、絶対浮く。
そもそも貴族ってのは、『顔の良い奴』と『顔の良い奴』を掛け合わせて『顔の良い奴』を生み出してんだから、土台からして違うわけよ。
俺も一応半分貴族の血は流れてるけど、それでも半分は奴隷の血だ。
母親の血を否定はしないが、純然たる事実としてここにある。
血統書なんてない雑種の犬なんだよ、俺は。
と、長々と話したが、結局のところ何が言いたいかと言うと、今から途轍もなく気が重い。
リルシィに啖呵切った身なので、ちゃんとやらなきゃいけないのは分かってるんだけど。
なのでこうして指駒に興じているという訳である、不安なんだよ、俺だって色々と。
戦いにおいて余程の事ではない限り、俺は負けない。修行編を尺の都合でカットされた漫画みたいな事を言うが、それだけの力を俺は付けて来た。
それでも慢心はしていない。
常に上がいるという心構えもあるし、実際アルバートと言う強者が近くにいてくれる。
つくづく俺のいる環境と言うのは、いい意味でも悪い意味でも甘えを許してくれないのだ。
けど、強いだけでは何かを守る事は出来ないというのも事実。
リルシィに言った通り、搦め手を使えば俺なんてすぐに役に立たなくなる。
それこそ彼女が衆人環視の中治癒魔法を使わざるを得ない状況に持ち込まれたり、政治的な方向から攻められれば無力極まりない。
何かを守ると言うのは、それだけしがらみにとらわれると言う事。
いっそどっかの国の王様にでもなれれば、また違ってくるんだろうなぁとは時々思う。
「――――ねえ」
「……」
「ねえってば!」
「っ……、ああ、はいどうしましたか?」
「だから、こっちとこっち……どっちのドレスがいい?」
そう言ったアザリアの両手には、二着のドレス。
彼女がどちらを着るのか迷っているのだろうか……?
右手にあるのは純白のフリルが沢山あしらわれた可愛らしいドレス。
左手には深い藍色に染められた、美しくも煌びやかなドレス。
「えっと、どちらもお似合いだと思いますけど……」
「……そうじゃなくて、って絶対話聞いてなかったわね!?」
「え?」
「だーかーら、こ、れ、は、あんたの着るドレスよ!」
「ええっ!?」
呆れた様子のアザリアは大きく溜息を吐くと、適当の俺の体にドレスを合わせて暫く思案し――――「こっちね」と勝手に決めてメイドへ指示を出していた。
成長著しいのか、今のは俺が駄目だったのか。
ともかく、当日に着る衣装は彼女の独断によって決められてしまった事だけは確かであった。