53.仕込み
「どーも」
「うぇ、ええ!?」
素っ頓狂な声を上げ、俺を見るのは灰色がかった不思議な色合いの茶髪を持つ少女。
その目は驚愕に見開かれ、口元は今しがた含んだ牛乳が垂れている。
そして俺はと言えば、第二王女リルシィの私室の天井から逆さ吊りの状態で顔を覗かせていた。
「る、ルフレ様っ!? 一体何処からいらっしゃったのですか!!」
「どこって、天井ですけど」
天井裏に引っ掛けておいた足を外し、部屋の中へ侵入。
成程、アザリアの部屋と違って、白をを基調としたシックな雰囲気で纏まっておりますな。
「いえ、それは分かっておりますが、何故こんな……!?」
「あのキザ野郎と一日だけ護衛対象を交換する事になりました」
未だ状況が呑み込めていないのか、慌てて口を拭うのも忘れてそう言い募る。リルシィ殿下はアザリアとはまた違った感じの可愛らしさがあってとてもいい。
妹属性の素晴らしさというのはやはり、こちらが兄であっても姉であっても、損なわれる事は無いのだ。
「……えっと、その……何故このようなことをしたか聞いてもよろしいでしょうか?」
「リルシィ様と遊びたかったので」
俺がそう言い切ると、リルシィはポカンとした表情で固まる。
なんともリアクションの面白い事、これはいいオモチャになりそうだ。
「ほら、これは巷で流行っている指駒という遊戯です。リルシィ様も知っておられますよね」
「はあ……」
俺は彼女のなんとも言えない表情を横目に、テーブルの上に盤のような物と駒を置いて整列させた。
さて、指駒とは……将棋と同じく歩兵や槍兵、騎馬兵等と書かれた駒を使って相手の王将を討ち取る分かりやすいゲームだ。元々軍での陣形確認や指揮の訓練の為に使われていた物が大衆化し、こうして広まったらしい。
諸説あるが、この大陸からほど近い島国発祥なんだと。
最近の貴族たちの暇つぶし道具としてこの国でも流行っている。そんな波に乗り遅れないようにと、俺もルールを覚えたという訳だ。俺は仮にも元ゲーマー、アナログなボードゲームも一通り網羅していたのもあってそこそこ強いと自負している。
「では、リルシィ様が後攻で」
「あ、はい」
指駒は二人零和有限確定完全情報ゲームで、ボドゲの例に漏れず基本後攻有利。
討ち取った駒の上に自分の駒を乗せて"成る"ことができ、下に重なっている駒によって移動距離や移動方向が変わる。
「1の余に歩」
「……12の余に歩」
例えば全方位に1ずつ動ける歩兵が騎馬を討ち取ると、縦に大きく動ける騎馬の特徴を受け継ぎ、横斜めに1、上下に3動ける駒が出来上がるのだ。
「6の余に槍」
そして指駒の最も特徴的なルールとして、逆に自駒より弱い駒を討つと弱体化するというものがある。
先程の例を借りると、騎馬兵が歩兵を討ち取ると上下3マス移動が出来なくなり、歩兵と全く同じ駒になってしまう。
「槍取りで成り、槍歩」
「槍歩取り、成りで旗手です」
なので、攻め込んで来た駒に対しては脳死で強い駒を当てるのではなく、極力同じ強さの駒をあてがい、その隙に横を強い駒で抜けて行くのが定石。
角行や飛車に似た、強力だが扱いにくい駒を敢えて歩に変える事で、移動の幅を増やすと言う戦略も一部では存在するが。
「ああそうだ、リルシィ様。一つ賭けをしませんか?」
「賭け、ですか……?」
「そう、賭け。この一局、負けた方が相手の言う事を一つ――――何でも聞きます」
俺の言葉に、小さく頷くリルシィ。
仮にも王族、軍や戦争の事については教えられているだろうし、そんな勉強をしたことも無いと思われている俺に勝てると踏んだようだ。
しかし、それは大きな誤算だろう。
「時に、リルシィ様は随分とアルバートの事を買っておられるようですね」
「……? ええ、はい。彼はこの国で最も強い騎士……ですから」
「……好きなのですか?」
「――――ッ!!!?」
俺が囁くようにそう言うと、リルシィは駒を指す手を止めて飛び跳ねた。
みるみるうちに顔が茹でダコのように真っ赤になり、今にも頭から煙を吐きそうな勢いだ。
「い、いえっ!? べ、べべべべ、別に好きとか、そんなのではありません!!」
「それなら別にいいんですが……あ、騎士取り、成って副将」
そんな慌てたリルシィのプレミを見逃さず、きっちり刈り取る。
「アイツは確かにイケメンだし、強いし、コミュ力高いしモテますが……」
あ、なんか言っててイライラして来た。
そのせいで俺も指す駒を間違えて、振り出しに戻る。
「――――それでもリルシィ様の事を守り切れません」
「……ッ」
リルシィは驚いたように俺を見て、それから静かにパチンと駒を動かした。
「……それは何故でしょうか」
「単純な理由です。ただ強いだけじゃ、何も護れない」
一手、動揺した分だけリルシィから有利を取った俺はそう言った。
それに対して、迷うような指し方をするリルシィ。
「幾らアイツが強くても、どうしようもない事だってある。特にリルシィ様、あなたのような人だと特に」
「私が……?」
王手、そう言ってリルシィの駒を盤上から取り除く。
成った騎士は指駒において最強の一角、これでほぼ俺の勝ちだ。
「先程の言う事を一つ聞かせるという賭け、先に私の願いを言っておきますね」
逃げる王将を追い詰めるように駒を進め、俺は居住まいを正した。
何を言われるのかと息を呑むリルシィは自分の番だと言うのも忘れて、ジッと此方を見つめている。
「今年行われるリルシィ様のお披露目会で、恐らく参加者の命を狙った刺客が現れます」
「――ッ」
「もし、あなたの目の前で誰が傷つこうが、例えそれがアザリア様や、アマリア女王陛下であっても――――貴方はそれを見殺しにしてください」
賢いリルシィならもうこれで俺の言いたい事が分かっただろう。
考え込むように視線を落とし、手に持った駒を弄んでいる。
俺は静かに、彼女が答えを出すのを待つだけ。
「治癒の力を、使うなと言う事ですか」
「概ねは」
「知っています、これが禁忌の力だと。光属性は本来聖女にしか備わらないものだと」
「……!」
驚いた、まさか知っていたとは。
神秘術と隠していたのも、光属性が扱えると知れれば厄介なことになると理解しての事だったのか。そんな事を誰にも教えて貰わずに、自分で判断したとは……。
何と言う察しの良さ、何という頭の回転だろうか。
「でしたら猶更――」
「それでも、私は目の前で傷ついた人を放ってはおけません」
そう言って、キュッと口を引き結び俺を見据えるリルシィの目は本気だった。
それがどれだけ自らを危険に晒す行為なのかを分かっていながら、だ。
暗殺が目的だった連中も、彼女の力を見ればきっと目的を入れ替える。
確実にリルシィを狙って聖国も、他の国も動き出す筈。
だと言うのに、目の前の小さなお姫様は一歩も譲る気はないのだ。
嫌いじゃない。
こういう覚悟を持った奴は、俺は好きだ。
「面白い」
なんとしてでも守りたくなる。
俺も、そういう馬鹿を言う奴を放ってはおけない性質なんだ。それに彼女の気持ちに応えてやるのが、漢気って奴だろう。
「――――なら、私がだれも傷つけさせません。あなたも、その大事な人も」