49.いわゆる、一方その頃
地球で言う所の一月。
大陸北西部に存在するアルテア地方、アスカル平原は現在寒波に見舞われていた。
雪こそ降っていないものの、草木は冬支度を済まし、魔物でさえも越冬の為に巣へ引っ込んでいる始末。
そんなビュウビュウと寒風が吹きすさぶ平原のど真ん中に存在するのは、幾つものパオと呼ばれるテントのようなもの。そして、そのパオに繋がれた、二足歩行の蜥蜴のような魔物だ。
「いやぁ、雪が降る前に合流出来て幸いでしたわほんま! この辺で足止め喰らっちゃあ、もうお陀仏ですからねぇ!」
一際大きなパオの中で陽気さを隠すことなくそう言ったのは、飴色の頭髪から一対の耳を生やした男。
亜人種の中でも珍しいキツネの獣人である男――――バカラはその糸目を更にキュッと細め、目の前に座る褐色肌の男に笑いかける。
「だな、毎年あんたん所には共に渡りをさせて貰ってるが、今年は本当にギリギリでヒヤヒヤしたぞ」
「ちょっとこちら側で準備に手間取りましてね、ギリギリまで護衛が揃わんかったんですよ」
これは遊牧民族――――アルテアの民の一団。
族長ダグラスは大陸でも有数の大店、オーキッド商会と独自に契約を結んでおり、アルテア民族は冬が訪れる一月からフラスカ近辺の平原まで大移動をする決まりがあった。
アルテアの民は竜人族であり、その戦闘力はこれもまた大陸有数。
商会のキャラバンの護衛となれば、これ以上の適任は簡単には見つからないだろう。
オーキッド商会も事前に冒険者の護衛を雇っているので、体勢は盤石だ。
「失礼しまーすって、ああッ! バカラさん、また昼間っからお酒飲んでますね!?」
「なんや喧しいな、アキトぉ。移動開始は明後日からや、今日くらい飲んだってかまへんやろがい」
そう言って天幕の中に入って来たのは、アキト・メイブリア。
人間――――ヒュム族ながら、主に亜人と魔人で構成されるオーキッド商会の職員、もといバカラの傍付きをする青年である。
四年前に路傍で倒れたアキトを拾い、商会員として置く事を決めたバカラは何故かアキトを気に入っており、こうして小間使いとしてこき使っていた。
アキト自身もバカラに恩は感じているものの、仕事量だけはどうにか減らして貰えないかと内心では思っている。何せ商会のNo.2の男の業務の半分をこなしているのだ、一言二言愚痴りたくもなるというもの。
そんな上司の情けない様に、アキトは二十一歳にしてはやや童顔とも思える顔を呆れさせ、肩を竦めた。
バカラが超の付くほどの酒好きで、しかも竜人族の作る火酒が大好物だと言うのは知っていたが、合流した途端に酒盛りを始めるとは思ってもみなかった――――
「――訳でもないんですけどね、毎年の事ですし……」
本来なら、"渡り"の二週間前には合流し、日程や道中で一時滞在する国や街の相談をするのだ。
その為去年までなら一週間飲んだくれる予定だったので、今年はまだマシとも言えた。
「でも、あんまり飲み過ぎないでくださいよ? また酔っぱらったバカラさんが毛玉吐くの見たくありませんし」
「わかっとるよぉ! お酒は適量、適量っとなぁ!」
「……絶対分かって無いですよね、それ」
そうして諦めたように肩を落とし、テントから出たアキトはふと、通り過ぎる人影に目が留まった。
「あ――――」
それは、二メートルはあろうかと言う槍か杖を担ぐ女性。
特徴的な仮面を付けていて素顔は見えないが、それは彼も知る人物だ。
「アミさん」
「……アキトさん、どうしました?」
アキトが声を掛けると、彼女は鼠色のフードを取って足を止める。
仮面を外した下から覗く素顔は、まるで造られたかのように整っており美しい。
凛としているが、どこか陰のある不思議な雰囲気を纏っており、ある意味で人外魔境と言えるこのキャラバンの男達でも彼女に見蕩れる者は少なくはないだろう。
だが、アミ――――イミアは商会が雇った正規の冒険者で、しかも金証保持だ。
その実力は伊達ではないし、実際彼女に太刀打ちできる者はいない。
「えっと、少しお話が出来ないかな~っと思って」
「私と、ですか」
「あ、その、嫌だったら別にいいんですけど……」
「別に構いませんが、私は面白い話などは出来ませんよ?」
キョトンとした表情でそう言うに、アキトは小さく笑みを溢す。
「あはは、そんな事気にしないよ。ただ、ちょっと話しておきたい事があって」
「では、私のパオへ行きましょう。丁度ソフラがお茶を淹れてくれる時間ですので」
そう言われ、アキトは促されるままにイミアのパオへ歩きはじめる。
幸いにもここからさして遠くないらしく、道中の沈黙は気にならない。そして、テントとは言え女性の部屋に行くと言う事に多少なりとも緊張しつつ、入り口を潜ると中ではソフラが鉄釜からお湯を注いでいる所だった。
「お帰りなさいませ、アミ様。お客様ですか?」
「ええ、副会長の補佐をされているアキトさんです」
「ではもう一人分、お茶を淹れますね」
ソフラは幼いながらに落ち着いた声でそう言い、荷物の詰まった袋から陶磁器の茶碗を取り出す。
「紅茶と、黒茶、どちらがいいですか?」
「あ、紅茶で」
黒茶とはいわゆるウーロン茶に近いもので、地球のものよりも渋みが強い。逆に少し甘みのある紅茶は日本出身のアキトの口にも合うが、嗜好品故にそこそこ値が張るのがネックだ。
耳触りの良い水音を立てて湯気を立ち昇らせる陶器の様子を眺めながら、アキトはこれから口にする内容を何度も脳内で反芻し、咀嚼する。
「どうぞ」
そう言って差し出された茶碗に口を付けると、口の中に甘い香りが広がった。
すっきりとした後味にもう一口を喉へ流し込み、心を落ち着ける。
「それで、お話というのはなんでしょうか?」
半分程飲んだ辺りで、そろそろと切り出すイミアにアキトはコクリと頷いた。
「あの、予め言っておくんだけど、僕が何を言っても驚かないで欲しいんだ」
「……? わかりました」
そう前置きをし、アキトは居住まいを正してから――――
「――――アミさん、あなたには呪いが掛けられている」
そう言った。