47.影
リルシィは確かに自分が無詠唱魔法の使い手だと言った。
しかも特別な光属性の、治癒の魔法のだ。
俺にとってもそれは意外過ぎる告白だったし、正直聞いて半日経った今も驚いている。
「相手を癒したい、という想い……か」
あの後リルシィは、他者の傷を癒したいと強く念じる事で治癒魔法を無詠唱で行使できると言ったのだ。
リルシィの説明は俺が考えていた事象の明確な想像とはかけ離れていて、もしかして自分の考察は間違っているのではないか? と疑ったりもしていた訳だが。
今のところそれを証明する手立ては俺の手元には無い。
だが、お互い違う理論で無詠唱を成立させているとすれば、どちらも正解というのが現状での結論。無詠唱には二パターンあると考えるのが妥当だろう。
「それにしても……なあ」
と、アザリアが夕食を食べている間、外の扉前で待機中の俺は延々そんなことを考えていたのだが。
ふと、正面に一人の女給が立っているのが目に入った。
いつから居たのかは定かではないが、俺をジッと見て微動だにしない。
王族の周囲には昼夜問わず常にこうして侍従が何人も待機しているのだが、彼女には何か違和感がある。
雰囲気と言うか、整った顔立ちもそうだがただのメイドにしては圧が強い。
あれは上から人を見下ろすのに慣れている立場の人間の目だ。普通人に仕える立場の人間がする目じゃないよ、アレ。もしかしたらとんでもないドSのメイドさんなのかもしれないけど……。
前世の俺もああいう目で睨まれて、踏まれたいなんて考えたことは……無かったです。どっちかと言うと俺もS、人を踏みたい方だな。
「あなた、リア……第一王女殿下の護衛ですよね?」
そして、事もあろうにそのメイドが話しかけて来た。
一瞬虚を突かれてポカンとしたが、直ぐに平静を取り戻し――――
「……それがどうかしたか」
「そうですか! あなたが……成程、確かに噂通りの方ですねぇ」
いつものちょっと無愛想な感じで言葉を返す。
ただでさえ小さいし童顔だしで、舐められない為にはこういった努力が必要なのだ。
だが、そんな俺の考えも意に介さず、メイドは俺がアザリアの護衛だと分かると途端に笑みを浮かべて俺の横にやって来る。
身長差的にあっちは170近いな、この世界では滅多に見ない長身の女性だ。それに胸がやたらデカくて、フリルシャツがはちきれんばかりに張っているのは何ともムカつく光景である。
俺なんてBしかないんだぞ、これ明らかにFはあるだろ。
……胸囲の格差、初めて女性的な部分で敗北感を感じたかもしれない。
俺が密かに敗北を喫していると、
「時に、アザリア様の護衛はどうですか? 大変ではないですか?」
「まあ、手のかかるお姫様だとは思うけど、根はいい子だよ」
そんな風に世間話を振られて、なんとなくそう答える。
「そうですかそうですかぁ、でもアザリア様って何かにつけて我儘を言いますよねぇ、私達もそれにはいっつも困ってまして」
「殿下が我儘を言う時は大抵何か理由のある事が多いからな、ちゃんと話を聞けば問題ない」
「ほほ~、そんなことまで分かっているとは、中々どうして人の扱いに長けているんですねぇ!」
……なんだかあちらに会話のペースを握られている気がしないでもない。
聞きたい事を根掘り葉掘り答えさせられているような気分だ。
「では、そんなあなたにちょっとしたネタをお教えしましょ~」
「……ネタ?」
「はい、今夜日付の変わる頃――――あの方の寝室へ第二王女派閥の刺客がやってきます」
「……ッ」
メイドに耳元で囁かれたその言葉を聞き、俺は一瞬背筋が寒くなる程の何かに襲われた。
"あの時"の事がフラッシュバックし、激しい耳鳴りと眩暈に襲われる。
メイドには上手く隠せてた筈だが、ここまで動揺するとは俺も情けない。
「それは事実か?」
「ええ」
仮面を少し持ち上げ、小さく深呼吸。
幸いにして周囲には誰もおらず、今の発言は俺以外に聞いていない。
まさか、と思う反面、俺はいよいよか、とも考えていた。
「では、私はお仕事に戻りますので~」
そう言ってパッション溢れる笑みを浮かべ、メイドは食事の片付けに部屋の中へ入って行ってしまう。
このメイドが何でそんな事を知っているのか尋ねたかった。
それがどれだけの確実性がある情報なのかも知りたかった。
だが、どんなに信憑性の低い情報でも俺はそれを聞き逃す事もまた――――出来ないのだ。
深夜、12時を回るかどうかという時間。
時計というのはこの世界でも既に発明された後で、規則正しい針の音だけが部屋の中に木霊していた。
既にアザリアは就寝した後。
安らかな寝息を立てて夢を見ている事だろう。
いつもならその寝顔を見ながら俺も仮眠を取っている頃だ。
しかし、今日の俺の目は冴えに冴えている。
久しぶりに《識見深謀》によって五感の全てを限界まで研ぎ澄まし、ベッドの傍にある椅子で瞑目していた。
もうすぐ、メイドの言った第二王女派の刺客がやって来る頃合い。
第二王女の派閥が一体誰なのかは知らないが、アザリアを嫌う者は多いから今特定する事は不可能だろう。
なら、俺のやるべき事はただ一つ。
どんな手を使ってでもアザリアを守る事だ。
相手がどんな政治的な理由で彼女を殺そうとしても、どんな高尚な理由で襲って来ようともアザリアを守り抜かなければいけない。
金で雇われたからこそ、俺だけは彼女を最後まで裏切ることは許されないのである。
そしてその時は刻一刻と近付き――――
(……空気が変わった)
日付が変わった瞬間、俺の耳が誰かの足音を捉えた。
そのすぐ後、静寂を切り裂くように部屋の中へ複数の気配が突如として現れる。
まるで影から湧いて出たようないきなりさ加減。
この部屋には隠し通路でもあるのだろうか、そうとしか考えられない。
そして数は、一、二、三……四、いや五か。
ただでさえ暗い空間に、漆黒の衣を纏った暗殺者が五人。
ここでの仮称は……"影"としておこう。
各々の距離は離れているが、全員狙いはただ一つ――――アザリアの眠るベッドだ。
「――――」
アザリアに最も近い、扉の近くに現れた影が最短ルートでベッドまで直進してくる。
この暗がりでそんな事が出来ると言う事は、内装を熟知しているか夜目が効くか。
今はどちらでもいいが、俺は徐に立ち上がり、その駆けだした暗殺者の服の襟を掴んだ。
「――――ッ!?」
限界まで気配を殺していたのだ、そりゃ気付かないだろう。
突然何もない所から姿を現わしたのは、奴らだけじゃない。
驚き、小さく呻き声を漏らしたその人影を俺は一本背負いの要領で――――投げる。
突然の事で受け身も取れずに背中から落ちた影は、内臓が圧迫され暫くの間呼吸する事すら難しいだろう。
続いてその奥、タンスの中から飛び出した影に向かって瞬歩を発動。
「ぁ――――」
さっきので存在を感知されていたものの、この距離を一息で詰められるとは思っていなかったのか、ギョッとする影へ構うことなく鳩尾へ最小限の力で拳を撃ち込む。
神鉄流は前へ進もうとする動きを逆に利用し、攻撃に籠める力を最小限に留める。
これは元々こうした貴族や王族の自衛と、それを守る護衛達の為の技術だ。
「ゔっ……」
体を支えられず、膝から崩れ落ちる影。
そうして二人がやられた事に気付き、直近にいた影が慌てて俺へ標的を変更する。
だが、それは暗殺においては悪手中の悪手、最悪と言ってもいい。
護衛に気を取られ、万一にでも暗殺対象を逃がせばそこでアウトなのだ。
襲い来る影の手には、月明かりに煌めく刃。
腹部に向けて放たれたそれを手で叩き落し、空いた手で顔を殴ろうとするのもガード。
「……ッ」
二度、三度と突き出される拳を容易く払い除けて見せると、影の攻撃はより一層苛烈になる。
コイツは中々に戦い慣れした、人間にしては強い部類だな。
しかし、攻撃に意識を割き過ぎればどうなるか。
後隙の大きい右腕のボディブローを両腕でがっちりと受け止め、俺はそれを思い切り捻り上げた。
その状態で寝技まで持っていき、太腿で首をホールド。
「ぐぇ」
一瞬抵抗した影だが、ミシミシと音を立ててきつく締めあげると秒で意識を手放した。
そんな俺と影との攻防の合間にも、残った二人はアザリアのいるベッドへ辿り着いてしまう。
片方が手にナイフを持ち、残った一方が上掛けを掴んで持ち上げると――――
「は――――」
――――中にいたのはクッションで作ったダミー人形。
通称みがわりくん一号だ。
そして、そんなダミー人形に呆気に取られていると、不意にベッドの下から何かが飛び出した。
「――――炎光よ、宵闇を照らす灯火となれ、"灯魔火"!」
「ぐっ……!」
飛び出したのはアザリアで、一息にそう言い切り、部屋の中が瞬時に明るく照らされる。
これは初級火属性魔法の灯魔火、ランタンやカンテラの代わりに灯りを生み出す魔法だ。
突然の光に目を覆う事しか出来ない二人に対し、俺は瞬膜がそれを抑えてくれている。
取り敢えず、奴らの足元を凍らせて動けなくしておこう。
「ルフレっ……!」
安全が確保された事が分かると、アザリアは涙目になって俺に抱き着いて来た。
よしよし、怖かったろうによく頑張ったなぁ。
さて、部屋内は死屍累々としているが、誰一人死んでいない。
……というより、殺さずにおいた。
俺の考えが正しければ、これは"意図的に仕組まれた襲撃"だからだ。
そして、
「……なあ、そろそろネタバラシしてもいいんじゃないか?」
「なるほどなるほどぉ、全部分かっていたんですねぇ!」
俺の推察を証明するように部屋の入口から堂々と、夕食の時に見たメイドが姿を現わした。