43.護衛兼家庭教師
「――――だから、そこは10に0.5を掛けているので」
「10に5って事は…………分かったわ、50ね!?」
「……違います」
教科書を片手に、計算問題と向かい合うアザリアに俺は大きな溜息を吐いた。
「いいですか、小数との掛け算は必ず積は掛けられた数より小さくなるんです」
「うん……?」
純粋に分かっていないのか、アザリアはそう言ってジッとを俺を見る。
う~ん……こういう時の良い例えは無い物か……。
え?
どうして俺がそんな事をしているかだって?
そりゃお前、これには海より深い理由があるんだよ。
時は遡る事二ヵ月前。
小太……ふくよかな中年女性の家庭教師が掛け算を教えている際の事だ。
アザリアは四六時中俺を半径5メートル以内に置きたがるので、まあ当然その光景も見ていた。
この話をする前提として、今俺がいる世界の学力の程度はかなり低い。
平民はまず学校に通えないし、貴族であっても習うのは小学校高学年レベルの勉強までだ。
人の国で使う語学と四則演算、あとは歴史等の勉強になるが、基本的には前の二つをマスターしてると上等な教育を受けたことになる。
この辺りは魔法が発達し過ぎた弊害だろう。
例えば、わざわざ物質の酸化によって熱が発生する事を理解せずとも、魔法を覚えれば火は起こせる。便利な機械を発明しなくても、大抵の事柄は魔法で解決してしまうのだ。
無論俺も魔法の恩恵に預かる身としては、どちらの技術体系が発達したかどうかの違いだけだとも思っているが。
「ねえ、どうして3に3をかけると6じゃなくて9になるの?」
「そ、それはそう言うものなんですよ、アザリア様」
だから、こういう無邪気な質問に答えられる先生は稀だ。
言ってしまえば柔軟性が無いというか、思考の幅が狭い。
これはこういうものだから、と思考放棄して物事をテンプレート化している。
恐らくこの家庭教師も、同じような事を言われて教わって来たのだろう。
最近の小学校では計算問題を正しい順序でやらなければ、答えが合っていても×にされると聞くがあれと似た感じだな。
別に正解に辿り着くのに、全員が同じ順序を辿る必要などない。
我ながら良い事を言っている気がするが、これは魔法にも言える事だ。
こちらで科学に取って代わっている魔法も、発想次第で何でもできる。
物事の本質が何なのかを見極める事も大事ではある。
だが、もっと大事なのは『それをどう使うか』だと俺は思うのです。
自分なりに考え、悩み、試行錯誤し、結果を出す。
簡単に聞こえるが難しく、また重要な事である。
人間は考える生き物だ、思考放棄してはその辺の魔物と変わらない。
「あの、少し口を挟んでも?」
俺が家庭教師の女性にそう訊ねると、怪訝そうな顔をしつつも『どうぞ』と言ったジェスチャーが返ってきた。
「アザリア様、例えばお茶会でお話している三人の仲のいいお友達グループがあるとします」
「……それが何よ」
「まあ最後まで聞いてください、その三人組へ更に三人のお友達が加わると何人になりますか?」
「えっと、六人……かしら?」
「正解です、これが先程お嬢様が言っていた6になる方、3+3の足し算です」
指を使ってゆっくりと数を数えるのを見守りながら、俺は墨で紙の上に〇を九つ書く。
「そして更にもう3人、加わるとどうなります?」
「八……九人になる」
「そうですね、これを足し算で表すと3+3+3になって、先程の9の方の答えになります。ですが、これだと式が長くなってしまいますね」
続いて三つずつ丸を大きく囲み、その上に数字の3を書く。
「そこで掛け算の出番です、3+3+3を一つに纏めてしまったのが3×3(3+3+3)の式で、答えも同じ9ですね」
「……本当、短くなったのに答えが一緒だわ!」
「要は3を三回足すのは面倒臭いので、纏めてしまおうと言うのが掛け算と覚えておいてください」
「分かったわ!」
とは言いつつ、小数の掛け算ではまた少し違うアプローチが必要になるが……それはその時に学べばいい。
至って簡単な小学二年生で習うような簡単な物だが、いざ噛み砕いて分かりやすく教えようと思うと難しいものだ。
小学校教諭の大変さが少しだけ分かった気がする。だが、隣に立つ家庭教師はあまりいい顔はしていない……というか明らかに俺を敵視するような目で見ているし、やってしまったな。
その日はまあ、授業は滞りなく終えたのだが問題は翌日だった。
「私、ルフレにお勉強を教わる事にするわ」
と、アザリアが突然言い出したのだ。
これにはやって来た家庭教師の人も目を丸くして、より一層強く俺を睨みつける始末。
だが、そんな事をしても我儘姫であるアザリアの意見は変わらない。
バーソロミューを呼んで説得して貰おうとするも、まったく譲らず強硬な姿勢を見せ。
俺としても高い給金を貰っている家庭教師を急にクビにさせたら後味が悪い。
なので妥協策として、今まで通り家庭教師と授業はするが、それ以外の時間――――つまり自由時間には好きなように俺が勉強を教える事になった。
タダ働きだけど、バーソロミューと家庭教師のおばさんに睨まれれば何も言えない。
元はと言えば自分が余計な口出しをしたせいだし、仕方ないと割り切ってこうしてアザリアと算数の授業をしているという訳だ。
「例えば……そう、この炭筆があるとします。これを10として、半分にするにはどうすればいいですか?」
「引き算でしょ、それくらい知ってるわ」
「そうです、よく勉強出来てて偉いですね」
アザリアがふふん、と胸を逸らしてドヤる。
最近はこういう部分もただ可愛らしいな、と思えて来たので頭をなでなでしておく。
「10を半分にするには引き算で5を引けばいいわけですが……では、今度はこれがもし1だった、これを半分にするにはどうしたらいいでしょうか?」
「えっと……それは……」
分からないようで、頬を小さく膨らませて俯いてしまった。
こういう表情も可愛いので取り敢えずなでなで。
邪な感情などない清らかなボディタッチなので、王族相手でももーまんたい。
「10を半分にするのに5でしたね、それが0を無くした1になると、この前習った小数の数字を当て嵌める事が出来ますから……」
「……0.5?」
合っているのか不安、と言った表情でそう答えるアザリアへ俺は頷く。
「正解です、よくできました」
「……そっか、答えは1-0.5と一緒だけど、これは0.5が一つしかないからこうなるのね!」
俺から見てもアザリアは良い生徒だと思う。
決してずば抜けて頭が良いとは言えないが、物事に対して真っすぐに向き合うことが出来る子だ。
分からない事は分からないと言って何でも質問してくれるし、教えればその分しっかりと考えて間違っていても自分なりの答えを見つけてくる。
少し遠回りはするが、最後には正解に辿り着くタイプの子だろう。
俺の教え方は下手なのに、根気よく付き合ってくれて教え甲斐があるというもの。
「でも、掛け算なんてどこに使い道があるのかしら」
「……色々と使い道はあると思いますけどね、お金の計算とか」
「……?」
あ、そうだった。
そんなことしなくてもこの人、欲しいと言ったら現物が届くタイプの地位の人だったわ。