41.遠ざかる
「勝者、アルバート!」
その叫びを聞いてから俺は、握っていた刀身から手を離した。
アルバートも突き付けていた剣を引っ込めると、少し難しそうな顔をした後、直ぐに柔らかな笑みに戻した。
手のひらを見て見れば、深くは無いがパックリと切れている。
幸い握ったのが左手だったので、刀を振るう事に支障はないだろう。
一応薬草で消毒した後包帯を巻いておこう。多分一時間もしないで治るけど。
そう思って腰のポーチから包帯を取り出していると、アルバートが近くにやって来た。
ニコニコと穏やかそうな顔だが、その目は笑っていない。
俺にアレを止められたのがそんなに気に食わなかったのだろうか。
しかし、
「何故受け止めた?」
放たれた言葉はそんな事にでは無く、あそこで俺が剣を止める判断をした事を問うた。
「君の動きならば、避ける事も出来た筈だ。それを何故……?」
「後ろにお姫様たちがいたからな。 万が一って事もあるだろうし、念のため」
「……そうか」
あの威力の攻撃なら、直接とは言わずとも危害が及ぶという万が一はあり得る。
それに、アザリアもリルシィも俺の真後ろにいたから、避けてしまえば風圧がもろに行くからな。
剣で受け流すにしても、方向を間違えれば危険に変わりはない。
結果一番力の制御が効く素手で、なんとか威力を殺す事を選んだ。
頭に血が昇ったお前の代わりに、俺の神がかり的白刃取りで事なきを得たんだ、感謝して欲しいぜ全く。
「あの場面においても周りを気に掛ける余裕があるとは、私は本当に君を甘く見ていたようだ」
「アザリア様を守るのが私の仕事だからな」
余裕なんて無い。
ただ……目の前のキザ男に勝つのと、アザリアを危ない目に遭わせないのとだったら、後者以外の選択肢が無いと言うだけ。
そんな俺の言葉を聞いて、アルバートは一瞬目を丸くした。
その後、堪えるようなクツクツという笑い声を上げて口元を隠す。
「ふふっ……ベルが君を推す理由がよく分かったよ、成程こういう事か」
なにをわろてんねん、という感じだがまあ……なんか知らんが認められたらしい。
手を差し出して握手を求めるアルバートを見て一拍逡巡した後、俺は軽く奴の手を叩いた。ハイタッチ程親しいものじゃないが、一応試合後の礼儀だからな。
「次は全力でやろう」
「機会があればな」
それを受け、にんまりと笑うアルバートに返事をした直後――――俺の背中に衝撃走る。
「ルフレっ! 凄いわっ、今のどうやったの!?」
「一子相伝の必殺技です」
「な、なにそれ余計に気になる……!」
振り返れば、すぐ傍にはアザリアの顔。
どうやら全力タックルで抱き着いて来たらしい。
負けたと言うのにこの上機嫌……さては俺の元の期待値、死ぬほど低かったな?
まあ、国の英雄と互角に見える勝負をしていれば、ちょっとはお姫様の株も上がったようで。これで少しは我儘が抑えられるといいんだけど。
「ルフレさん」
「リルシィ王女?」
そんなはしゃぐアザリアの後ろから、リルシィの控えめな声が掛けられる。
「この度は姉がご迷惑をお掛けして本当に申し訳ございませんでした……」
「リルシィ様が謝られる事じゃありませんよ、それにこれも仕事……の一環なのかな? いや、それは違う気がする……」
「あ、あの、よければ、その傷を見せて頂けませんでしょうか……?」
俺がブツブツとそう呟けば、リルシィは猶更申し訳なさそうな顔でそんな事を申し出た。
既に血が止まり、瘡蓋まで出来ている俺の掌はあと三十分もあれば元通りだろう。
だが、見せろと言われて断れる訳も無く、リルシィの伸ばした両手の上に手を置く。
「失礼致します」
リルシィがそう言い、ギュッと俺の手を握った瞬間――――あり得ない事が起きた。
「……ッ!?!」
淡い金色の光を伴って、暖かな魔力の膜が傷口を覆っていく。
そして、逆再生でもしたかのようにみるみる傷が塞がり、数秒も経たないうちに俺の掌は傷跡すら残さず綺麗に完治した。
「ああ、いつ見てもリルシィ様の神秘術はお美しい」
一人の騎士が惚けたような声でそう言う。
他の奴らも神秘的な光景に目を奪われているようだが、驚いているのは俺だけ。
否、俺も傷が治った事自体に驚いている訳ではない。
「これで、もう大丈夫です」
「どう? リルシィの神秘術は」
「……失礼、リルシィ様、この力は何処で?」
なるべく感情を抑え、平常を装ってそう訊ねると、リルシィは困ったように微笑むのみ。
そして、彼女の代わりにアルバートが俺の問いへ答えた。
「リルシィ様は生まれた時より人の傷を治す力をお持ちだ」
つまり、先天的なものだと。
だが待ってくれ、そうなるとこれはアイツだけの力じゃないのか?
これは――――
「……手掛かりって、そう言う事かよ」
――――紛う事なき光属性魔法だ。
奴らは神秘術などと呼んでいるが、この魔力の性質を忘れる筈がない。
これは、聖女のみに使用が許された、光属性の魔法。
イミアが最も得意とする、あいつだけの魔法だ。
それを何故この国の王女が使える?
……いや、今はそんな事は重要ではない。
もしエイベルが言っていた手掛かりと言うのがこれならば、俺はとんだ骨折り損をしたことになる。
同じ光魔法が使えようとも、彼女がイミアについて何か知っているは怪しい。
なら、後の数十か月をずっと王女のお守をして時間を無駄する羽目になった訳だ。
ああ――――近づいたと思えば、また遠ざかっていく。
「……いつになれば、お前と会えるんだろうな」