4.師と弟子
『噂好きな二人の冒険者』は一体どこでこんな情報を仕入れたのか気になる諸兄もいますでしょうが、残念ながら彼ら自体に伏線というものは恐らく存在しないのです。まあ気が向いたらまた登場させるかもしれません。
魔法ではなく、レベルを上げて物理を鍛える方針に決めた日から既に二週間が経過していた。
その間も俺は雑用を続けて小銭を稼ぎつつ、情報収集も怠っていなかったのだが。肝心の鍛錬の方は、中々思うようには行っておらず……。体力は少し付いたかも知れないが、強くなったかと言われればそうでもない。
まあ、要するに結果は全然出ていないというわけだ。
元もやしっ子とはいえ、二週間身体を鍛えた程度でどうこうなると幻想を抱いていたつもりもない。筋肉は一日にしてならず、こればっかりは気長にやるしか無いのだ。
しかし、本業の方はそれなりに盛況――――主に面倒臭い相手ばかりだが――――だった。
地球の日付換算で二週間、太陽が昇ってから落ちるまでを十四回繰り返す間に報酬をはぐらかされたのは七回程。
その内五回は冒険者の荒くれ連中が相手で、手酷い暴行を加えられた。人権の無い魔人の浮浪児相手なら何をしてもいいと思ってるのか、中には無理やり服を剥ぎ取り、その……アレをしようとする奴までいた始末だ。
その時ばかりは《識見深謀》を使ってなんとか逃げたが。
「なあ、聞いたか? 今度は西の街道で勇者様が盗賊を退治したんだとよ」
「マジかよ! 勇者ってやっぱ凄いな!」
それでも、今日も今日とてギルドの隅っこで仕事募集の立て札を置き、聞き耳を立てている。これも基本的に誰でも出入り自由なギルドだから出来る事だ。現代なら路上ライブと同じで、許可を取っていなくてお巡りさんのお世話になっている事だろう。
にしてもまた勇者の話題か。
西……西の街は確か、大陸中央にある巨大な貿易国家の恩恵を受けた商業都市だった筈だ。そこを往復する行商人を狙った犯行だろうけど、勇者と鉢合わせる盗賊は余程日頃の行いが悪かったらしい。
ああ、そう言えばあの少年も西に向かうと言っていたような……。あれから暫く経つが、無事に辿り着けただろうか?
「それとよ……ここだけの話なんだが、アリシア大聖堂から異端者が出たらしい」
「アリシア大聖堂っつーと、あのイグロスのか!?」
「シッ! 声がでけぇよ、それでな……なんとその異端者は今代の聖女様って噂だ」
「ええ……? そりゃまた一体全体どうしてだい、聖女様って言ったら教会の象徴だろ?」
噂好きな二人の冒険者は、声を潜めてそんな話をしているが、俺には丸聞こえである。
普通の声量で話していても建物内は粗野な面々が多くて騒がしい為、スキルを使ってる俺以外に会話が聞かれる事はそうないだろう。だが、それが分かっていても、聖女が異端認定を受けたと言うのは内緒話をしたくなる程の事件だ。
唯一神《創造神アースラ》を主とするアース教は、宗教国家イグロス王国を端とする、南東諸国に信者の多い宗教である。かく言うこの国も教会はぼちぼち存在するが、その教義は人間至上主義なので半魔である私が入信する事は出来ない。
加えて彼の十字軍や法師武者のように、他の宗教や教義を認めずに宗教戦争とかもしちゃうくらいには過激派も多く、仮に私が人間だったとしても崇める気にはならないだろう。
そして、そのイグロス王国――――正式名称はイグロス神聖王国――にあるアリシア大聖堂には、聖女と呼ばれる存在がいる。
神託を受け、人々にそれを伝える役目を担う神と人との仲介役だ。
「いや、詳しい話は俺も知らないんだが、なんでも神の怒りを買ったとかなんとか……」
「はっきりしねぇなあ……もしかして眉唾なんじゃねえのか?」
「正直俺もそう思うぜ。一度式典で聖女様の顔は拝んだことがあるが、ありゃ悪い事する人の顔じゃねえ」
うんうん、一理あるぞ。すぐに人を悪人認定するのはよくないと俺も思う。
「でもよ、異端認定されたって事は、今頃は国を追われてるんだろうな。可哀そうに」
「そうだなぁ……でもよ、その聖女様を俺達が助けて、恩を売れば……ワンチャンねぇかな!?」
「ねぇよバカ! 寝言は寝てから言え!」
「今イグロスはフラスカとラグミニアとの国交を断絶してんだぜ? こっちに来る可能性だってあるじゃねえか!」
だが、段々としょうもない話へシフトチェンジして来たので、スキルを解除した。これ以上聞いていても身になる情報は恐らく手に入らないだろう。
それにしても、今日は全くもって収入が無いな。朝からギルドにいるが、ここまで暇なのは初めてかも知れない。
そうして、俺が欠伸をしながら目を擦っていると、
「お、この前の嬢ちゃんじゃねえか」
不意に頭上から声を掛けられた。
視線を上へ向ければ、そこには不精髭を生やした厳つい男の顔が此方を覗き込んでいた。この人は確か、この前依頼書の代読を頼んだ剣士だったか。
「なんだ、まだこんな所で仕事探してやがんのか」
「働かないと飢えて死んでしまうので」
「そっか、そうだよなぁ……それなら今日も一仕事頼むと言いたい所だが、生憎長期の休暇中でな」
ジョリジョリと顎髭を摩りながら、困ったような笑みを浮かべる男に俺は首を振る。確かによく見れば防具を付けておらず、腰に剣も提げていない相当ラフな格好だ。
「嬢ちゃんも、ここにいつまでもいるより国を出た方が身のためと思うぞ? 聞いた話じゃ、北の帝国と戦争をおっぱじめるなんて噂まで流れてる。そうなりゃ魔人の嬢ちゃんには居辛いだろ」
「そんな事は無いですよ、何処に居たって同じです」
「そうか、そう言うなら別に止めやしねえよ。ただ――――」
ちら、と俺の身体をを見下ろした男は、顔を顰めて息を吐く。なんだろうか、何か言いたい事があるならハッキリ言って欲しいのだが……。
「……嬢ちゃん、いつから食ってない?」
「――――」
その言葉を聞いて、俺は何か悪い事をした子供のように肩を跳ね上げる。厳しく問い詰めるような声音でもないのに顔を俯かせ、目を合わせる事が出来なかった。
確かに俺はここ数日……いや、一週間は何も口にしていない。それでも不幸自慢のようになるのが嫌で、その問いに言葉で返す事は憚られた。
「それが答えか、全く……この国の人間ってのは誰も彼も冷てぇなあ」
「ッ!?」
男は嘆息を漏らしてしゃがみ込むと、私の脇に手を突っ込んで持ち上げる。いやいや、いきなり何してくれてんの? 時代が時代なら事案だからね、それ?
「取り敢えず腹に何か詰めろ。仕事はそれからでもいいだろ」
「いや、でも――」
状況が呑み込めずにジタバタと暴れる俺を意に介さず、男はギルドの建物から外へ出た。
しかし、そうは言っても今の持ち合わせで食える物といえば、精々処分寸前のカビの生えたパン程度だ。今日一日であともう少し稼げれば、堅パンくらいは買えるだけのお金が貯まる。それを待って欲しかったのだが……。
「……」
異議は認められないらしく、俵でも抱えるような恰好で俺は運ばれて行く。
そして暫く通りを進んだ先の、とある一件の店の前で男が止まった。大きな看板には『豊穣亭』とデカデカと書かれている。
「いらっしゃーい……ってなんだ、エイジスじゃない。どうしたのよ」
「おう、適当に栄養のありそうなもんをくれ、あと子供用の椅子だ」
ガラガラと喧しいドアベルの音と共に、快活そうな女性の声が響き渡る。声の主は木を削って作ったカウンターの向こうで忙しなく動き回る――――金髪を後ろで一つに纏めた、10代後半くらいの――――女性だった。
結構美人だし、看板娘とかなのだろうか?
「……あんた、その子どうしたのよ。まさか……攫って来たとかじゃないわよね!?」
「アホ言え、ちょっとした仕事の仲だよ。それより大至急飯だ、空っぽのコイツの胃袋が悲鳴を上げるくらいな」
「まあ、いいけど、その角……魔人よね? なら裏に来なさいよ、こっちじゃ落ち着いて食べられないでしょ」
二人の会話に俺が口を挟む間もなく、そのまま店の裏へ連行される。裏手は居住空間になっているようで、リビングには樫のテーブルとイスがある。
男――――エイジスと呼ばれていた男にそのイスへ座らされ、彼も対面へ同じように座った。
「あの、いいんですか? こんな……」
「ここは俺の知り合いがやってる飯屋だからな、気にすることはねえよ」
そういう問題じゃないのだが、多分何を言っても聞いてくれない雰囲気だ。ここは大人しく言う事を聞くしかないか……万が一後で金を請求されたら逃げよう。
「ああ、そういやまだ名乗って無かったな。俺はエイジス・フォン・バージェン。知っての通り冒険者だ。ランクとかに拘りはねえが……無駄に長い事やってるから一応はAランクになる」
「Aランク!?」
驚いた。
確かに風格はあったし、装備も上等なものを着込んでいた気がするが、まさかこの街にAランクの冒険者がいるとは思わなんだ。
「そんな驚くようなもんじゃねえよ、俺は偶々長生きしてるだけのジジイだ」
「長生き……?」
「なんだ、知らないのか。冒険者になった新米は大抵一年以内に三割が死ぬ。ベテランだって一緒だ、この仕事は一個のミスが命取りになりかねない。年の近い同僚は腐る程いたが、今じゃ殆どあの世だ。俺は運が良かったから、こうして生き永らえてるのさ」
その言葉を聞いて、俺は思わずポカンとしてしまった。
冒険者稼業の過酷さもそうだが、それ以上にこの男――エイジスの存在が凄まじいものに見えたのだ。
「あ、あの!」
「ん? なんだ、飯ならもうちょっと待――――」
「弟子にしてください!」
それ故に、俺はもうこれしかないと勢いに任せて叫んだ。
こんな凄い人物がどうして俺に優しくしてくれるのかなんてのは最早どうでもいい。強い冒険者に師事出来れば、一人で身体を鍛えるのなんかよりもよっぽど強くなれる筈なのだ。
「……嬢ちゃんな、今の話聞いてたか? 冒険者って言うのは、危ない仕事なんだ。嬢ちゃんみたいな女の子がやるようなモノじゃねえよ」
「それは分かってる。けど、私には普通の仕事が出来ないから、これしかないんだ!」
「――――」
思わず素の口調が出てしまう程の必死さに、エイジスは面食らったように仰け反る。
「確かに、魔人なら冒険者以外にこの国で仕事は無いが、それでもなぁ……」
「私は、竜人族は身体が頑丈で、ちょっと無茶したくらいじゃ死なないし、力も強いから戦える! なあ、頼むよ!」
「……本当に危険だぞ? それでも嬢ちゃんは冒険者になりたいのか?」
「なりたい……いや、なるしかないんだ!」
確かめるようなエイジスの目に、必死に訴えかけ、俺は机から身体を乗り出した。
それを見て、エイジスは小さく唸ると瞑目し――
「……やっぱ駄目だ」
「え……」
そう、俺の頼みを切り捨てた。
「なんで駄目なんだよ! 自分の事は自分で責任も持つ! 危険も承知だし、覚悟だって出来てる!」
「慌てるなよ、まだ駄目だって意味だ。少なくとも、その身体のまんまじゃな」
「は?」
エイジスに指を指され、俺は自分の体を見下ろす。
転生当初は、女体と言う事で多少なりとも興味が湧いていたが、最近では見飽きたなんの変哲もない少女の体だ。
「そんな細枝みてぇな腕で剣が振れるのか? 痩せすぎて皮と骨だけの体で、どう魔物の攻撃を受けるつもりだ? 碌に食ってないせいで、力だって出ねぇんだろ」
「う……」
そう言われると途端に自分の細すぎる手足に目が行き、飢餓感が頭の中を埋め尽くし始める。
確かに、この身体は健康とは程遠いところにあると言ってもいい。ああそうか、こんな状態で筋トレをしたところで、全く意味がない訳だ。
「俺は嬢ちゃんの心意気も、覚悟も尊重する。だから尚の事、焦っちゃいけねえ。先ずはその痩せっぽちの体をどうにかする所からだ」
「い、一理ある……」
いい歳こいた大人が完全に論破されてしまったが、まさにエイジスの言う事は正しい。
「……いきなりこんな事を言い出してすいませんでした、ですが――」
「だから慌てて結論を出すなよ。俺はまだ、って言ったんだぜ」
「え……っと」
「そうだな……仕事を依頼したい。内容は俺の荷物持ち、報酬は朝昼晩の食事と、俺が直々に稽古をつけてやる」
「……期限は?」
「取り敢えず半年、毎日だ」
その言葉に、俺は内心で歓喜を抑えきれず、ふるふると口元を綻ばせる。なんだよ、結局OKって事じゃないか。焦らしやがって。だが、これで浮浪児生活から脱却し、Aランク冒険者の専属荷物持ち兼弟子にジョブチェンジだ!
「……全く、俺もヤキが回ったもんだ。魔人の子供を弟子に取るなんてな」
歓喜に打ち震え、舞い上がる俺を余所にエイジスは呆れたように苦笑を漏らす。そういえば、ここまで面倒を見てくれる理由は一体何なんだろう?
う~ん……?
きっと、とんでもないお人好しか、ロリコンか、その両方か。
まあどうでもいいか、些細なことだ。
「やっぱ無し、っていうのはもう駄目だからな! 私は今日からあんたの弟子だ!」
「分かった分かった、つーかお前そんな口調だったっけ……?」
「あ、えっと、こっちの方がいいですか?」
「いや、さっきの方が喋りやすいし別にいいさ……それより、お前も名前を教えてくれよ」
「――――ルフレ、私の名前はルフレ・ウィステリアだ」
こうして、俺はAランク冒険者エイジス・ヴァージェンに弟子入りする事になった。
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