35.空白の期間
――――覚悟はできてんだろうな?
目の前に立つ男の、脅すような声で俺は罪悪の夢から意識を引き戻された。
「……まただ」
時折過去の記憶がフラッシュバックして、正気を失う事がある。
痛む頭を振り、徐に周囲を見回せばそこには武装した男たちの集団の姿が見えた。ああ、そう言えば仕事の最中だったっけ。
ふと、目に留まった大きな姿見には黒の漆塗りがされた仮面を付けた、白髪の少女の立ち姿が映っている。口元を覆うようなマフラーに、体より一回り大きい服は魔法繊維で編まれた特注品だ。
腰に提げている使い慣れた得物の柄を指でなぞると、否応にも戦闘への高揚感が胸を埋め尽くし、もやもやとした頭の中の霧が晴れて行くような気がする。
「おいガキ、ここは子供の来るところじゃねえんだぞ」
確かに、今俺のいる場所は子供の来る場所ではない。だが、言うに事を欠いて目の前のデブ――――皮下脂肪ででっぷりと出た腹と、吹き出物だらけの顎を掻くこの豚野郎――――は俺の事をガキと罵った。
これは頂けない。
もう"あれから五年"だと言うのに俺の身長は五センチ程度しか伸びていないので、傍から見ると子供だが、これでも先月で十九歳になったばかり。
しかしながら、こういう手合いは往々にして外見だけで人を判断したがる。背丈や体格が子供、というだけで弱者と認定するのだ。
「お前らの組織は違法麻薬取引の疑いで捜索令状が出ている。大人しくすれば危害は加えないが……どうする?」
俺はそう言うと、服の裾から羊皮紙に書かれた令状を翳して見せる。フラスカ王国メルティア伯爵家の紋章入りである正式なものだ。
本来この国では麻薬の取引は公に禁止されており、商業ギルドでも禁制品として持ち込む事が出来なくなっている。そして、ここは先程言ったフラスカ王国、王都フランベルクの片隅に存在する一軒の酒屋なのだが……。
普通、酒屋というのにこんな大量の武装したおっかない男たちはいない。
俺を見て猟奇的な目つきを浮かべる者や、ただ女だからと言うだけでこの後の事を考えてニヤついた輩もいる。
大方丁度トリップしてる最中に俺がやって来たのだろう。
店の奥を見れば、勝ち誇ったような顔で踏ん反り返る薄ら禿げの男。どうやらここのボスらしいが、こいつも恐らく組織単位で見れば末端だろう。
裏社会に蔓延る闇というのは根深い。
こうして、足切りに出来る人員を使って麻薬をばら撒いているのだ。
貴族の一部でも吸う輩はいると聞くがはてさて、この国ではどうだろうな。
そして、大抵その世界の住人というのは狡猾なのが定石。
ようやく尻尾を出したと思えば、多勢に無勢、今の俺の前にいる男達のような武力で押しつぶし、権力者に取り入って証拠を揉み消す。が、蛇の道は蛇とも言う。そんな貴族を潰すのもまた貴族。
"メルティア伯爵家"というのはフラスカでも有数の貴族の血筋で、王家に最も忠誠を誓う五つの貴族に数えられる程。そんな貴族家が動いたのだ、このハゲ男も気が気では無かっただろうが――――
「まさか、この数相手にお嬢ちゃん一人で何かできるとでも?」
やって来たのが一人、しかも女で、子供。
きっと拍子抜けした事だろう。メルティア家のコケ脅しに冷や汗を掻きはしたが、所詮この程度だと思っただろう。
「囲め、女とて容赦はするなよ」
「おい、痛めつけたら後は好きにしていいんだよな?」
「勝手にしろ、私は貧相な体の女に興味は無いのでね」
だが、それは大きな間違いである。
この世界で多勢に無勢という言葉は意味が無い。
「その発言は抵抗する、と言う事でいいんだな」
「ふん、ガキ一人が粋がるなよ」
「じゃあ、容赦はしない」
「……ぐぼぁっ!!?」
スキルという要素のせいもあるが、ゲームのように力の優劣が明白に付くお陰で人数差というのは大したアドバンテージにはならない。圧倒的な強者一人に対して、それに劣る弱者百人では前者が勝つ――――そう言う世界なのだ。
握った拳を豚の腹部にめり込ませ、軋んだ音が鳴るのも構わずに地面へと叩きつける。
衝撃で床板は砕け、それが開戦の合図となった。怒号を上げて迫りくるのは筋骨隆々な武装した男達だが、慌てることは無い。
「"氷葬"」
「えっ……?」
足元から広がる氷が、俺に最も近かった男達を腰辺りまで氷漬けにする。
「こいつ、魔導士だ!」
「気を付けろ、接近すればこっちのものだぞ!」
そう言って足の止まった男達を踏み台に、第二陣が飛び込んでくる。
「ヒギャッ!」
だが、それは叶うことなく、次に飛来した衝撃波で全員が地面に叩き落された。建物の壁を突き破って吹き飛ばされる者、扉にぶつかり、ガラスを撒き散らしながら路地へ転がる者。
とにかく、その場にいた全員が一瞬にして無力化された。
そして、俺は魔力で浮き上がった前髪がふわりと元の場所に戻るのを感じて、ハゲの方へ視線を向ける。
「へ……え、な、なにが……」
腰を抜かし、呆然と俺を見るハゲは一体何が起きたのか理解できていない模様。
俺がそんなハゲ男の前までやって来ると、やっと我に返り、そして――――滝のような汗を噴き出しながらガクガクと震え出した。視認できる程の魔力を全身から溢れさせ、抜き放った黒刀を振り、血を払う。
今ので何人かに致命傷を与えてしまったようだが、知った事ではない。これは仕事で、生きるか死ぬかの殺し合いだ。
運が良ければ生き伸びるだろうし、悪ければそこまでというだけ。
「お、おおお思い出したっ! し、っししししし知ってるぞ! 私はお前を、知ってる! 黒塗りの面に、白磁の角……お前は『白羊』だな……!!」
成程……この辺りまで名が知られてるとは。
この二つ名が付いた経緯はまた説明するが、余り名誉なものではないとだけ言っておく。むしろ半ば逆恨みの、嫌がらせのように付いたものだからな。
「……もう黙れ」
「ぐげっ!」
ハゲの首筋を刀の鞘で叩き、気絶させる。
後は違法取引の証拠と、コイツを連れて帰れば仕事は終了。
存外楽なもんだった、というか、ここ最近手応えのある仕事なんてしてない。そう言えば、最後に魔物と戦ったのはいつになるだろうか。
ずっと人間相手に仕事をして来たし、そろそろ気分転換に狩りにでも行こうか。
ああ、その前に――――
「雪……もう冬か」
――――今までの五年間について、少し整理をしよう。
読んでいただき、ありがとうございました。
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