33.たった一つ残されたもの
外に出てみれば、灰色の絵の具を溶かしたような色彩の薄い空が広がっていた。
ブレットの家は街の外縁にあり、中心部にある豊穣亭へは少しかかる。
俺は一人、人混みに紛れてその道を歩いた。
行き交う人々は皆何かに追われるように急いている。
仕事か、大事な用事か、早く家に帰りたいだけか。
現代日本でもよく見た光景だが、俺には何をそんなに急ぐのか、結局今でも理解が出来ていない。
もう、帰る家も無くなったしな。
それが理由ではないけど、俺はゆっくり歩くことにした。
この道も、エイジスとよく歩いた道だ。
仕事を終えて街の外から帰って来て、家へ向かう道。
俺は大抵荷物を抱えてしんどい思いをしていたが、それでも懐かしい。
いつの頃だったか、荷物は分担して持つようになった。
きっと俺が冒険者になったからだろう。
口では半人前と言っていたが、一応は認めてくれていたんだと思う。
この道を暫く行けば――そう、冒険者ギルドが出迎える。
剣と盾の紋章が入った如何にもな看板。
俺は、ここでエイジスと出会い、そして助けられた。
『そこの嬢ちゃん、実は俺は文字が読めなくてな。悪いが代わりに依頼書を読み上げてくんねぇか?』
頭を掻きながらそう言って、話しかけて来たのを鮮明に覚えている。
申し訳なさそうにしていたのは、学が無い事を恥ずかしがっていると思っていたが、今思えばあれはきっと嘘を吐いた事への後ろめたさだったのだろう。
エイジスは、大体いつも笑っていた。
最初の出会いも苦笑いで始まり、子供のような意地悪な笑みもよく浮かべた。
ガハハ、なんていう豪快な笑いや、時折見せる優し気な笑みもあったな。
戦いの最中でも、ニヒルに笑って見せる事も多かった。
強者の驕りでは無く、まるで俺に『大丈夫だ』と言い聞かせているような、そんな笑い。
だから、俺はあの人の笑顔を見ると、根拠も無いが安心した。
エイジスがいれば大丈夫だ、なんとかなると信じられる何かがあった。
炎竜の時に虚勢でも強がれたのはエイジスがいたからだ。
本当に強い人間と言うのは、ピンチの時でも笑えるもの。
どこで聞いたか忘れたが、そう聞いたことがある。
なら、俺もそうなれるようになりたい。
守るべきものをうしろに置いても、不敵な笑みを浮かべる位の強さが欲しい。
「……てっえなぁ」
「あっ」
そんなことを考えながら歩いていたら、いつの間にか下を向いていて、人とぶつかる。
「チッ……」
通行人は一瞬ギロリと俺を睨むと、そう言ってまた人混みに紛れて行く。
『ごめん』と、そう言おうとした口はなにも発せず、ただパクパクと口を開け閉めするだけ。
その直後、ポツポツと俺の頬へ雫が跳ねる。
どうやら一雨来てしまったらしい。
ああ、そうか。
「……通りでみんな急いでる訳だ」
みんな、雨にやられる前に家に帰りたかったのだ。そんな俺も丁度目的地に着いた。
半壊した建物は、二階部分と屋根が抜け落ち誰がどう見ても惨事の後にしか見えない。
その、もう家ですらなくなった豊穣亭の扉を俺は潜る。
年季の入った扉はギィギィと軋みを上げて開かれ、雨漏りの酷い屋内へ俺を導いた。
一階の店部分は以前の面影も無く、ただ乱雑と壊れた椅子や机が脇に避けられている。多分、イミアの仕業だろう。
エイジスやシェリー、バエルの死体もここにはもうない。
血痕だけがあの場面を物語り、俺の記憶に直接訴えかけてくる。
あの時――――エイジスが死んだ直後、殺意と、悲愴と、憤怒が入り混じった、ヘドロのような感情に呑み込まれた事。
大切な人の死という、大きすぎる代償を支払って俺が手に入れた《憤怒之業》によってバエルを殺した事。
「イミア」
「……ルフレ様」
そうして、沢山のものを犠牲にして、ようやくイミア一人を守った事。
あの時の俺には、選択が出来なかった。
俺がシェリーを問答無用で斬っていれば、そこで終わった筈だ。
俺を庇うと言う選択を取らせなければ、エイジスは死ななかった。
結局、最後に残された選択肢一つを――――イミアだけは助けるという選択を取る事しか出来なかった。
「お目覚めになられたのですね、良かった」
「ああ、お前も無事だったようで何よりだよ」
初めて出会った時に着ていた鼠色のローブを着たイミアが、階段の傍に立っている。
イミアは俺を見て、一瞬戸惑うような仕草をして、直ぐに安堵の表情を浮かべた。
「部屋、片付けてくれたんだろ? ありがとうな」
「いえ、貴方が目覚めるまで何かしていないと不安で……エイジスさんとシェリーさんの遺体は、私が埋葬しておきました。勝手にして申し訳ありません」
ペコリと頭を下げ、フードが取れるのもあの時と同じ。
相変わらず妙なところで抜けているんだよな。
「それで、その恰好はどうしたんだ? どこか出かけるのか?」
「これはその、私……街を出て行く事にしました。恩も返せず、罰当たりなのは承知の上ですがもう決めた事です」
「は……?」
何を言ってるんだ?
街を出て行く?
どうして急にそんな事言いだすんだ。
「どういうことだよ!? 理由を説明しろよ!」
「……また、奴ら――アース教の手の者が来ないとも限りません。ここにいては街の人々に迷惑を……」
ああそっか、そう言う事ね。
やっぱりイミアは優しいな。
「でも、そう言う事なら私も付いて――――」
「駄目です!」
俺が言葉を言い終える前に、イミアの声がそれを遮る。
珍しく激しい感情を剥き出しにし、叫ぶ顔は鬼気迫るものがあった。
「駄目なんです……」
「なんで駄目なんだよ、いいだろ。私だって戦える、見たろ? アース教の奴らが襲って来たってまた返り討ちにしてやろうぜ?」
「どうしてあなたはそう……そんな事が言えるのですか……」
泣きそうな、何かを堪えるような表情。
何故イミアがそんな顔をするのか、俺には分からない。
どうして、俺は付いて行ってはいけないのだろう。
「だって、お前は私の」
「……どうして、どうしてそんな平気な顔で話していられるんですか!?」
「え――――」
一方的に感情をぶつけられ、困惑する俺を余所にイミアは叫び続ける。
「私の、私のせいであなたの師は、父親は死んだんですよっ!?」
「……それはお前のせいじゃないだろ」
「いいえ、私のせいです。私がルフレ様の優しさに甘え、この街に長く留まり過ぎたせいです。私がここに居なければ、バエルはやって来なかった、シェリーさんもエイジスさんも死ななかった! 違いますか!?」
半ば半狂乱で、涙を流しながらそう訴える姿に俺は口を噤んだ。
「異変が起きる前、エイジスさんと話していたんです。『いつこの街を出て行くのか』と。あれは、私があなた方に迷惑を掛ける事を察して問われた言葉でした」
「……」
「私は、咎人として追われている事を理解しながら、あなたが駄目と言わないからここに居座った…………なのに、なんであなたは何も言わないんですか、恨み言の一つも言わず、平然と私と話していられるんですか!」
「……言ってくださいよ…………言え……言えよ!! お前が悪いと、お前さえいなければ誰も死なんかったって! 私を責めろよ! 大人ぶって、割り切ったつもりなんか!? 仕方が無いと、全部諦めたフリでもしてるんか!?」
「……そんな訳無いだろ」
「なら……なんでだよっ!?」
いつもの丁寧な口調も崩れ、尚も言い募るイミアに俺は月並みな事しか返せない。
だが、
「……あの時、エイジスさんでは無く、私が死ぬべきだったんです」
「それは違う」
その言葉には、考えるより先に口が言い返していた。
「誰が悪いかなんて、分からない。それに、私だって人が死んで割り切る事なんて出来ないよ」
「では」
「でもさ、エイジスと同じくらい――――お前も私にとって大切な人なんだ」
「……ッ!」
自然と口をついて出る言葉にイミアは絶句し、その場に崩れ落ちる。
その頬から伝う涙と雨粒が混ざり合い、呆けたような表情の彼女は俺だけをジッと見つめていた。
「だから、そんな事言わないでよ。私の大事な人の事、悪く言わないで」
本降りになった雨は容赦なく穴の開いた家屋へと降り注ぎ、俺もずぶ濡れになった。
だが、そんな事は意に介さず、イミアの元へゆっくりと歩み寄る。
「ねえ、イミア。私はイミアに会えて本当に嬉しかったんだ」
「ルフレ、様……?」
無意識だった、自分でも次に何を喋るのか分からなかった。
こんな事は初めてだ、俺の中の何かが勝手に話している。
けどその言葉は、間違いようも無く俺の本心だと思えるのが不思議だった。
「炎竜から私を助けてくれたイミアは、優しくて、賢くて、強かった。あなたが私の為にしてくれる事、全部が嬉しくて、その度にあなたの事が好きになった」
そうだ、イミアは炎竜のブレスから俺を救ってくれた。
俺の馬鹿みたいな行動にも一々付き合ってくれた。
荒唐無稽な話も馬鹿にせず聞いて、真面目に相槌を打ってくれた。
俺に恩を返すなんて理由で傍に居てくれて、支えてくれた。
「なあ、イミア」
「……はい」
「私と旅に出よう」
「……」
「奴らが追って来たら、何処まででも逃げればいい」
「……そうですね」
「それで大陸中を旅して、色んな国や街へ行きたい」
「……とても、楽しそうです」
「そうだな、絶対楽しい。美味しい物も沢山食べて、たまにちょっと危険な冒険をして……」
「危険な冒険はどうなんでしょう?」
「スリルがあっていいでしょ? それにもし、私が危ない目に遭ったらイミアが助けてくれればいい」
イミアの顔を両手で挟み込み、優しく覆いながら俺はそう言う。
この先どうなるかは分からないが、二人でなら何とか生きていけると、俺にはそう思えた。
「そう……ですね、それが出来ればどれほどいいか」
「イミア……?」
ポロポロと涙を流すイミアは、苦しそうに笑いながら俺を見上げ――――
「ですが、今はまだ、私にその力も権利もありません」
「な……」
優しく俺の身体を抱きしめた。
途端に意識が遠ざかっていき、視界が暗転する。
なんだこれは。
抗えない眠気に襲われて、彼女の胸に頭を預け、
「――――ごめんなさい」
薄っすらとした意識の中で、俺が聞いたイミアの最後の言葉。
何がごめんなさいなんだよと、どこかで思いつつも、その柔らかく暖かな温もりに抗うことが出来ない。
そして、俺はとうとう気を失い――――
――――次に目を覚ました時、イミアはもう何処にもいなかった。
これにて第一章本編は終了です。
ここまでお付き合い頂いた読者の皆様には、本当に感謝の極みです!
次回から数話ほど幕間を挟んで二章の投稿となりますので、これからも『転生竜人』をよろしくお願いします!
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