31.罪悪の夢
今回は少しホラーと言うか、鬱要素が強いので注意です。
「ん……」
部屋の中に充満する熱気と汗でべたつく枕の感触が不快で、俺は唐突に目を覚ました。
中学生の頃から使っているベッドの上で上体を起こし、寝ぼけ眼のまま部屋を見渡す。
戸建ての二階部分にある俺の私室は、PCデスクとベッドがその大半を占め、他の場所も雑多な趣味のお陰で割と散らかっている。しかし汚いと言うよりは、趣味に没頭する男と言う感じで、個人的には悪くないと思うのだが。
目脂のついた目尻を擦り、外出もしないので伸び放題の顎髭を摩る。
……それで今、何時だっけ?
外は暗いし、昨日寝たのは日付が変わる前だった気がする。
なんだかとても長い夢を見ていた気がするが、もしかして丸一日寝てしまったか?
「んん……?」
そう思い、枕の脇にあるスマホを手に取ると、液晶画面は六月八日の二十二時五十九分五十秒を指したまま止まっていた。
おかしいな、まだ買って一年半だし、いきなり壊れるなんてあるか?
しかし、妙に暑苦しいな。
そう言えば窓を閉めたまま寝てしまったんだっけか。
まだ6月の中旬だと言うのに、地球温暖化とはかくも恐ろしいものだ。
って……あれ?
今は秋の筈じゃなかったっけ?
イェルドさんの牧場に再建の目途が立って、ようやく本腰を入れ始めていた頃合いだった筈だ。
それに、確かイミアが紅茶に似た茶葉を仕入れてきて――――
「ん……? イミアって、誰だ?」
なんで俺は知らない人の名前を思い浮かべたんだ?
いや、多分俺の脳内で作った妄想設定を寝惚けて現実だと思ったんだろう。一応趣味だが、ネットに小説を投稿していたりするからな。これも一種の職業病のようなものかもしれない。
「……取り敢えず眠気覚ましにデイリー回るか」
起きたらまずネトゲ。
デイリーミッションをこなして、腹が減ったら適当に飯を食う。その後はまたネトゲ、気晴らしに小説書いて、またネトゲ。
夕飯を食べて、風呂は……面倒臭いときは入らない。
そうして深夜までPCと向き合い、眠くなればその時に寝る。
基本的に俺の一日はそうして回っていく。
だから、いつものようにベッドから降り、PCデスクへ向かおうとしたのだが。
「……あれ?」
部屋の中に、見知らぬ子どもがいた。
まだ寝惚けているのかと、何度か目を擦ったが消えない。
試しに自分の頬を抓ってみると、痛くない。
抓られていると言う感覚はあるが、痛みが無いのだ。
これは、まだ俺は夢を見ているのだろうか?
にしても、俺の目の前にいる少女は何処かで見た覚えがある。
純白のセミロングヘアーに、紅玉の瞳、こめかみのあたりから生えている一対のねじれた角とそして、ゆらゆらと揺れている白い毛に覆われた尻尾。
「……お前は誰だ?」
俺がそう訊ねると、少女は酷く悲し気な顔をして目を伏せた。
「私の――は――――」
「え……? 今、なんて言ったんだ?」
そして、口を開きそう言ったが、大事な部分だけがノイズがかったように聞こえない。
もう一度聞き返すが、少女はただ俯くのみ。
すると、段々部屋が暗くなっていき、少女の顔に影が差していく。
もはや表情も見えなくなった頃、ようやく少女はゆっくりと顔を上げた。
「……ッ」
だが、その顔はこの世のものとは思えない物だった。
落ち窪んだ目には眼球も無く、ただ黒い洞のような穴が開いているだけ。
そこから涙のように流れる血と、口から延々と垂れ流される怨嗟の言葉。
意味は分からないが、誰かを呪っているように聞こえる。
「やめろ……やめてくれ……!」
状況が飲み込めず、困惑する俺を余所にその声はノイズを伴って段々大きくなっていく。
それは、俺がとうとう耐え切れなくなって、両手で耳を塞いだ直後だった。
「お前が殺した」
塞いでいるにも関わらず、その一言だけが耳元で鮮明に聞こえた。
まるで誰かに囁かれているように、何度も何度も。
「お前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺した」
「あ……うぁ、あァあぁああああああああっっ!!!」
只呆然と立ち尽くし、その言葉を脳内へ垂れ流される。
もうやめてくれ、俺が殺したんじゃない。
悪いのはアイツだ、全部アイツがやったことだろ。
「……お前は、何も守れない」
***
「…………ッ!?」
「お、目が覚めたか」
ビクンと肩を跳ねさせ、一瞬のうちに微睡みから意識が引き戻された。
授業中、うつ伏せでをしていたらよくなるアレだ。
実際になると大体笑われるし、恥ずかしいしで良い事は無い。
数秒経って意識が完全に覚醒すると、俺は自分が酷い汗を掻いている事に気付く。
「どうしたよ、すげぇうなされてたぜお前。何か悪い夢でも見たのか?」
そうか、悪い夢か。
内容は覚えていないが、確かに夢を見ていた気がするな。
というかエイジスも見てたのなら、起こしてくれても良かったのに。
「……あれ、師匠、シェリーは?」
「おいおい、まだ寝惚けてんのかよ」
ぐっしょりと汗で湿った服の裾を持って扇ぎ、エイジスに訊ねた。
エイジスは苦笑を漏らしながらそう言い、俺の肩をポンと叩く。
「……ああ、買い出しに行ったんだっけ?」
キョロキョロとシェリーを探しながら水差しに手を伸ばし、コップへ水を注ぎながらやっぱりいない事を確かめる。
汗を掻いて渇いた喉を潤す為に水を一口含んだ俺は、そこでようやく何かがおかしい事に気が付いた。
「なあ、エイジス……これ妙に鉄っぽいんだけど」
「あ? そりゃ当たり前だろ、なんせそれは――――」
振り向いた俺の目に映ったのはぐちゃぐちゃの肉塊のような何か。
頭から身体が左右に切り裂かれ、最早人の原型を留めていない。
「――――お前の探してるシェリーだからな」
「あ……うあ……」
そうだ、エイジスは死んだ筈。
俺を庇って体を貫かれて、俺がエイジスを斬った。
目の前にいる異形は肉塊なんかじゃない、エイジスだ。
そして不意に気付いて手元を見れば、手に持ったコップに入っていたのは水ではない。
ブロンドの髪の毛と、血が入り混じった形容しがたい何か。
俺は今、これを飲んだのか?
それにこの髪は、この碧い眼球は、シェリーのものによく似ていた。
「おぇっ……!」
堪らず嘔吐感が込み上げてきて、その場で吐いてしまう。
口と鼻の中に酸っぱい胃酸と鉄の味が充満して、胃の中に何もないのに何度も、何度も嘔吐を繰り返した。
そうして四つん這いでゼーゼーと荒い呼吸を繰り返す俺を前に、エイジスはしゃがみ込み、耳元へ顔を寄せる。
「全部、お前のせいだ」
「う……」
「お前があの男をここへ呼び寄せなければ、俺もシェリーも死ななかった」
恨み言を囁きかけ、涙と鼻水と吐しゃ物でぐしゃぐしゃの俺の顔を大きな手が掴んだ。これはいつも俺の頭を撫でていた、あの優しい手じゃない。
「結局ゴミは幾ら努力した所でゴミのままなんだよ。お前は何度繰り返し、何度失敗すれば学ぶんだ?」
「ちが……師匠は、父さんはそんな事言わない……」
「いいや違わない、前に言っただろう? 自分の身の丈を理解しろと、他者の力をアテにするなと。お前は人の力に頼り切って、その結果見殺しにした。しかも自分だけのうのうと生き残ってな」
やめてくれ……それ以上聞きたくない。
分かってる、俺がどれだけ愚かかは分かってる。
自分がもっと強くて、ちゃんとやれてれば誰も死ななかったと、理解している。
だから、もうそれ以上エイジスの姿で俺を責めるのをやめてくれよ……。
「守るだなんだと言っても結局、お前なんてのは我が身可愛さに他者を蹴落とせる最低の屑野郎なんだよ、だから――――」
「――――お前も一緒に地獄へ落ちろ」
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