28.分岐点
「……なあイミア、アイツの事知ってるんだよな? 一体何者なんだ」
「ええ、知っているともいえますし、そうでないとも言えます」
俺の質問に、イミアは半分肯定、半分否定の意を示す。
一体どういう事だと目で訴えると、シェリーの顔で厭らしく笑うバエルを見据えながら口を開いた。
「私の知るバエル・ペルオールは、アース教最高司祭である七賢人が一人。聡明で勤勉、礼節と教義を重んじる義理堅い人物です」
「だが……」
「私もあのようなバエルは見たことがありません。彼が不死だとも、肉体を乗り替える能力を持つとも知りませんでした」
元々聖国は結構な過激派で、他国との戦争も頻繁に起こす事から畏怖の対象になっていた。
異端者や異教徒に対しての風当たりも強く、異端審問に掛けられた罪人は処刑されるとか。
その事から俺も聖国はヤバイ、との認識だったが。
どうやら内部事情に詳しいイミアも、この狂った最高司祭の本性は知らなかったようだ。
聖女を追放した挙句殺害を目論み、神の意思ならば他国の人間を問答無用で殺すなど……狂っているとしか言いようがない。中立国であるフラスカでさえ国交を断絶するのも頷ける。
「……私のせいだ、この場所を教えなきゃこんな事にはならなかった筈なのに……」
「自責をするのはいいが、今は目の前の敵に集中しろ……」
エイジスはそう言うが、当の本人の顔にも迷いが見える。
そりゃそうだろう、毎日一緒に過ごして来た家族を斬れと言われてるんだ。
迷わない方がおかしい、感情のある生き物なら当然だろう。
だが、そんな迷いなどを待ってくれる程、運命と言うのは優しくも無い。
「では、行きますよっ」
粘つくような笑みを浮かべ、バエルが前傾姿勢を取った。
「ぐっ……!」
そして、異常な脚力で地面を蹴り、エイジスに殴りかかる。
シェリーは線も細く、力の弱い女性だ。
こんな化け物じみた健脚も、エイジスを押すような腕力も無かった。
だと言うのになんだ、このあり得ない力は……。
「知っていますか? 人間の体と言うのは、普段はそのポテンシャルの半分も引き出せていないと言う事を」
「何を急に……!」
そう言ったバエルに対し、剣の腹で拳を受け止めたエイジスがシェリーの体を押し返す。
「簡単に上げられる理由としては、その力に体が耐え切れず崩壊してしまうからです。ですが、それもこの体なら問題は無い」
光を映さない瞳は己の体を見て大仰な仕草で言うと、再びエイジスへ肉薄した。
だが、甘んじて攻撃を受ける程エイジスも馬鹿ではない。
素早く数歩後ろへ下がって距離を取り、そのまま近くにあった机を蹴り飛ばす。
そして、落下してくる机をバエルは蹴りで破壊し、破片が周囲に散らばった。
「側面……!?」
その隙に側面へ移動していたエイジスがバエルの死角を捉え、青龍刀が首筋目掛けて振り抜かれる。
超人的な速度の剣閃は、バエルの反応を許さず肉を断ったかと思われたが――――
「……ッ」
肌にギリギリ触れない位置でエイジスは刀を止めた。
不意を衝かれ、目を見開いていたバエルはそれを見て、徐々にその口角を上げる。
「……あなた、この状況下でまだ身内の体を傷つける事を躊躇しますか。大した力も無い癖に、合理的な判断すら出来ない。その判断で仲間を危険に晒すと言うのは、常識的に考えれば分かることでしょうに……。生きている仲間より、死んでしまった者の方が大事だなんて現実逃避をしている余裕がおありで? 全く、舐められたものだ」
何を分かったような口を利いてるんだよ。
お前にエイジスの何が分かる。
大事なものに、生きてるも死んでるも関係ないんだぞ。
「凡人というのは、その辺りの判断が出来ない実に愚かな人種だ。あなたのせいで、こうやって――――」
そう言って、バエルは俺へとその手を伸ばした。
やばいやばいやばい……!
油断していた訳じゃないが、未来予見も発動していない。
それに、シェリーの体に対して怯んでしまい、無意識に足も竦んでいた。
「あぐっ……」
「ルフレッ!」
「また一人、罪のない子供が命を落とすと言うのに」
女性の細腕とは思えない握力で首を掴まれ、足が宙に浮く。
「か……はっ……!」
……息が出来ず、視界が霞んでいく。
意味をなさない呻き声を上げる事しか出来ない。
不味い、このままじゃ……。
じたばたと暴れて藻掻くも、俺の首を締め上げる力は一向に緩む事が無く、段々と意識が朦朧として来た。
「離しなさい!」
「っく……!?」
だが、不意に首へ込められた力が抜け、辛うじてバエルの手から抜け出せた。
「げほっ……」
咳き込みながらも肺が酸素を取り入れるとようやく視界が鮮明になっていく。
膝を着いた俺の目へ最初へ入って来たのは、イミアがバエルを槍斧の柄で殴り飛ばしている場面だった。
「聖女……いや、異端者イミア・クレイエラ、全くあなたと言う人はつくづく神の意思に反する」
「……私は、神の傀儡ではありません」
「なんと?」
訝しむバエルを余所に、イミアは俺にだけ優し気な表情をして、正面へ向き直る。
睨むような目つきと、構え直した槍斧を見てバエルも拳を握り固めた。
今更だが、武器を持たずに徒手空拳で戦うのが奴のスタイルらしい。
現地で身体を乗り換える事を考えると、武器を一々拾い直すのは大変だからだろうか?
「確かに神の意思は、偉大です。それは否定しません」
「ならば…………何故あなたはあんな事を! どうして異端の証を甘んじて受けた!?」
一瞬、気のせいかも知れないが、シェリーの――――バエルの瞳から狂気的な光が消え、理知的な深い悲愴に満ちた目がイミアへそう訴えた。
「ですが、私には私個人の意思があります、私は私なのです。自分で考え、何が正しいかを選び、己の意思で道を決める。バエル、私はこの方、ルフレ様のお力になると決めました。それが私の意思です」
「成程……神に反旗を翻し、魔の者の眷属になるとは、確かに異端者らしい選択だ」
直後、再び狂気に身をやつしたバエルはそう呟き、幽鬼の如く身体を揺らす。
「ぐ……うっ……!?」
そして放たれた蹴りは、イミアの槍斧を軽々と砕き、彼女諸共店の壁へ吹き飛ばした。
知覚能力を限界まで強化して、奴の動きを見ていた俺も驚愕の速度だ。
その代償にシェリーの足は肉が削げ、痛々しい程にボロボロだが。
幾ら能力の限界値を突破しているとはいえ、体の方はやはり耐えられないらしい。
「まだだぁっ!」
しかし、イミアも負けていなかった。
爆風と共に壊れた壁から飛び出し、魔法で出来た手斧を投擲。
「こんなもの……当たるとでも」
更に、新しく生み出した槍斧を、飛び掛かると同時に勢いよくバエルへ突き付ける。
バエルが後ろへ避け、狙い外れたそれが地面へ叩きつけられると、凄まじい衝撃波が店内を襲う。俺も思わず顔を腕で覆い、飛ばされる椅子や机を屈んで避ける。
「ほう、躊躇しないのですか。そうですかそうですか、やはり簡単に祖国を裏切るような者は人の心が無いんですね」
イミアの怒涛の連撃をバエルは辛うじて避けているように見えるが、その言葉は至って平坦で、余裕さえ感じさせらる。
と言うか、さっきエイジスに言っていた事と矛盾してるじゃんか。
何が人の心だ、それが無いのはお前だろう。
「やっ、はぁっ!」
イミアは槍斧を回転させながら叩きつけ、突き、攻撃の手を緩めない。
間合いを維持しつつも苛烈な槍術は、まるで踊っているような美しさがある。
それでも、押されているように見えるバエルが余裕そうなのは何故だろう?
明らかにおかしい、全ての物事が悪い方向へ向かっている気がしてならない。
この空間に充満する空気は、既視感を感じる。
思い出せない……けど、確かに俺はこんな光景を見たことがあった。
「イミア……!」
俺は自分の直感を信じ、咄嗟にふらつく体でイミアの背後に鋭い氷刃の障壁を生み出す。
その直後、首を切り落とした筈のキメラの体がそれに貫かれ、動きを止めた。
「ほう、気付かれてしまったようで、なら標的を変更しましょう」
死体をどうやって操ったか、なんて考えている暇は無い。
背筋に走った冷たい死の予感に、俺は振り向く。
「まずっ……」
やらかした。
動かなくなった筈のバエル本体の手刀が、眼前に迫っている。
避けられるか?
否、この距離から回避は不可能だ。
防ぐしかないが、今から魔法を放つ時間は無い。
腕を一本犠牲にして、止める。
引き延ばされた感覚の中で思いついた最善の策はそれだけ。
最早一行の余地も無い、実行しなければ死ぬ。
目を瞑らず、しっかりと手刀の飛んでくる先を見据え、なるべく力を逃がすように受け止めるんだ。
俺ならやれる、なんとかしろ。
もう、無力なままの子供でも、引きこもりのニートでも無いだろ。
そう言い聞かせ、刻一刻と迫る死から逃れるように俺は左腕を体の前へ翳した。
「……」
だが、一向に痛みはやって来ない。
目を開いていた俺は、それが何故だか分かっていた。
「ぐっ……無事かよ、チビ助」
炎竜の時と同じく、エイジスが助けてくれたんだ。
けれど違うのは、彼の胸元を貫く一本の腕がある事。
ポタ、と滴り落ちる血の音が耳朶を打つ。
それが俺を襲ったバエルの手刀である事に、3秒かかって理解した。
そして、目の前で大量の血を流しながら不敵に笑う男が一体何をしたのかを、もう5秒使って理解した。
「あ……あ、あ……し、しょう……なんで……」
――――エイジスは俺を庇って、致命傷を負ったと言う事に。
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