25.定まらぬ誓い
今回は三人称でエイジスとイミア視点のお話です
「それにしても、珍しいですね。あなたからお誘いを頂くなんて」
「そうか? 俺としてはあんたと積極的に距離を縮めようとしていたんだがな」
イミアは銀色のティーカップへ口を付け、楚々とした態度で一口含む。
それに対してエイジスは、手持ち無沙汰に剣の柄を弄りながら軽口を叩いた。
中央通りにはこの世界では珍しい、お茶だけを飲む喫茶店に似た店がある。
地球で言えば、イギリスに最も近しいアルトロンドならではの文化だ。
尚、ルフレに言わせれば、まだまだ全然なって無いとの事だが。
「しかし、茶葉を発酵させて、沸騰した湯で淹れるとは……私の国には無いものです」
「帝国にもこんな文化はねぇ。この国は飯も不味いし、人も冷たいが、この茶だけは最高なんだな」
そう言ってもう一口、二人とも香りを楽しみながらお茶を啜る。
だが、
「それで、本日のご用件はなんでしょうか?」
「はて? 俺はただお茶をしに来ただけのつもりだが」
「……しらばっくれないでください」
イミアのその言葉と、視線に場の空気が少し剣呑なものへ変わった。
エイジスもとぼけた声音とは裏腹に目を細め、カップを持つ手を離す。
「ま、いずれ言わなきゃいけなかった事だしな」
一度瞑目し、そう呟くとエイジスは姿勢を正してイミアへ向き直る。
その鋭い眼光に晒され一瞬たじろぐイミアだが、ジッと視線はエイジスに合わせたまま次の言葉を継ぐのを、ただ待っていた。
「……嬢ちゃん、この街を出て行くつもりはあるか?」
「未定です」
イミアのその返答に、エイジスは眉を顰める。
「お前が何を抱えているのかは何となく分かってる、その上でまだここに居座ろうって言うのか」
「……分かっています、迷惑を掛けている事は」
「あいつは優しいからなんも言わねえけどな、俺はそれで愛弟子が危ない目に遭うのは御免だ」
ルフレを想うエイジスの言葉を聞いて、イミアの顔に影が差した。
彼女とて、ルフレを危険な目に遭わせるのは本意ではないのだ。ただ、どこにも行き場がないだけであって。
「あの方は私の正体を知っても当たり前のように接し、助けてくれました」
「そういう奴だ、俺だって知ってる。だが、猶更理解が出来ねぇな。どうしてルフレに執着する?」
イミアはその問いかけに、黙りこくる。
暫くの間口を噤んだまま、何かを考えている様子だ。
そうして喋る内容を纏め、イミアはようやく口を開いた。
「......神は、私を見捨てました。私が神を信じていようが、その気持ちは伝わらなかったんです」
聖女であった頃は、その特別な出自から色眼鏡で見られてきた。
ただ、生まれながらに聖女であるというだけで他の理由無く神を信じ、それに従って生きて来た。
「ですが、あの方は、ルフレ様は私を必要だと言ってくれた」
だが、神の声が聞こえなくなったと言うだけで国を追われ、長く困難な旅をしてこの街へ辿り着いたイミアにとって神は、己を見捨てたものと思っていた。
元聖女という肩書のお陰で、処刑を免れただけマシなのかもしれない。
しれないが、己の生きる理由を失い、どちらへ向かって歩けばいいのかも分からなかった。
その中で出会ったルフレと言う存在は、先の見えない暗闇に差した一筋の光明。
傍から聞いていれば大袈裟に聞こえるかもしれない。
だが、イミアにとってルフレは、それほどまでに大きな存在に育っていた。
「あの時差し伸べられた手を取った瞬間から私は、ルフレ様に尽くすと決めたのです」
「……そうかよ」
恩返しなんて言ってはいるが、もうそんな事は関係ない。
肩書も理由もいらない、イミアはルフレの為に傍にいると心の内で誓ったのだ。
彼女の助けになる為に、ルフレの矛となる為に。
だが、それはまだ酷く不安定な誓いである事を、本人は自覚してはいなかった。
「ただ、一つだけ言っておく。あいつは底なしのお人好しだ、困ってる奴を見たら放っておけない。もし仮にアイツの傍に居たいならその辺、しっかり支えてやれ」
「……はいっ!」
やれやれと肩を竦めたエイジスに、イミアが嬉しそうに返事をする。
「話はそれだけだ、俺はもう行くぞ。流石に午後は仕事しねぇとな」
「では、また豊穣亭で後……程……?」
話が纏まった所でエイジスが席を立ち、イミアも帰り支度をしようとしたのだが……。
「なんだ……空気が静止した……?」
周囲の雰囲気が一変したことで、二人は不審気に辺りを見回す。
先程まで人通りのあった道はシンと静まり返り、店の中に居た筈の客も店員も、いつの間にかイミアとエイジスを除いて全員がいなくなっていた。
「結界の類でしょうか……どうやら閉じ込められたようです」
「そのようだ、相当な使い手だな。空間丸ごと封鎖するとは……」
直ぐに異変の正体に気付き、その原因にまで辿り着く辺りは流石と言える。
だが、そんな二人を以てしてもこの異変を起こした人物に心当たりは無かった。
「私の知る限りでは、こんな魔法見たこともありませんし、これ程までの使い手は聞いたこともありません」
「だとすると……スキルか」
エイジスのその言葉に頷くと、イミアは魔法で槍斧を具現化する。
この異常事態だ、いつどこから敵が襲ってくるかも分からない。
剣の柄に手を当て、重心を低くしたエイジスも慎重に周囲を見回す。
そして、その冷静な判断は直後に正しい物だと証明された。
「ッ!」
「上だ!」
建物の天井を突き破り、落ちて来たのは白いフードを被った襲撃者。
片手には大振りの両刃剣を持ち、落下の勢いのままエイジスの首を狙う。
「"柳月"!」
だが、既に抜刀していたエイジスは襲撃者を万全の態勢で迎え撃った。
落ちてくる襲撃者の体を青龍刀がなぞり、お互いが交差する。
「――――」
そうして地面へ着地した襲撃者の体はズルッ、という音と共に白いフードごと真っ二つに裂けた。
不快な水音を立てながら、謎の襲撃者は地面へ倒れる。
剣客の正体を確認しようとエイジスが振り向き、その顔は直ぐに驚きに彩られる事となった。
「これは、人……なのか……?」
真っ二つに裂けた顔は、紛う事なき昆虫の頭部。
首から下にかけては人間という何とも不気味な出で立ちをしていた。
思わずそう呟いたエイジスだが、イミアは少し違った表情を浮かべている。
「アース教の装束……」
「……なんだと?」
白いフードの着いた服は所々金の刺繍が為され、確かにこの世界の聖職者の着るものと酷似していた。
「おい、どういうことだ? アース教って、どうして奴らがここにいる?」
イミアは固まったまま動かなくなり、訝しんだエイジスが肩を揺する。
「私を、殺しに来た……?」
自分に問いかけるように呟かれたその言葉に、エイジスは戦慄した。
この不可思議な現象も、今の襲撃者も聖国の仕業だと言うのなら、状況はかなり不味いと。
結界に囚われたのがイミアだけで無いと言うのなら、彼女に関わりのある人間全て消すつもりか。彼の聖国だ、それくらいはやって見せるかもしれない。
とすると、今一番危険なのは――――
「……ルフレッ! アイツは今どこにいる!? おい!」
「――ッ!」
ルフレの名前が出たことでイミアは正気に戻り、エイジスの顔を見上げる。
「今日は確か……裏街の方へ用があると言っていました」
「裏街か……アイツの事だから、異常を察したらまず豊穣亭へ戻る筈だ」
「豊穣亭はこの店と裏街の間にあります、私達も一度戻るべきでしょう」
そう言って即座に意見を纏めると、二人は店を飛び出した。
疾風怒濤とはまさにこの事だろう。
時折建物の屋根を伝い、最短のルートで豊穣亭への道をひた走る。
「……頼む、間に合ってくれよ」
走りながら呟かれた――――祈るようなエイジスの言葉は風に攫われ、ルフレに届かない程遠くへ掻き消えて行った。
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