194.ベアトリクスという竜人
実は新作の投稿始めてました。興味がございましたら作者のマイページか、ページ下部のリンクからどうぞ。
「そこの椅子に掛けて、楽にして頂戴ね。そこの男の子も、ほら」
ベアトリクスに促されるまま、私達は手近にあった椅子へと座る。
第三の試練が始まったという事以外何一つ状況が掴めてはいないが、今はそれよりも彼女に聞きたい事が山程あった。何か戦うという雰囲気でも無さ気だし、雑談くらいは許されるだろう。
と、そんな事を考えていたら、ベアトリクスが何故か嬉しそうに笑みを浮かべて私を見つめていた。
「……何か?」
「あら、ごめんなさいね、つい嬉しくって。まさか同族とまたこうしてお話出来るなんて思ってもみなかったから」
「それは此方の台詞というか、そもそもベアトリクスさん、あなたは何者なんだ? 白竜人はウィステリア家以外にもういないと聞いていたが……」
「うーん……そうね、その解釈で間違いは無いわ。今あなたの前にいる私は、八百年前に死んだ幽霊みたいな所かしら。あと、ベアって呼んで頂戴。長ったらしくて呼びづらいでしょ?」
ベアは少し思案するように首を傾げてからそう答える。
八百年前といえば丁度初代が封印された時期と同じなので、彼女たちも同様にここへ閉じ込められているようだ。
……封印と試練という二つの要素は関連付けられ、しかも当時の仲間を巻き込んでのことだとすると色々とおかしな点が多い。もしかするとハルは、敢えて封印された可能性すらあるのでは無いだろうか?
「ところで、ウィステリアと名乗ったって事は、今の魔王は貴女でいいのかしら? ああ、それに今は何代目なのかも気になるわね」
「違うよ、私は四代目の……祖父の家名を継いだに過ぎない。今のウェスタリカは人間の国のような仕組みを整えている最中で、もう魔王による統治はしてないんだ」
「あら、そうなの。確かにそこにいる子も人間ね」
「は、はい。ルフレさん自身も半魔で、人と魔人の隔たりを捨てて国を大きくしようと頑張っています。昔の魔王の仲間にそんな事いうのもどうかと思いますが……」
「大丈夫よ。あんな戦争があっても、人間と仲良く出来ているのならそれは喜ばしいことだわ」
この時点で私がベアに抱いた印象は、母性だ。
実母も然り、彼女はとても穏やかで理知的で優しい。一緒にいると心が安らぐというか、張り詰めていた緊張が勝手に絆されていく。それが悪いことだとは思えないし、寧ろ嬉しい事のように思えた。
「戦争……そうだ、ベアは二代目の起こした戦争については知らないのか」
「二代目……シスのことね。あの子が魔王になったのは知っていたけど、戦争については詳しく知らないの。ごめんなさいね、この空間からだと外の情報を得るのも難しくって」
「なら、過去の魔王に関する事について知っている情報を教えてくれないかな」
「いいわ、私も話すつもりだったし、何より貴女には知る権利がある。少し長くなるから、お茶を淹れましょう」
ここでベアに聞いた話で、先日捕縛したシスを信奉する派閥――――ディエラ達についてなにか分かるかも知れない。そう思い、尋ねてみた所二つ返事で了承が返って来て、彼女の使い魔らしきランプの傀儡がティーカップを手に給仕を始めた。
「まず何から話せばいいかしら、そうね……ハル様に仕えていた私とシス、それに沢山の白竜人は元々奴隷だったの。ギュリウスの奴隷剣闘士って言えば分かるかしら」
「ああ、あそこの闘技場は有名だ、今もやってるよ」
「でも、私達は非力でとても剣なんかを持って戦える力は無くてね、仲間の中で一番力のあった彼が皆の代わりに戦っていたわ。あの頃のシスはまだ十歳で、そんな子供が私達の為にいつ死ぬかも分からないような殺し合いをずっと続けてたの」
二代目魔王は母の手紙で教えられた事しか知らなかったが、元は仲間想いの優しい少年だったようだ。
――――そうでもない。力があったから振るう、など奴の中では当然のことだったろう
心の底で二代目とも付き合いのあった憤怒はそう否定しているが……。
「でもね、そんなある日、一人の魔人が私達を全員買い取ったのよ。檻の前に金色の美しい少女がやって来たと思ったら『もう大丈夫だ』なんて言って……」
「それがハル、初代か」
「そう、あの時の事は今でも鮮明に思い出せるわ。また他の場所で辛い思いをすると思っていた私達にあの方は温かい食事を下さって、綺麗な服を着せて頂いて、住む場所も用意してくれた。シスも私も、そんなハル様に心酔して、何処までも付いていくと決めたのよ」
「あいつがねぇ……」
魔王で、しかもこんな試練用意しちゃう奴なのにやってることは聖人だ。魔人にとっては救世主と言っても過言ではない。
「それからはハル様と共に森の遺跡群の近くへ集落を作って、時々冒険者として人の国へ旅をしたりと楽しい生活をしていたわ。でも暫くして、魔神ゼニスの啓示によってハル様は魔王へと選ばれて……沢山の魔人種がそんなハル様の庇護を求めてやって来た」
どうやらハルも元は冒険者だったらしい、経歴としては結構意外だ。
最初から魔王ではない事は知っていたが、もっと俗世から離れた生活をしているものかと……。組合が生まれたのも千年近く前なので、ハルは黎明期から活動する古株ということになるな。
「森……今のウェスタリカに住んでいた私たちの居場所はやがて街に、国へと発展していった。でも、秩序を重んじない一部の者たちが好き勝手した事が原因で、人間と諍いが起きてしまうの」
「聞く限り人間と戦争をするような奴じゃないと思っていたが……成程な」
「ええ、ハル様に庇護された事で自分が力を得たと勘違いしたんでしょう。今まで虐げられてきた彼らは、魔王の名を笠に着て、人間に報復を始めてしまったわ。所詮国としての体裁も整いきらない昔のウェスタリカじゃあ、そういう者を全て止められずに、結局人間と敵対することになった」
「……酷いですね。自分から庇護を求めておきながら、魔王の威を借りてそんな勝手をするなんて」
珍しく嫌悪感を露わにするアキトに、私も同感の意を込めて頷く。
強者に縋るのは別に問題無いだろうが、それを自分の力だと思いこんで横柄に振る舞うのは間違っている。それに昔の自分を見ているようで、少し耳の痛い話だ。
「初期にハル様の配下となった幹部たちは人間と敵対することを是とはしてなかったけど、もうそんな感情だけで止まれる程互いに余裕は無かったわ。ハル様はどんな愚か者でも一度庇護した者は見捨てない方だったから、守るために戦うしかなかったの。本当に悲しい話よ」
「ただ、ハルは封印されて尚こんな空間を作れる程力があったんだろ? 敵にいた勇者はそれ以上に強かったのか」
「強かったわ、意志も力も。だからこそハル様は封印されることを選んだ」
「選んだ……?」
「ああ、いえ、今の言葉は忘れて頂戴。兎に角勇者は人類の敵である私達幹部を打倒し、魔王様を封印した。唯一、シスだけを残して」
ベアの口ぶりはまるで魔王が自ら封印されたようで、若干引っ掛かるな。もしかすると、先程の考察はあながち間違ってはいないのかも知れない。それが何を意図してのものなのかは分からないが。
「幹部の中で最年少だったシスを生かす為に他の仲間は命を捨て、皆ハル様と同じように此処へ魂を縛られたか、もう冥府へと旅立ったわ。あの子には残った同志を正しく導いて欲しかったのだけど、戦争が続いたということは……やっぱり人間を恨んでしまったのね」
――――あの時代は人も人で魔人種を殺し過ぎたせいか、狂気に取り憑かれていた。人を恨んでいようといまいと、泥沼の戦争になることは避けられなかった筈だ
互いに戦いの止めどころを見失い、どちらかが滅ぶかその手前まで行くまで戦争は終わらなかった。おそらく憤怒が言っているのはそういうことで、シスもそんな狂気に呑まれてしまった一人なのだろう。
だからといってその所業が許される訳ではないが、理解は出来る。
仮にもし敬愛する主君と信頼できる仲間がいて、彼らが戦争相手に殺されたのなら、私も同じ事をしていたかも知れない。
「それでも、三代目……はどうかとして、私の祖父と父のお陰でなんとか人間との関係は少しずつ良くなっているよ」
「いいえ、それは貴女の努力の結果でもあるんでしょう? 目を見れば分かるわ、ちゃんと民を導く王の目をしているもの」
「いや、私なんてそんな大したことは……精々ちょっとした人脈に頼っただけで、具体的な事に関しては役に立ってないし……」
私がそう言えば、ベアは安楽椅子から立ち上がって此方へ向かって歩き始めた。そうして目の前までやってくると、包み込むように私の手を握る。
「貴女の手を見ればどれだけ努力してきたかなんて、私にはお見通し」
「うっ……」
「一見綺麗に見えるけど、何度も潰した豆で皮が分厚くなってる。あの時、闘技場で皆の為に戦っていたシスの手と良く似ているわ。貴女が民を守る為に努力している証よ」
「そ、そうかな……?」
「そうよ、過度な謙遜は卑屈に感じるから、自分の成果はちゃんと自分で認めてあげなさい。分かった?」
有無を言わせず私の目を真っ直ぐに見つめるベアに、何故か前世の母の面影が重なった。ベアに似て何かと口うるさく、正論ばかり言う過保護な母だ。
だからだろうか、
「分かったよ、母さ――――」
「あら、あらあら……?」
思わずベアを『母さん』と呼びかけたのは。
途中で気付いて止めたのだが、ベアは一瞬きょとんとしたかと思うと、満面の笑みで私を抱きしめた。細身の白竜人の中ではかなり豊満なそれに顔を埋めさせられ、しきりに頭を撫でられる。
「いや、これはちがっ! 言い間違えたんだって、だから離れろっ!」
「いいのよぉ! 母さん、なんて呼び間違えるんだもの、よっぽど母の温もりに飢えていたのね。今は私を本当の母親だと思って、沢山甘えて頂戴」
「うぅ……」
顔の辺りが熱い。初対面の女性に抱きしめられて、あやされる気分なんて味わいたくなかった。しかもなんでこんなに心地いいんだ。
「ほらいい子いい子、今まで良く頑張って来たわねぇ。偉い偉い」
今までこうやって褒められる事も、優しく絆される事もなかったせいか満たされていく感じに抗えない。心の何処かでは優しい感情に身を委ねて、ずっとこうしていたいとすら思っていた。
「女の子なのに、こんなに大きな傷を作って……これも頑張り屋さんのせいかしら?」
「……腕の一本くらい、大したことないよ」
「もう、そういう事言わないの」
ベアは無くなってしまった左腕を労るように肩口を擦り、もう一度抱きしめる腕に力を籠める。
「私の子供たちもね、あなたくらいの年で、無茶をしてはそんな事を言ってたわ。とっても似てる、ええ。竜人族なのにちょっと体温が高い所とか、瞳の色も」
「……子供がいたんだ」
「いたわよ、兄妹でね。二人共優しい子だった。今も生きていれば、きっと孫や曾孫に囲まれてるかしらねぇ」
今から逆算すれば彼女の子供は八百歳で、更に血が途絶えていなければ彼女の孫、曾孫、そのまた孫がいてもおかしくはなかった。悲しいことにもう私とその一族しかいなくなってしまったが、もし彼女の子孫が生きていれば賑やかで楽しかっただろう。
「ベア、さっきも言った通り、白竜人はもう……」
「分かってるわ。あなたと出会えた事だけでも、奇跡みたいなものよ」
もしかすると、愛に飢えていたのはベアトリクス、彼女だったのかも知れない。
母親として外界に子供を残して此処へ縛られ、その後どうなったのかも分からないまま八百年の時を過ごしてきたのだ。久しぶりに出会えた親子以上に年の離れた同族を見て、思い出してしまったのだろう。
なら、もう少しだけこうしていてもいいかな。
祖先に孝行するのも、私の務めと思って暫くは娘の代わりをしてあげよう。




