191.謎のミミック
回廊を進み始めてから暫く、幾つかの部屋に辿り着いたものの未だ誰かと合流する事は叶わずにいた。
そもそもこの迷宮が広すぎるという問題と、道が物理的に繋がっていないという部分が重なって非常に探索が面倒くさい。来た道を氷漬けにすることで迷うことは無いが、それでも歩けば歩く程ゴールが見えなくなってくる。
ただ、今の所脅威らしい脅威になる魔物も出現していないので、必要以上に焦る必要もないだろう。逸れた連中もきっと合流を目指して迷宮を進んでいると思うし、自ずと何処かでかち合う筈だ。
「……少し何処かで休むか」
かなりのペースで進んできたお陰で少し小休止を取る時間もある。
丁度廊下の最中にあった小部屋へと続く横道を発見し、私は一旦進路を外れてそちらへ向かう。先にあるのは六帖程の空間なので恐らくは単なる行き止まり、何か罠があるわけでもなさそうだ。四半刻体を休めるには十分な場所である。
「いや、何かいる……?」
そう思い、わざとらしく誂えられた扉に手を掛けた瞬間、部屋の中に何かの気配を感じた。
極々微小だが魔力の気配と小さな脈動、それとこれは心臓の音だろうか? となれば人間がいる筈だ、仲間の内の誰かが此処いるのなら私が見逃す筈は無いが……。
兎にも角にもと、私は音を立てないように扉を少し開いて中の様子を覗き見る。部屋内の壁には松明が数本あり、完全に暗黒というわけでもない。しかして、その揺らめく光源に照らされ、私が察知した気配の先にあったのは……何かの箱だ。
開閉部の上側が丸みを帯びた収納箱、所謂チェストと呼ばれる物だろう。
それが何故か生物のような気配を発しており、しかも中からは人間らしき魔力が漏れている。 だとすれば、その正体は一つ。宝箱や武器に化け、人間を襲うと言われる魔物――――ミミックだ。
「……ん?」
しかし、何か様子がおかしい。蓋の隙間に何か挟まっているというか、蠢いているというか……人の足のように見えるのは私の気の所為だろうか?
……いや違う。
あれは本物の人の足だ、しかも生きてる。
ミミックが捕食したにしては咀嚼する動きを見せないし、あの足自体も未だ藻掻いている所を見ると殺傷性のある種類では無いようだ。中には牙とか棘とか生えたのもいるが、逆に開けた者を単に閉じ込めるだけのミミックも存在する。
私は恐る恐る部屋に入り、中央のミミックへと歩を進めていく。普通は触るまでは動き出す事が無いが、一度人の手が触れたものなので必要以上に警戒して損はないだろう。
「い、生きてる……よな」
未だうぞうぞと上下している足を剣の先で突っ突き、反応がある事を確かめるとしゃがんで今度は掴んでみる。
それにしてもこのズボンといい靴といい、何処かで見たような……?
ともあれ、まだ生きているのなら引っ張り出してやろうと力を込めると、少し蓋がガタついて腰の辺りが見え始めた。片腕だけだと難しいので今度は義手を作って両腕でもう一度引っ張れば、次第にミミックの中から体が摺り出てくる。
「よっ……こいしょっと!」
「うわあぁっ!?」
掛け声と共に力んだら勢い余り尻餅を着くが、漸く中にいた人は抜けたらしい。慌てたような声を上げて部屋の入口に向かって転がって行った。
しかして、その人物……アキト・メイブリアは乱れた黒髪を整えながら起き上がる。
「いてて……あ、あれ? 外? というかルフレさん!? どうしてここに?」
「い……いやいや待て! それは私の台詞だぞアキト! なんでお前がミミックに食われてたんだ!?」
魔力感知で下層の何処かにいるとは思ったが、まさかこんな所でミミックに食べられかけていたとは思わなんだ……。
まあ、そう言えば位置的には大体この辺りの直上が遺跡だった筈だし、此処が空間的に別位相にある事を考えればおかしくは無い。天井に穴を開けたとて暗黒空間が広がってそうだが、物理的には一応繋がっている事になっているようだ。
「いやあそれがですね……皆で転移した後、見ての通りこんな薄暗い場所に飛ばされまして。魔物は襲ってくるわ近くに誰も居ないわで、もう大変で。必死に逃げ回っている最中に、この部屋に逃げ込んだんですよ。それで部屋の真ん中に何かあるなーって思って近づいたら……こう、バクッと」
「食べられたわけね……」
「ほんと、すぐにルフレさんが助けに来てくれて良かったですよ……」
「ん……? すぐに……?」
「あれ、何か変なこと言いましたか僕?」
そう呆けた表情をするアキトに、私は訝しく目を細めた。
「アキト、お前どれくらいこのダンジョンを逃げ回ってた?」
「えっと、そうですね……多分二時間くらいでしょうか? それがどうかしましたか?」
「私達……いや、私がこの部屋に辿り着くまでに転移してから半日以上経ってる」
「えっ、どういう事ですかそれ……?」
同じタイミングでダンジョンのどこかへ飛ばされたとすると、ここで過ごした時間は私と同じ筈。だと言うのに、アキトは二時間逃げ回った後ここでミミックに捕食されかけ、私に助けられたのを『すぐ』と言った。
「つまり、私から見ればお前は十時間以上ここでさっきの状態だったってことだ」
「えぇ……なんですかそれ……」
矛盾だ、凡そ十時間あの状態のままだったのはすぐで済ませられるようなことではない。
単に私だけ転移するのが遅かったのか、アキトに何か異常が起きたのか、はたまた……。
「ミミックは此方から触れない限りは絶対に動くことはない。それに一度敵対すれば活動的になる筈だ。アキトがあの状態で微動だにしなかったというのもおかしい」
「じゃあ、あれはミミックによく似た何かで、僕とルフレさんで時間の流れがおかしいのもそのせいなんでしょうか……」
「わからない……が、もう無闇に触れない方がいいと言うのは確かだろうな。早く部屋を出よう、な。早く」
「あれ……なんかあの箱、近づいて来てません?」
「いやそういうのいいから、もう、早く」
「やっぱり怖いんですか……グロいゲテモノは大丈夫な癖に、こういうタイプのが苦手なんですね」
背後に鎮座する宝箱に似た生命体を見つめ、その不気味な静けさと相まって尻尾の毛が逆立つ程寒気がする。あれはきっと、私の理解できないこの世界とは別の理を持った何かだ。生き物であるというのも、もしかすると私の勘違いかも知れない。
「あ、でもああいうのって、お約束だとこっちが背を向けたら後ろからこう……グワーッ! って来るかも知れませんよ?」
「ひっ」
そんな私の心を知ってか知らずか、アキトが突然大声を上げたせいで思わず変な声が漏れる。その上体が条件反射的にしゃがみ込んでしまい、気付いた時には頭を抱えていた。
「本当に……駄目、なんですね」
「……何度も言ってるだろ、ばか」
正気に戻った後も恥ずかしくて立つに立てず、少し熱を帯びた顔だけを上げてアキトを睨むと、困ったような苦笑が返って来る。目に見える怪物や実体のあるアンデッドならいいが、こういう想像力を掻き立てられるタイプの怖いのは本当に無理だ。
だから和製ホラーは絶対無理、海外のスプラッタホラーのほうがまだ幾分か見ていられるだろう。
「ほらもう……いじけてないで立って下さいよ、早く行きますよ」
「……元はといえばお前のせいじゃん」
「はぁ……じゃあ、怖いなら手でも繋ぎましょうか?」
「いらん……けど、裾は貸して」
折角人が怖い中頑張って一人でダンジョンを探索していたというのに、これでは私が男の後ろで怖がる女みたいじゃないか。いや、実際そうなんだけど、こう……私の威厳というか冒険者としてのプライドがそんなみっともない事を許さないみたいな……ね?
「うわ、これ全部ルフレさんがやったんですか……?」
「……マッピングだよ、ハズレの道と部屋は全部凍らせて来た」
外に出たら出たで凍結している廊下を見て半目になるアキトに、すっかりとテンションの下がった私は素っ気ない声音で答える。
「……まあ、お陰でこうして合流できた訳だし無駄じゃなかったろ」
「それはそうですけど、ここからは僕がやりますんでルフレさんは魔物にだけ注意しておいてくれます? あんまり規格外な事やられても困るし」
そう言うと、彼の虹彩が翡翠色の特異な紋様に変化していく。
どうやらこれがスキルを発動している時の特徴らしく、瞳に宿るスキルの大抵はこうして目に変化が現れるようだ。まだ詳しい話を聞けていないが、アザリアもアキトのように目に関するスキルを宿している事が分かっている。
「この先、誰かの歩いた痕跡……三十分前位のが複数あります。人間の男性が三、女性が二ですね。真っ直ぐ続いているので、このまま進んで大丈夫そうです」
「凄いな、そんな事まで分かるのか」
「はい、最近になってまた見れる情報が詳細になりまして、指紋や足跡も見えます。建物の状態を視ている……と言えばいいでしょうかね、不思議と構造なんかも頭に入ってきますよ」
つくづく思っていたが、アキトの《能力看破》はとんでもないチートスキルだ。視ただけで相手を丸裸に出来る上、無生物にも使えるのは大罪系と並べても遜色のない性能だと思っている。
もしこれで私並みの戦闘力があれば、弱点を看破しつつ相手の行動や状態を逐一可視化しながら戦える最強の人間になっていただろう。
天は二物を与えずというが、私としてはこの能力を探索のみで遊ばせておくのは少し勿体ないとは思うが。
「あ、魔物です。前から二体、来ますよ」
「任せろ」
そうして進むこと暫く、アキトの言葉通り前方から二つの気配が迫ってくる。二体とも四足で這い回る魔物らしい。松明に照らされた顔は人に似ているが、首はあり得ない方向に捻れており、しかもどうやってか壁や天井を伝って襲い来た。
対して、私は若干近い方に踏み込み、撫ぜるように首を跳ばす。
「クカカ……」
喉の奥から不気味な軋んだ音を立てて落下してくるもう一方も返す太刀で両断。消滅していくのを眺めながら、先に仕留めた方の魔石をポーチへとしまい入れる。
「うわぁ……怖かったぁ」
「そうか?」
「いや、逆になんで今のが大丈夫でさっきのが駄目なんですか……あんなのに迫ってこられたら普通にホラーですよ」
私からすればこの程度で怯える方が難しいと思うし、強さで言えば本当に大した事は無かった。アキトは戦う力を持たないからそう思うだけであって、別に強さの底が知れている相手を前に日和る要素を探すほうが難しいだろう。
「斬るか焼くかしたら殺せるからなぁ、別にそんな怖くないと思うけど……」
「そういう問題なんですか……? 幽霊より魔物の方がよっぽどだと思いますよ」
「何を言うか。幽霊は実体も無いし、何よりもう死んでるから殺せないんだぞ!?」
「あ、はい……」
ただ、そんな私の説明を聞いても理解出来ない様子のアキトは、言葉だけの返事だけをしてまたあるき始めた。
「……ルフレさんって時々、結構馬鹿ですよね」
「おい」
多分、彼が守られていると言うのに魔物に怯えるのを私が今ひとつ理解出来ないように、私の抱いている恐怖心も彼には分からないのだろう。人は本能で闇を恐れ、忌避する物だが……彼は権能によってその深淵すらも看破してしまうからだ。
そう考えるとこの世界で最も神に近しいのは、一見して無力に見える彼なのかも知れない……。




