187.初代魔王
「――――ゲームの設定?」
「うん、このゲームは所謂ダンジョン系……ローグライクなんだけど、メタ的な部分をかなり上手に世界観に組み込んでるんだ」
……なんだろう。
「例えばボス前の回復エリアとか、これってゲームだとあって当然だけど……現実だとそんな都合よく毎回あったら不自然だろ? だからこの作品だとダンジョン毎にそれらしい設定が組み込まれてる」
「例えば?」
誰かの声が聞こえる。それも会話だ。
夢でも見ているのだろうか?
ここは学校の……教室で、私は机に凭れ掛かって誰かを見上げている。硬い椅子の感触や夕日の照った茜色の部屋の雰囲気、学校特有の匂いまで分かるのにそれ意外の全てが曖昧だ。
今目の前に座っている少年も、誰かは明確に思い出すことは出来ないが、聞き覚えのある声がする。
優しげで少し自信がなくて、昔はいつもこの声を聞いていたような気がしてならない。
「例えば……そうだな、この噴煙の大洞窟だとそもそもボス部屋とダンジョン自体が別物で、崩落によって生まれた空間を探窟家たちが切り拓いて~みたいな設定がある。後から築かれた意図的なセーフゾーンで、水源を掘り当てて湧き水もあるし、環境の違いからダンジョンの魔物は入ってこないんだ」
「他には?」
「他は、モンスターの沸かない代わりにギミックだらけのダンジョンが、実はただの洞窟を誰かが改造しちゃったって奴もあるよ。最下層に行くにはダンジョン内に刺さってる聖剣を持っていかないといけないんだけど、台座に刺さってるそれを抜くと閉じ込められて出られなくなったり、実はその聖剣も偽物で本物は隠し部屋にあったり……」
「……クソゲーじゃん」
「まあ、設定ありきで楽しむゲームだろうね。俺は嫌いじゃないけど、人は選ぶかなぁ」
何か、ゲームについて話しているらしく、私は受け身でそれを聞いている。ダンジョンといえば、丁度死にかけた所なので正直いい気はしないが。
「ところで、最近四組の■■■のグループと一緒に居るとこ見るけど、仲いいの?」
「えっ? あ、ああうん……まあそうだね」
「ほほう……高校生活二年目にして、やっと俺以外の友達を作る気になったか? 親友の成長に感慨を覚えますなぁ」
「別に、そんなんじゃないよ……ただ……」
何気ない会話の筈が、私が親友と呼んだ少年の声は少し落ち込み、何か言おうとして口を噤んだ。
あれ……? 何か大事な事を忘れているような気がする。目の前の彼は確か私にとって……とても……意味のある人物だった気がするのに、思い出せない……。
「……どうした? ■■」
「ううん、なんでも無い」
記憶が欠落したように目の前の少年の情報だけがぼやけ、不明瞭な後悔の念だけが心の底で渦を巻いている。なんで私はこんな気持ちになっているのかも分からず、ただただ悲しい。
――――助けられなかったからだ
助ける? 誰を? アレックスも、ユーリも私は助けた。私が今まで助けられなかった人なんて……ましてや前世でそんな事は無かった筈だ。それがどうして、この夢の最中に――――
「――――ごめん」
そこまで考えてから口を衝いて出たのは一言の謝罪。決して私が言おうとして出た言葉ではなく、単なる夢の中での出来事の筈だ。なれど、眦から頬へと何かが伝い、机へと落ちていく。
……泣いているのか、私は。
滲む視界の先では対話していた少年は首を横へ振ると立ち上がり、ゆったりとした歩調で教室を出ていく。私はそれを見ているのみで、後を追うこともなくただその場で涙を流し続けた。
どうして悲しいのかも分からず、あの少年に何故謝ったのかも分からない内に涙で溢れた景色が暗転していく。
そうして次に目の前に映ったのは、先程の机。
呆れるような晴天の青空が窓の外に広がり、花束が一つだけ机に置かれている。私はそれを見つめたまま立ち尽くしていた。手には先日彼の言っていたゲームのパッケージ。
結局クソゲーと言いつつも彼から借りて、クリアしたからと返す為に持ってきた物だ。
しかし彼は、教室にいない。
どうしていないのかも分からない。分からない事しかない。私は……俺はどうしてこんな所に居る、どうしてこうなってしまった。未だに分からないままだ。
あの日、何故記憶の覚醒を教室の喧騒に例えたのか、何故今はこんなにも静かなのか。
動かない空に、止まった教室の時計。春の終わりを告げるように、少し温い五月の風が首を撫ぜた。
「だから、夏は嫌いだ」
暑いし、やる気が削がれるし、何より嫌なことを思い出す。
そんな――――
「そうか? 俺は好きだけどね。初夏の空気は澄んでいて、爽やかな青春真っ只中って感じだ。何よりうちらの家名の由来は、この時期に咲く藤の花から来てるんだぜ?」
――――そんな私の呟きに対して、返ってくる筈も無い返事が背後で聞こえた。
***
「……まあ、だろうと思ったさ、初代魔王」
気付けば目線が下がり、竜人の姿に戻った事を理解するとその声に対して俺……いや、私は振り向く。
そこには黒と白の装束に身を包む虹色がかった金髪の少女が佇み、此方を見つめて微笑んでいた。紛うことなく、以前出会った憤怒の前前前任者……つまりは初代魔王、ハルだ。
「あらま、気付いてた? それならそれで話が早いからいいけど……まあ、一応自己紹介はしとくな。俺は"ハル・ウィステリア"、千年前この大陸で生まれた初めての魔王であり、この試練の管理者でもある。以上!」
「簡潔なことで、こちらとしては色々と聞きたい事があるんだが? 特にこの記憶は……」
「まーあまあまあ……! 待ち給えよ。取り敢えずお前の魂魄に干渉して、こんな映像を見せた事については先に謝っておく。何分、興味深い記憶があったものでね……」
ハルは俺の言葉を遮るようにそう言うと、指を鳴らして景色を切り替えた。北欧系の家具が並ぶ、暖炉のある部屋らしい。
「さて、その辺にでも適当に掛けてくれ」
次いで手を叩けばひとりでに薪に火が付き、彼女? の背後に安楽椅子が移動してくる。俺も手で削ったような意匠のある椅子へと腰を降ろし、小さく溜息を吐いた。
「で、これは一体どういうことだ? あれも試練の一環なんて言うなら、悪趣味極まり無いとしか言えないぞ」
「いやいや、違うって。さっきのは単なる俺の趣味、だから悪趣味で結構。試練は、さっき突破した溶岩迷宮だ」
「突破……、まだボスは倒してないと思うが」
「第二の試練、ずばりそれは仲間との絆! 極限環境の中、仲間を見捨てずに見事ゴールまで辿り着けるかを見ていた訳。だからボスはいないよ、本来はね」
何処から取り出したのか茶器を手に、ハルは片目を閉じて笑みを深める。
しかし、その最後の言葉だけは冷めた声音で、話している私とは違う場所を見ているように見えた。
「ここ……試練の場は本来、時空連続体から剥離した位相だ。連綿と連なる因果と奥行きの外側、何処にでもあり、且つ何処とも繋がりを持たない独自の世界。わかりやすく言えば、次元の狭間とでも表現するのが適切かな? 俺が封印されている場所、と言い換えてもいいよ」
「……全然理解出来んが、まあ普通じゃないのは分かった」
「試練の内容のネタバレになるから多くは言えないけど、つまり試練に挑戦する資格者とその仲間以外は立ち入れない結界が張られていて、中は外の時間の流れとは隔離されていると考えていい。あ、ここで言う資格者っていうのはキミね。《憤怒》あるいは《傲慢》《暴食》……と、大罪系スキルを有する者が適性者だ」
「憤怒の権能……か」
つまり私は適性者、だから魔王城の地下で試練が始まったという訳らしい……いや、それでもわけわからんが。
肝心の試練云々については、ネタバレと言った通り此処で明かす気は無さそうだ。聞いたところで無駄に終わるだろう。
「しかしねぇ、予期せぬ事態だよ、これは」
「……?」
「外部の何者からか、俺たちの作った試練に干渉されている。お陰でキミら以外のそれぞれ七人と、四人、二人の関係ない一般人が巻き込まれてしまった。その上転移もバラバラの階層で、収拾がつかない。だからキミをここに呼んだんだ」
ハルはアレックスや他の冒険者達は不慮の事故で此処にいると告げ、疲れたように肩を竦めた。どうやら階下にはまだ六人の関係無い人間もいるようで、私も差し出された紅茶を啜りながらアキトたちの安否に気が重くなる。
「ああ、それはそれとして、ルフレはヨモツヘグリって言葉を知ってるかい?」
「異界の食べ物を口にしたら……みたいな話だろ、それがどうした」
「そう、異界の食物を飲み食いすれば、元の世界に戻れなくなる。キミも今、その紅茶を飲んだよね」
「……おい、呼んだってまさか、そういう罠か?!」
カップを勢いよく置き、身を乗り出す私にハルは悪戯っぽい笑みを浮かべるのみ。
「冗談だよ、それは只のお茶さ。そもそもヨモツヘグリはあの世での話、ここは冥府じゃないからね。どちらかと言えば時間の概念が存在しない三次元的空間…………って、あれ? 前もこんな話をしたっけ? デジャヴ?」
「いや、知らんが。お前と話すのは二回目だし、痴呆か?」
なんだか小馬鹿にされているようで、ハルの問いかけに真顔で返した。生きていれば千歳を超えているのだし、ボケ始めているのかもしれない。
「失敬な、俺はオートマタだぞ? 魂魄の記憶領域が破損しない限り、無限に事象を記録し続けられる。それが例え俺を残して世界が終わった虚無の概念でも……」
「おい、どうした……?」
「……いや、そうか。位相の狭間ということは、逆に言えば何処にも属していない。加えて上位干渉権限を持っていれば、あるいは……しかもそうすると、パラレルワールドの第二法則が適用されて、時空間領域重力超越と、シュレディンガーの結果に書き換えが……」
自慢げに己のスペックを語っていたかと思えば、語気が尻すぼみになって最後には押し黙ってしまう。そうして何やら思案するような仕草で呟き始め、また言葉を止め、顔を上げて私を見た。
「ルフレ。キミは以前、俺……スキルに残った魂の残滓と話をしたと思う」
「あ、ああ。確かに話したけど……」
「それに関しては記憶を探らせて貰って情報を見た、が……不自然な記憶改ざんがあった」
「改ざん?」
「最初は気にも留めなかったけど、今確認しておかしな点を見つけたんだよ。俺は『《憤怒》と対話し、御せ』なんて絶対に言わない、少なくともこの俺は」
そう言って立ち上がり、ハルは暖炉の前までやって来る。
爆ぜる火を睨みつけると、掌で手繰り寄せるように暖炉からひと塊の炎を持ち上げた。それを更に二つに分け、一方を指差す。
「いいかい? この小さい方が《憤怒》だ。こいつに自我は無いが、思考をする。権能として演算装置が搭載されているからね。ただ、あくまで所持者の補助的な役割がメインで、自律して何かを考えるなんてことはしない」
……らしいけど、お前自我あるよね?
――――そんな事を言われようとも、俺は気付いた時には俺だった。それ以上でもそれ以下でもなかろう
ハルの言葉を確認するように尋ねれば、黒き竜は片目を開けて鬱陶しそうにそうとだけ答えた。この所呼びかけには反応するのだが、どうにも静かなのは不気味だ。
「勿論形の無い曖昧なもので、少なくとも俺が所持者であった頃は、姿を持っているなんてことも無かった」
「なら、竜の姿は……」
「恐らく俺の後の所有者か……もしくは正体不明の誰かが、不定形のスキルに自我と形を与えたんだ。それ以外には考えられない。ったく、面倒な事をしてくれたものだよ、キミがコントロール出来ているからいいものを……そうでなければ大陸ごと滅んでいたぞ」
ハルは火球に竜の姿を形取らせ―――大きい方を飲み込むように―――再び一つに纏めると、恐ろしい事実を告げた。先程までの笑みも消えて表情には不快感が現れている。
それほどまでにスキルが自我を持つことは異常であり、今制御出来ているのが奇跡なのだろう。もしかして私、知らない間に世界救ってたりする?
「それで、この件が試練の干渉にも繋がってくるんだけど、犯人は同一人物で間違いは無い。根拠としては『《憤怒》に詳しいか、当事者であること』『試練がどういうものかを知っている事』『俺達の生み出した空間や術式に干渉出来る事』そして『キミが普通に試練を突破すると都合が悪い事』の四つだ」
「あんまり関連性が見えてこないけど、説明はあるんだろうな?」
「俺は聖国の勇者にスキルを剥奪されて封印されて……たんだけど、問題はその後だ。次代の継承者に伝言を残すように仕組んだ"術式"に干渉されている。これでルフレに《憤怒》を支配、あるいは暴走させる土台を作ろうとした」
そんな事をして、一体何になるというのかが全くわからない。魔王の構築した術式に干渉出来るのなら、態々そんな回りくどい真似をせずとも大陸の一つや二つ、滅ぼせそうなものだが。
「暴走すればそれも良し。制御支配出来たのなら、次はより重い試練を課させ、何かをさせようとした……と考えるのが妥当だろう。なんにせよ、キミがより強い力を得る為に暗躍しているような感じかな。目的はわからないけど」
「……絶対碌でもないな、もうなんとなく分かる」
「そうだね、あながち目的は世界滅亡でも間違いないかもしれない。でも、今の所キミの利になっているのを見ると、敵対者……って訳でもないと思うよ。俺としても、試練は出来るだけ苦しみながら突破して欲しいし」
いや、碌でもないのはこの魔王もだった。
試練なんて意地の悪い仕掛けを施したハルのせいで死にかけたし、あんな苦しい思いはもう二度と味わいたくない。そもそも何だよ試練って、何を推し量る為の物かも聞かされないまま放り込まれてるんだぞ、私たちは。
「ともあれ、干渉を受けたまま試練は続行される。ここから先も俺の意図しないものが出てくる可能性はあるが、どうにもキミの仲間は相当な手練と悪運の持ち主ばかりみたいだからね。問題ないだろう」
「そうだ、私の仲間は無事なのか?」
「ふむ、不具合のお詫びに教えてしんぜよう。彼らは今の所全員生きている……けど、一人は丁度試練に挑戦中だ。キミの一つ先の階層で、しかも干渉された方の試練。早く行ってあげた方がいいかもね」
一人が試練に挑戦中……メイビスか、ジン、あるいはラゼルだろうが、あの三人なら生半可な敵であれば問題はない。唯一アキトだけが不安の種なので、そうであると願っておこう。
「じゃ、そろそろ起きる時間だ。次会うのは、無事に試練を全て突破したらだね。健闘を祈るよ――――世界に抗う可能性を秘めし者よ」
「ああ。その時は根掘り葉掘り、全部話を聞かせて貰うからな」
あの時のような、意識の覚醒と共に逆に眠気が襲ってくる感覚を味わいながそう宣言し、私は現実へと帰っていく。
別にどんな思惑があろうとも為すべきことは変わらないのだと、そう自分に言い聞かせながら。