2.浮浪児のお仕事
「――コルル村の周辺に出たゴブリンの討伐を求む。報酬は銀貨50枚……だそうです」
大きなコルクボードに画鋲で貼り付けられた羊皮紙の文字を読み上げ、俺は隣に立つ壮年の男の顔を見上げた。
「……50枚か、難度の割に金払いがいいな。よし、これにしよう」
白髪の混じった短い黒髪に、不精髭を生やした粗野な風貌。体格はがっしりとしてるし、顎をさする腕には幾つもの傷が走っており、更に鉄製の胸当てや腰に提げた青龍刀を見れば職業が剣士か戦士である事は容易に想像できる。
「にしても嬢ちゃん、言っちゃ悪いがそのなりで文字が読めるたぁ驚いたぞ」
「少し、勉強したので」
男の若干訝しむような色を帯びた目が俺を見下ろすがしかし、勉強したと言うのは間違いではない。
元、が付くとは言え俺は貴族であり、文字の読み書きや礼儀作法など、最低限の教育はされていたのは確かだ。記憶だけ引き継いでいるので何とも言い難いが、まあ活用してもズルではないだろう。
「ほほう、偉いなぁ。その年で大変だろうに、ほれ、気持ち上乗せしといてやるよ」
「ありがとうございます、またどうぞよろしくお願いします」
渋い声でそう言うと、金属音と共に俺の掌へ銅貨が5枚落とされる。商売の神である福神アレキセデクの横顔が彫られた硬貨は、大陸で認可されたものであり、なんら変哲の無いものだが……。
「やった……これであと二日は凌げる……」
一日を銅貨二枚と小銅貨五枚でやりくりしている俺にとっては大金そのものだ。
因みに言うのが遅れたが、俺は今仕事の真っ最中である。
内容は冒険者ギルドでの、依頼書の読み上げ。
先程の男も客であり、この世界は前世と違って識字率が決して高いとは言えないので、こうして文字の代読を頼む人間は少なくない。
ましてや冒険者など、まともな勉強なんかしてこなかった奴しかいないだろう。
それ以上に無学な孤児や浮浪児が一から文字を覚えるのも相当大変だが、没落した商家や貴族の子供なんかが孤児たちのコミュニティに必ず一人や二人居たりする。
そんな彼らに他の子供が学ぶ事で、細い需要の糸を掴んで日々を生き永らえているのだ。加えて、今現在俺がいる国の物価はそれほど高くはない。銅貨10枚もあれば一日二回、黒パンを食べる事くらいは出来るだろう。
なにより俺にとってこの代読には、他に代えがたいメリットがあった。
「おい、聞いたか? 北の森に灰大熊が出たらしいぜ」
「難度Bの大物じゃねえか! で、討伐依頼は出たのか?」
「それが、もう勇者様が倒しちまったんだとよ」
冒険者ギルドには東西南北あちこちから人がやって来ては去っていく。その為、聞き耳を立てて情報を仕入れるにはもってこいの場所なのだ。
しかし勇者か……いる所にはいるものだな、流石異世界。まあ、既に純粋な人間でもない今の俺には関係の無い話である。
それよりも金だ。金を手に入れて飯を食って、とにかく腹を満たしたい。ここ一週間は井戸の水を飲んで空腹を誤魔化していたので、早いところ何か胃袋に入れないとそろそろヤバイ。
とは言っても、今日の稼ぎはさっきの銅貨5枚のみ。稼げるならもう少し稼いでから廃棄直前のパンを格安で譲り受けに行きたい所だ。基本的には待ちのスタイルであるこの仕事は稼ぎに斑があるので、さっきのような男でもない限り早々収入は得られないが。
「あ、あの――」
おっと、そんな事を考えていたらお客さんだ。
今度のは若そうな男というか、まだ16かそこらの少年と青年の狭間にいる男の子だった。中々に身綺麗で、冒険者と言うよりも学生と言われた方が得心が行くような容貌をしている。その上、俺にとっては懐かしい、前世でいう所のアジア系の顔立ちだ。
「西の街道へ抜ける道を教えて欲しいんだけど、いいかな?」
「はい。じゃあ案内するから、付いて来て」
今度は道案内。
この文明レベルじゃあまだまだ詳細な地図なんて存在せず、見知らぬ土地で道案内無しに歩くのは少々手間になってしまう。特にこの街は路地が入り組んでいるので、猶更だろう。
なのでこの少年のように時短の為、慣れた案内人を雇う事はよくある事で、これも孤児の収入源の一つだ。見た感じ金回りは良さそうだし、西の街への街道は五分と掛からないので上客と言える。
ギルドから大きな街道へ出て、すぐ横の路地を曲がって進んでいく。時折後ろを見て、ちゃんと少年が付いて来ているか確認するのも忘れない……。
が、
「はぁ……はぁ…ちょっと、待って! 速いよ!」
……案の定と言うかなんというか。
ガタイが良いとは言えない細身の少年は息を切らしながらヨタヨタと走っていた。
ああ、これは怒られるかな。
依頼主の中には機嫌を損ねると暴力を振るう人間もいる。特に俺のような魔人、浮浪児、女という三拍子揃った奴は標的にされやすい。
「ごめん、大丈夫?」
「き、きみは足が速いんだね……けど、もうちょっとゆっくり歩いてくれると助かるかな……」
だが、少年は乱れた呼吸のまま苦笑いを浮かべるだけで、特に俺を咎めるような素振りも無い。普通ならこんな子供、怒鳴り散らすか殴るかする筈なんだけどな。
「ふぅ……ちょっと休憩しようよ。ほら、これ」
「……」
少年はそう言って近くの木箱に腰かけると、背中に提げた荷物袋から小さな包みを俺に差し出した。
甘くて香ばしい、いい香りが鼻腔を擽る。
「あれ、もしかして甘い物苦手だった?」
俺が受け取るのを躊躇すれば、少年は困ったように眉尻を下げてしまった。知らない人から食べ物を貰ってはいけない、とは言わないが……受け取っても大丈夫かな?
「いえ、頂きます」
「よかった! それ、美味しいから食べて」
包みを受け取り、開くと中には薄くスライスした林檎が乗ったタルトが。思わず目を丸くした俺を見て、今度は少年が悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「どう?」
「……美味しいです」
ルフレの体験は俺の体験。受けた暴力と惨憺な13年間はしっかりとこの魂に刻み込まれている。あくまで自我は俺だが、価値観や意思は半分ルフレと言っても過言ではないので、本当に純粋に驚きだった。
ただの浮浪児相手にここまで優しく接する人間がいる事に。
だが、ふと一瞬嫌な予感が頭を過る。
「……ッ」
「どしたの?」
「こ、これって高いものですよね……?」
「えっと、確か銀貨10枚だっけ。美味しそうだからつい買っちゃったんだよね」
ぎ……銀貨10枚だと!?
それだけあれば一ヵ月――いや、切り詰めて二ヵ月は食べる物に困らないぞ。まさかこれは、後からお金を請求されるキャバクラパターンでは? 払えないと言ったら奴隷商に売り渡されて、その後一生奴隷として生きる事に……。
「あの……」
「ああ、そういう事。別にお金を請求する気はないから安心して。これ思った以上に美味しくてさ、僕以外の誰かにも知って欲しかったんだ」
「――――」
俺が二の句を継ぐ前にそう言うと、少年はヒョイッと口の中にタルトを放り込む。
「僕の故郷にも似たようなお菓子があって、懐かしかったってのもあるかな」
「故郷は、何処なんですか?」
「東、ここからずっと行った東にある。多分きみが知らないような、ちっちゃな国だよ」
「そうですか」
東には、この少年のような優しい人間が沢山いるのだろうか。それとも彼が特別お人好しなだけか。
俺はどちらかというと、後者のような気がする。
だがその時、少年がどこか寂し気な顔で憂うように空を見つめたのに、俺は気が付けなかった。
「よしっ、休憩おわり! 行こうか!」
「あ、はい」
すぐに表情を切り替えて立ち上がった少年に促され、俺達は再度歩きはじめる。今度は置いて行かないように、歩調を合わせてゆっくりと歩けば、少年も先導する俺に何かを訊ねることも無く、ただ無言で後ろを追従している。
その空気に耐え切れなかったからだろうか、思わずこちらから口を開いてしまった。
「あの、私の姿、どう思いますか?」
「どうって?」
亜人差別の文化が根付いているこの国で育ったルフレは、ずっとその事で思い悩んでいた。
俺は別にそこまで気にしてはいないが、多分……そんなルフレの気持ちのせいでこんな事を聞いてしまったのだろう。
「気持ち悪いとか、思いませんか?」
「……? 思わないけど」
「角とか、尻尾とか、普通の人間と違うんですよ」
「そうだね、けど僕はいいと思うよ。カッコいいし」
あっけらかんとした顔でそう言った少年に、思わず絶句する。ここまであっさりと肯定されてしまえば、もうこちらから否定の言葉を上げる事もできないだろう。
「あ……、カッコいいって女の子相手には失礼だったか……。えっと……可愛いから、自信持ってもいいと思う……よ?」
「別にそこは気にしてません」
「そ、そっか……」
可愛いとか言われても特に嬉しくとも何ともない。体は女でも、俺の心は男なのだ。
だが、それでも嘘偽りのない少年の言葉に、心の片隅にあった靄が晴れたような気がする。ルフレとしての悩みに、一つの決着が付いたような、そんな感覚すらあった。
「あ、着きましたよ」
「ほんとだ、なんだかあっという間だったね」
そして、丁度目的地にも到達。
門越しに西へ抜ける街道が見えて来た。
「では、はい」
「?」
そう言って俺が手を差し出すと、少年は不思議そうな顔で首を傾げる。
「いや、だからほら」
「えっと……?」
「ここまでの案内代、銅貨5枚です」
「え?! お金取るの!?」
その言葉は金を支払いたくない輩の常套句ではあったものの、嫌味を含んだ声音では無かったことから本当に知らなかったのだろう。
「あー……そっか、ここじゃそう言うのもあるんだなぁ……」
「もしかして、知らなかったんですか?」
「えっと、うん。僕の国じゃ道案内は親切心でやるものだから」
「ああ……はい」
なんとも……とんだお人好しの集まった国があるものだ。そんな事をしては、孤児たちの仕事がなくなってしまうではないか。まさか、その国には路傍で寝泊まりする浮浪児もいないとか……?
「でも困ったなぁ……財布はウェンさんが持ってったんだよなぁ……う~ん……」
少年は荷物袋の中へ腕を突っ込み、ウンウンと唸る。
「あ、これ! この本でどうかな? 僕には難しくて読めなかったけど、多分貴重な物だから売ったらお金になると思うよ」
「……はい、もうそれでいいです」
まあ、現金でなくとも食べ物か、売って金に出来そうな物でもいいか。製紙技術が未発達のこの世界じゃ本はかなり貴重だ。どんな本でもそれなりの値段で売れるだろう。
「じゃあこれで。道案内本当に助かったよ、ありがとう」
「いえ、仕事なので」
豪奢な丁装の施された本を受け取り、義務的にお辞儀をする。
少年が同じように礼をし、踵を返して西の街道へ駆けていくのを見届けてから、俺も街の方へ振り返った。
さて、まずはこの本が売れそうな店を探すところからか――――
――と、本の表紙に目を落した俺は一瞬硬直。
「『真正古代魔術教本』著者、賢者リフカ…………」
それは、この世界でも稀に見る、魔法の真髄を記した魔導書だった。
読んでいただき、ありがとうございました。
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