183.第一の試練
オスカント王国サモネ辺境伯領ダンジョン、アルビア古代遺跡第九層。
現在私のいる場所であり、全十層からなるダンジョンの中で唯一魔物の出現しない区域が存在する休憩地点でもある。
「……いやぁ、古代魔法を使うAランク冒険者って噂は本当だったんだなぁ」
「この道中も白よ……ルフレさんがいたから無事にやってこれたようなもんだしよ」
横穴のようなその空間で、冒険者達は恐々としながら道中での話を語る。
「トロルだけじゃなくコカトリスにゴルゴア、終いにゃ地竜まで出る始末だ。明らかにヤバイ状況だったが、俺たちは運が良かった……マジで」
実際、この第九層に至るまでに湧いて出た多数の魔物は、全てが彼らの手に負えるものでは無い。私がいなければ早々に全員が死んでいたか、誰かを犠牲にして這々の体で逃げ出すかのどちらかだったであろう。
上述の通り魔物の方は依然として処理出来る範囲内だが、一つだけ気掛かりがある。
「もう九層だって言うのに、アキトはまだ下にいるのか……」
そう、魔力感知でアキトが階下に居ることは分かるのに、未だその反応に近づいた様子が無いのだ。このダンジョンは全十層。あと一つ階段を下れば行き止まりの筈が、アキトはその更に下にいる事になっている。
「まさか……ダンジョンが拡張されてるとか?」
この異変故にあり得るかと、私はそんな呟きを漏らした。
未だその本質が解明されていないダンジョンという存在は、一度言ったが生き物であるとされている。いわば食虫植物のようなもので――――財宝という餌を罠にして人間をおびき寄せ、内部で生み出した魔物などに殺させる事によって養分を得ている……と。
生き物であるならば、突然その姿を変える事も不自然では無いだろう。今日に至るまでそんな現象を聞いた事も無い、という部分を除けばだが……。
と、
「ほう、中々に興味深い考察だな」
「……急に出てくるなよ、おい」
私が思索に耽るその背後に長い黒髪の偉丈夫、悪魔公ダンテが黒霧と共に姿を現した。
人目に晒すと色々と問題がありそうなので最近は大人しくして貰っていたが、今は大丈夫だと踏んで実体化したらしい。
「我としては、この迷宮に満ちる魔素の質を見るに、誰かが意図的に生み出した物であることは可能性として高いと思うぞ」
彼は腕組みをしたままそう言い、私の正面へと回り込んでくる。
「つまり、今起きている異変もその意図して生み出した誰かの仕業だと?」
「そこまでは分からんが、空間に歪みが生まれている故……どこか他所からの干渉を受けているのは確かだろう」
「空間に干渉してるとなれば、それが悪さをして私の魔力感知が正常に働いて無いって事もありそうだな」
「うむ、まあ何れにせよ行けば分かる事よの。なのでさっさと降りるがよいぞ、我はダンジョンコアというものに興味がある!」
相変わらずのマイペースで急かすダンテに呆れつつ、一理あると立ち上がって冒険者に合図を送った。私は言わずもがな、彼らも体力の消耗が少なかったお陰か、そこまで長い休憩も必要ないだろう。
「次は十層だ、一応最下層ということになるが、何があるか分からない。気を引き締めろ」
「あ、ああ……この異常だ、もしかするとコアを守る魔物も変化している筈だから、それも気をつけてくれよな」
最下層にあるのは大抵ダンジョンの核であるコアと、それを守るボスと呼ぶべき魔物の類。奴らは一度倒すとダンジョンにもよるが数ヶ月単位で沸かなくなる。
周期的に今は居ないと聞いているとは言え、魔物の異常発生を考えると警戒しない方が無理という話だ。果たして道中に出てきた地竜よりも強い魔物がいるのか、考えると少し楽しみでもある。
「それよりルフレさん、その浮いてるのは……なんだ?」
「……使い魔だ、人型のな」
「そ、そうか。いや……人型の使い魔なんて珍しいもんでよ。大抵は鳥とか、犬とかだし……」
横穴を抜けて歩き出し、まず開口一番にアレックスが横に浮くダンテを"指摘して来た"。それに対して――――以前より何か言われたら使い魔と言い張る事にしていた――――私は、事も無げにそう告げる。
「……おいルフレよ、我が使い魔とは何事か? この悪魔公を前に、ぬけぬけと嘘を言いよってからに、というかそんな話以前に我と貴様は契約すらしてなんだぞ」
「……ごちゃごちゃ言うなって、どうせ本当の事を話しても信じて貰えないだろ。だったら適当にお茶を濁しておいた方が無難なんだよ」
不服なのか耳打ちで訴えて来るダンテに、私は半目で返事をした。もし仮にダンテの正体を明かしたとて、彼が地獄を支配する伝説の悪魔一族……リオンファミリアの一員だと誰が信じようか。
余談だが、後々になって書物で知ったこのダンテ・リオンの素性は、歴史にも名を残す程の大悪魔の家系だったのだ。まあ、そんなやばそうな一族とは言え、こいつはその中でも多分落ちこぼれの若輩だろうけど。
ダンテはどう見てもポンコツ駄目悪魔。地上が見たいからやって来たと言ってはいるが、絶対親に勘当されたとか、そういうしょうもない理由で地上に逃げ……顕現したと勝手に思っている。
「……今、何か失礼なことを考えてはいなんだ?」
「別に、何も?」
さて、そんなやり取りをしていれば、いよいよ十層に繋がる階段が姿を現した。
警戒しろとは言ったものの、特に気負いもせずに階段を下れば、十層――――すり鉢状の空間――――の全容が見えてくる。
部屋数はどうやら一つのみ、その中心に巨大な西洋鎧のような何かが膝を着いた姿勢で設置されていた。全身を黒く塗られ、流線の目立つ禍々しい姿はまるで本当にRPGのボスのよう。というか、これ近づいたら動き出して戦闘になる奴やん。
「あ、あれは……なんだ? 俺の知ってるボスじゃねえぞ」
「……なら、普段は何が十層を守っている?」
「ゴブリンのシャーマンと、ホブゴブリンの戦士だ。断じてあんな鎧じゃねえし、見た感じ明らかにゴブリンなんかよりやべえよ……」
何に反応して動き出すのか分からないので一旦階段の最後で立ち止まり、部屋内をよく観察する。鎧以外には、その奥に扉らしきものと……木製のチェストが二つ程並んでいるようだ。
「お前たちはまだ階段にいろ、私が先に降りる」
そう言っていよいよ十層の地面を踏むが、鎧に変化は無い。一歩、二歩と足を進めても何かが起きる訳でも無く、とうとう私は黒い鎧の目の前まで辿り着いてしまう。もしや、これをボスだと思っていたのは間違いで、単なる置物だった可能性は無いだろうか?
「やはり思い違い……だな」
「……いや違う。おいルフレ、今すぐあやつらにここへ降りるなと伝えろ!」
「何? それはどういう事――――」
しかし、隣で同じように観察していたダンテは何かに気付いたのか、何時もと違う様子で私に叫んだ。
が、
「……これは第一の試練、見敵必殺」
時既に遅し。
中央まで私が辿り着いたせいか、冒険者の一人が安全と勘違いして十層に降りきってしまったらしい。それに反応し眼前の鎧、その兜の内側からモノアイが明滅し、巨体が動き出した。
更に同時に一回り程小さい動く鎧、恐らくリビングアーマーらしき魔物が部屋の左右から数体生まれる。
「……やれやれ」
「人の子というのは、存外話を聞かぬものよの」
雑魚が湧いたことで慌てて他の連中も部屋内に降り、各々戦う体勢を取ってはいる。なれど、この数を相手に勝てるならトロルで苦戦などはしないだろう。
「……ダンテ、あいつらを守れ」
「なんだと? もしかして我に命令してる?」
「ああ、一人でも死なせたら、本気で地獄に送り返すから」
「待て待て、我と貴様は契約関係に無い。誇り高き悪魔が無償で奉仕しろなど、馬鹿の言うことぞ? 我悪魔ぞ? 如何に貴様とてそんな我儘を通すわけには行かぬ」
悪魔とは契約した主の言葉は遵守しなければならず、それこそが悪魔としての誇りであるのはこの世界でも変わりはない。逆に言えば契約さえしていれば、力関係が相当悪くない限り悪魔は絶対に主人の命令に従う。
「……分かった、契約だ。死んだ時にくれてやるから、私の魂でも何でも担保にしろ。その代わり、生きている限りは下僕として働いて貰う」
「ほう、あんなに契約を拒んでいたというのにどういう心変わりだ? この程度なら、あの人間共を守りながらでも戦えると思うぞ」
つまりは、ここでダンテと契約すれば、コイツは二度と私に逆らえないように出来るというわけだ。今まで頑なにしないしないと言ってきたが為に、何やら勘繰っているのだけは戴けないが。
「もう、使えるものは全部使う事に決めただけだ。悪魔だろうと魔女だろうと、変わりはしないさ」
「成程……、あの戦いで一皮剥けたという事よの。そういう事ならば、我としても異論はないが……時間が無い故に今は仮契約だ。貴様の魔力で一時、その命に従うとしよう!」
ダンテがそう告げると、互いの魂を繋げる赤黒い糸のような物が生まれた。
これはメイビスと同様に契約が成立した証拠であり、既に私の魔力を糧に主従関係が結ばれた事を示している。
「じゃあ、改めて命じる。冒険者を庇護し、一人たりとも死なせるな」
「承知した、貴様こそこの程度の小物に遅れを取るでないぞ」
かくして、冒険者の元へ移動するダンテを見ながら、私も義手を生成し……義手を……義手……
「……あれ?」
……出来ない。
内に流れる魔力を魔法に変換しようとするも、何かに邪魔されて上手く魔法として事象化出来ないのだ。構築途中の術式が何故か途中で謎の書き換えに遭い、無理やり霧散させられている。
まるで肉体が魔力を外に放出させないかのような閉塞感もあり、他の魔法もどうやら使用が阻害されていた。
身体強化ですら上手く機能していない。背後では魔術師と名乗っていた冒険者も困惑した様子で呆然と杖の先を見ている。
「これは、所謂ボスギミックって奴か……いい演出をしてくれる」
ダンジョンによる強制魔法使用不可のデバフか、はたまたこの鎧による何らかの力か……。ともあれ、どうやらこの一戦は魔法を使えない純粋な力による勝負になりそうだ。
「面白い、私に剣で勝負を挑んだ事を後悔させてやるよ」
そう一言呟き、私は剣帯の留め具を外して構えを取る。
嘗て最愛の師に教わったのは剣のみ。私の真髄は其処にあるのだと、この木偶の坊に思い知らせてやるとしよう。